コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「蕅益智旭」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
他言語版ウィキペディアの記事を出典から除去。ウィキペディア自身をウィキペディアの出典に使うのはWikipedia:検証可能性#ウィキペディア自身及びウィキペディアの転載サイトに抵触するため不可
m Bot作業依頼:禅から禅宗への改名によるリンク変更依頼
6行目: 6行目:
父の鍾岐仲は十年間に渡り[[大悲心陀羅尼|大悲呪]]を唱え子の出生を祈った。母の金氏は夢で[[観音菩薩]]が子を抱えているのを見て、その後出産したという<ref>{{Cite web|title=蓮宗九祖——蕅益大師-蓮宗諸祖生平与思想|url=https://www.dizang.org/fjrw/zr/009.htm|website=www.dizang.org|accessdate=2020-11-26}}</ref>。少年期は[[儒教]]の影響を受け、[[仏教]]も[[道教]]のように[[偶像崇拝]]と思っていたが、その後、一心に仏教に傾向し、以前の仏教に対する[[謗法]]を[[懺悔]]した<ref>{{Cite web|title=従吃肉到信佛、浄土祖師蕅益祖師的故事|url=https://baijiahao.baidu.com/s?id=1598732765108104959&wfr=spider&for=pc|website=baijiahao.baidu.com|accessdate=2020-11-26}}</ref>。それは憨山徳清の影響からであり、精神の夢の中で憨山徳清と会ったことがあるという。
父の鍾岐仲は十年間に渡り[[大悲心陀羅尼|大悲呪]]を唱え子の出生を祈った。母の金氏は夢で[[観音菩薩]]が子を抱えているのを見て、その後出産したという<ref>{{Cite web|title=蓮宗九祖——蕅益大師-蓮宗諸祖生平与思想|url=https://www.dizang.org/fjrw/zr/009.htm|website=www.dizang.org|accessdate=2020-11-26}}</ref>。少年期は[[儒教]]の影響を受け、[[仏教]]も[[道教]]のように[[偶像崇拝]]と思っていたが、その後、一心に仏教に傾向し、以前の仏教に対する[[謗法]]を[[懺悔]]した<ref>{{Cite web|title=従吃肉到信佛、浄土祖師蕅益祖師的故事|url=https://baijiahao.baidu.com/s?id=1598732765108104959&wfr=spider&for=pc|website=baijiahao.baidu.com|accessdate=2020-11-26}}</ref>。それは憨山徳清の影響からであり、精神の夢の中で憨山徳清と会ったことがあるという。


[[天啓 (明)|天啓]]2年([[1622年]])に憨山徳清を慕い、24歳で出家した。[[天台宗|天台]]から[[禅|禅宗]]・[[華厳宗|華厳]]・[[法相宗|法相]]まで学び、晩年は浄土信仰に尽力した。大師は三学一源論を唱え、禅宗と教宗・律宗の三学がお互いに作用しているとし、各宗派の融合を唱え、天台の教えを深く学びつつ、晩年は念仏を実践した(教演天台,行归净土)<ref>{{Cite web |title=蕅益智旭“教演天台,行归净土”思想研究_知网百科 |url=https://xuewen.cnki.net/CMFD-1021032781.nh.html |website=xuewen.cnki.net |access-date=2022-09-16}}</ref>。また儒釈同帰も唱えた。念仏三昧論を中心思想とし、心仏衆生・三無差別を理念の基礎としている。
[[天啓 (明)|天啓]]2年([[1622年]])に憨山徳清を慕い、24歳で出家した。[[天台宗|天台]]から[[禅宗]]・[[華厳宗|華厳]]・[[法相宗|法相]]まで学び、晩年は浄土信仰に尽力した。大師は三学一源論を唱え、禅宗と教宗・律宗の三学がお互いに作用しているとし、各宗派の融合を唱え、天台の教えを深く学びつつ、晩年は念仏を実践した(教演天台,行归净土)<ref>{{Cite web |title=蕅益智旭“教演天台,行归净土”思想研究_知网百科 |url=https://xuewen.cnki.net/CMFD-1021032781.nh.html |website=xuewen.cnki.net |access-date=2022-09-16}}</ref>。また儒釈同帰も唱えた。念仏三昧論を中心思想とし、心仏衆生・三無差別を理念の基礎としている。


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2023年5月5日 (金) 06:05時点における版

蕅益智旭(ぐうやく ちぎょく、1599年 - 1655年)は、中国初の高僧。俗姓は鍾氏。字は智旭。日本では智旭と呼ばれることが多い[1]。蕅益大師とも呼ばれる。江蘇省蘇州府呉県瀆川の出身。中国浄土宗の第九祖に擬せられている。明代の四大高僧(雲棲祩宏紫柏真可憨山徳清・蕅益智旭)の一人に数えられている。晩年は湖州府安吉州北天目(現在の浙江省杭州)の霊峯寺で過ごした。そのため霊峯蕅益大師とも呼ばれる。

略歴

父の鍾岐仲は十年間に渡り大悲呪を唱え子の出生を祈った。母の金氏は夢で観音菩薩が子を抱えているのを見て、その後出産したという[2]。少年期は儒教の影響を受け、仏教道教のように偶像崇拝と思っていたが、その後、一心に仏教に傾向し、以前の仏教に対する謗法懺悔した[3]。それは憨山徳清の影響からであり、精神の夢の中で憨山徳清と会ったことがあるという。

天啓2年(1622年)に憨山徳清を慕い、24歳で出家した。天台から禅宗華厳法相まで学び、晩年は浄土信仰に尽力した。大師は三学一源論を唱え、禅宗と教宗・律宗の三学がお互いに作用しているとし、各宗派の融合を唱え、天台の教えを深く学びつつ、晩年は念仏を実践した(教演天台,行归净土)[4]。また儒釈同帰も唱えた。念仏三昧論を中心思想とし、心仏衆生・三無差別を理念の基礎としている。

脚注

  1. ^ 日本国語大辞典,世界大百科事典内言及, 日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,デジタル大辞泉,精選版. “智旭とは”. コトバンク. 2022年9月16日閲覧。
  2. ^ 蓮宗九祖——蕅益大師-蓮宗諸祖生平与思想”. www.dizang.org. 2020年11月26日閲覧。
  3. ^ 従吃肉到信佛、浄土祖師蕅益祖師的故事”. baijiahao.baidu.com. 2020年11月26日閲覧。
  4. ^ 蕅益智旭“教演天台,行归净土”思想研究_知网百科”. xuewen.cnki.net. 2022年9月16日閲覧。