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アウトサイダーの投稿記録

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2024年9月1日 (日)

2024年4月20日 (土)

2022年10月1日 (土)

  • 02:522022年10月1日 (土) 02:52 差分 履歴 −87 真崎甚三郎 「胸には勲一等旭日大綬章を佩していた」事実による「これは自身への大命降下を期待していたものと見られている」の記述は、二・二六事件後に真崎黒幕説で喧伝されてきたことだが、参考文献の田崎末松の著書で明確に否定されている。皇軍が二派に分かれたために真崎が宮中に入るためのパスポートとして利用したというのが定説である。また、現在の研究でこの事実をもって真崎が大命降下を期待したと主張する研究者はいない。現在で否定されている歴史観を記述するべきではない。
  • 02:352022年10月1日 (土) 02:35 差分 履歴 +31 真崎甚三郎 軍の機密情報を真崎甚三郎が同郷の軍人とは言え、簡単に漏らすとは考えられない。当時から真崎に関しては流言飛語が飛び交い、それを真に受けて記す歴史家も大勢いるために検証が必要である。出典を半年間以内に明記しない場合は削除させていただきます。

2022年1月23日 (日)

2022年1月21日 (金)

2022年1月19日 (水)

  • 17:542022年1月19日 (水) 17:54 差分 履歴 −49 m 真崎甚三郎 極東軍事裁判で、自己の正当性を主張するのは当然の権利であり、全ての軍人が行っている。「責任転嫁と自己弁明に終始した」との表現は罪を他人になすりつけるような印象を与えるので不適切である。実際に、真崎に戦争責任があるなら、一番先に釈放されることはない。裁判では真崎の主張が認められ、東条英機と木戸幸一が有罪になった。当然ながら裁判の判決は真崎の主張だけを受け入れて判決を出したのではない。裁判の公平性を否定するなら、極東軍事裁判の項目で論争するべきであり、この項目で裁判の判決に対する主観性を入れるべきではない。真崎甚三郎への記述に対して客観性に悖る記述があったので修正した。
  • 17:232022年1月19日 (水) 17:23 差分 履歴 −548 m 神風特別攻撃隊 玉井浅一が戦後回想した猪口力平・中島正『神風特別攻撃隊の記録』は、指揮官の都合の良いように記述されている。例えば、二〇一空で最初の特攻を募った隊員が甲飛九期など(正しくは十期で玉井の元教え子である)信憑性にかける。玉井の証言が信憑性に欠けることは、甲飛十期会『散る桜 残る桜 甲飛十期の記録』で当事者から指摘されている。美濃部正の回想を裏付けるものはないと断言するが、美濃部の回想を否定する当事者が誰もいないことから安易に虚偽のような記述はするべきではない。玉井の発言そのものは美濃部の回想を否定する判断材料にはならない。それに、奥宮正武は当時、軍令部部員であり、玉井の発言の証言者にはなりえない。また、出典の根拠が不明であることから妥当性と公平性に欠けるため削除した。

2021年10月24日 (日)

2021年10月23日 (土)

2021年1月20日 (水)

2021年1月18日 (月)