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犬丸一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いぬまる いちろう

犬丸 一郎
生誕 (1926-03-10) 1926年3月10日
日本の旗 日本 東京都千代田区
死没 (2020-03-03) 2020年3月3日(93歳没)
出身校 慶應義塾大学経済学部
職業 実業家
子供 犬丸治(評論家)
犬丸徹三(元帝国ホテル社長)
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犬丸 一郎(いぬまる いちろう、1926年3月10日 - 2020年3月3日)は、日本実業家帝国ホテル元社長。犬丸徹三の子。

来歴

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帝国ホテル社長を務めた犬丸徹三の長男として東京麹町に生まれる[1]慶應義塾幼稚舎普通部予科を経て、慶應義塾大学経済学部を卒業[1]。若い頃はバンドマンであり、浜口庫之助平岡精二らとともにジャズバンド「スウィング・サーフライダーズ」を結成してベースを担当し、ホテル進駐軍クラブなどで演奏していた。

1949年帝国ホテル入社。清掃係、客室係、調理場勤務を経て米国留学。当初犬丸の社長昇格に難色を示していたメインバンク第一勧業銀行に対し、筆頭株主である国際興業創業者の小佐野賢治会長の強い推しのもと、1986年社長に就任[2]

1991年から1993年まで日本ホテル協会会長[3]1997年、社長退任と同時に取締役からも退任し、顧問に退き、のちの人事などをすべて後任の藤居寛にまかせるとした。

弟は元芝パークホテル社長犬丸二郎[4][5]、妻は富士ゼロックス相談役最高顧問・小林陽太郎の妹[6]。長男は元帝国ホテル副総支配人で和光取締役執行役員の犬丸徹郎[5]、次男は演劇評論家の犬丸治

2020年3月3日死去[7]。93歳没。

著書

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  • 『帝国ホテル』(毎日新聞社 1968年)、旧帝国ホテルのガイドブック
  • 『「帝国ホテル」から見た現代史』(東京新聞出版局 2002年)
  • 『軽井沢伝説 避暑地・軽井沢に集った名士たちとの半世紀』(講談社 2011年)[8]
  • 『帝国ホテルの流儀』(集英社新書 2012年)、ガイドブック

脚注

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  1. ^ a b 「帝国ホテル」から見た現代史”. 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア. 2022年1月1日閲覧。
  2. ^ 1986/06/02、日本経済新聞、1987/05/25、日本経済新聞
  3. ^ 歴代会長日本ホテル協会
  4. ^ 1986/06/02、日本経済新聞
  5. ^ a b 【ブリリアントクラブ】犬丸徹郎氏「一流を知る人が語る『本物』とは何か」を実施しました. “マナー・プロトコール協会”. マナー・プロトコール協会. 2023年2月17日閲覧。
  6. ^ 佐藤朝泰 著 『豪閥 地方豪族のネットワーク立風書房2001年7月5日、472頁 - 483頁、ISBN 4-651-70079-9
  7. ^ 犬丸一郎氏が死去 元帝国ホテル社長”. 日本経済新聞 (2020年3月25日). 2020年3月25日閲覧。
  8. ^ 別荘先で交流のあった吉川英治白洲次郎たちの回想。

外部リンク

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先代
原正雄
帝国ホテル社長
1986年 - 1997年
次代
藤居寛