「ジャンヌ・カルマン」の版間の差分
編集の要約なし タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
アクアマリン2028 (会話 | 投稿記録) ジャンヌ・カルマンの記録の突出の客観的な説明に対する私見での削除に対する差し戻し。何度も根拠のない私見で削除するのであれば荒らしに該当するので留意して頂きたい。 |
||
22行目: | 22行目: | ||
| 家族= [[姉|長姉]]:マリー([[死亡|夭折]])<br />次姉:アントワーヌ(夭折)<br />[[兄]]:フランソワ(享年:97)<br />[[孫]]:フレデリック・ビイヨ(享年:36)<br />娘婿:ジョゼフ・ビイヨ(享年:72) |
| 家族= [[姉|長姉]]:マリー([[死亡|夭折]])<br />次姉:アントワーヌ(夭折)<br />[[兄]]:フランソワ(享年:97)<br />[[孫]]:フレデリック・ビイヨ(享年:36)<br />娘婿:ジョゼフ・ビイヨ(享年:72) |
||
}} |
}} |
||
'''ジャンヌ=ルイーズ・カルマン'''('''Jeanne-Louise Calment'''、[[1875年]][[2月21日]] - [[1997年]][[8月4日]]は、人類史上最も[[長寿|長生き]]をしたとされる[[フランス人]][[女性]]。存命時の本人の発言等からも122年と164日間生きたとされる。 |
'''ジャンヌ=ルイーズ・カルマン'''('''Jeanne-Louise Calment'''、[[1875年]][[2月21日]] - [[1997年]][[8月4日]]は、人類史上最も[[長寿|長生き]]をしたとされる[[フランス人]][[女性]]。存命時の本人の発言等からも122年と164日間生きたとされるが、この長寿記録に対する疑義が複数の研究者から提出されており更に他の長寿記録全般と比べて明らかに突出しており不自然な点が多いため不正な記録である可能性が極めて高いとされる。([[#世界最高記録への疑義|後述]]を参照)。 |
||
== 生涯 == |
== 生涯 == |
||
47行目: | 47行目: | ||
== 死去 == |
== 死去 == |
||
*1997年8月4日、[[老衰]]のため122歳164日で死去。 |
*1997年8月4日、[[老衰]]のため自称122歳164日で死去。 |
||
== 世界最高記録への疑義 == |
== 世界最高記録への疑義 == |
||
54行目: | 54行目: | ||
2019年に、[[ニコライ・ザーク]]、[[ヴァレリー・ノヴォセロフ]]などの[[ロシア]]の研究プロジェクトが、生前の本人のインタビューにおける発言内容や周囲の人物の証言、またそれに関する公的な書類などを検証した結果、「イヴォンヌが死亡する前と後で、ジャンヌの身体的特徴が大きく異なっている」こと<ref>{{Cite news|url=https://www.j-cast.com/tv/2019/01/08347497.html|title=仰天ミステリー! ギネス記録の世界最高齢女性、じつは娘がなりすましていた?|date=2019-01-08|publisher=J-CASTテレビウォッチ}}</ref>を理由に、「ジャンヌ本人は[[1934年]]に58歳で死亡しており、娘・イヴォンヌが[[相続税]]の支払いから逃れる目的で、母の[[戸籍]]を使用していた可能性が高い」とした上で、「[[1997年]]に死亡したのがジャンヌではなくイヴォンヌだとしたら、正確な没年齢が99歳である可能性がある」として、「ジャンヌとイヴォンヌがすり替わった」と結論付ける説を主張した<ref name=afpbb3205330>{{Cite news|title=仏女性の世界最高齢記録、実は娘の成り済まし? ロシア研究者の指摘で物議|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3205330|agency=AFPBB News|date=2019-01-07|accessdate=2020-10-30}}</ref>。 |
2019年に、[[ニコライ・ザーク]]、[[ヴァレリー・ノヴォセロフ]]などの[[ロシア]]の研究プロジェクトが、生前の本人のインタビューにおける発言内容や周囲の人物の証言、またそれに関する公的な書類などを検証した結果、「イヴォンヌが死亡する前と後で、ジャンヌの身体的特徴が大きく異なっている」こと<ref>{{Cite news|url=https://www.j-cast.com/tv/2019/01/08347497.html|title=仰天ミステリー! ギネス記録の世界最高齢女性、じつは娘がなりすましていた?|date=2019-01-08|publisher=J-CASTテレビウォッチ}}</ref>を理由に、「ジャンヌ本人は[[1934年]]に58歳で死亡しており、娘・イヴォンヌが[[相続税]]の支払いから逃れる目的で、母の[[戸籍]]を使用していた可能性が高い」とした上で、「[[1997年]]に死亡したのがジャンヌではなくイヴォンヌだとしたら、正確な没年齢が99歳である可能性がある」として、「ジャンヌとイヴォンヌがすり替わった」と結論付ける説を主張した<ref name=afpbb3205330>{{Cite news|title=仏女性の世界最高齢記録、実は娘の成り済まし? ロシア研究者の指摘で物議|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3205330|agency=AFPBB News|date=2019-01-07|accessdate=2020-10-30}}</ref>。 |
||
また母娘入れ替わり説の真偽以前に2024年現在60人以上存在する115歳以上の記録で2位の[[田中カ子]]の119歳107日の記録に対して3歳以上も突出しており田中カ子の記録はそれ以下の記録とも突出していない。因みに男性の最高記録は[[木村次郎右衛門]]の116歳54日であり、2位の[[クリスチャン・モーテンセン]]の115歳252日の記録と突出しておらずそれ以下の記録とも突出していない。そのため記録的に見てジャンヌ・カルマンの122歳164日という記録はこれまでの長寿記録全般に対して明らかに不自然に突出しており、不正な記録である可能性が極めて高いと示唆される。 |
|||
[[ジェロントロジー・リサーチ・グループ|GRG]]も2024年現在もジャンヌの記録を認定している一方で、長寿記録の審査を厳格化すべきだという意見も上がっている<ref name=afpbb3205330 />。 |
[[ジェロントロジー・リサーチ・グループ|GRG]]も2024年現在もジャンヌの記録を認定している一方で、長寿記録の審査を厳格化すべきだという意見も上がっている<ref name=afpbb3205330 />。 |
2024年1月16日 (火) 05:23時点における版
ジャンヌ=ルイーズ・カルマン Jeanne-Louise Calment | |
---|---|
40歳のときのジャンヌ | |
生誕 |
1875年2月21日 (同一人物でない可能性あり) フランス共和国・アルル |
死没 |
1997年8月4日 フランス・アルル |
死因 | 老衰 |
住居 | フランス共和国 → フランス |
国籍 | フランス共和国 → フランス |
民族 | フランス |
時代 | フランス第三共和政時代前期 - フランス第五共和政時代 |
著名な実績 | 人類史上最も長生きをした人物 |
活動拠点 | フランス共和国 → フランス |
配偶者 | フェルナン・カルマン(1896年 – 1942年(享年 :74) |
子供 | 長女:イヴォンヌ・カルマン(享年:36) |
親 |
父:ニコラ・カルマン(Nicolas Calment)(享年:93)[1] 母:マルグリット・ジル(Marguerite Gilles)(享年:86)[1] |
親戚 | はとこ:フェルナン・カルマン |
家族 |
長姉:マリー(夭折) 次姉:アントワーヌ(夭折) 兄:フランソワ(享年:97) 孫:フレデリック・ビイヨ(享年:36) 娘婿:ジョゼフ・ビイヨ(享年:72) |
ジャンヌ=ルイーズ・カルマン(Jeanne-Louise Calment、1875年2月21日 - 1997年8月4日は、人類史上最も長生きをしたとされるフランス人女性。存命時の本人の発言等からも122年と164日間生きたとされるが、この長寿記録に対する疑義が複数の研究者から提出されており更に他の長寿記録全般と比べて明らかに突出しており不自然な点が多いため不正な記録である可能性が極めて高いとされる。(後述を参照)。
生涯
1875年2月21日、フランスのアルルにて、船大工であったニコラと、製粉業者の令嬢だったマルグリットの三女として生まれたとされる。
1876年の国勢調査で1歳と記録されている。両親の間には4人の子がいたが(長女マリー、次女アントワーヌ、長男フランソワ及び三女ジャンヌ)、マリーとアントワーヌはジャンヌが生まれる前に幼くして死亡している[1]。
記憶によると1888年、13歳のときに、アルルに滞在中であった画家のフィンセント・ファン・ゴッホが、親族の営む画材店へ絵の具と鉛筆を買いに訪れたときに出会ったという[2]。ゴッホは2年後の1890年7月29日に亡くなった。また、エッフェル塔が建設(1889年完工)されたことや、1885年にヴィクトル・ユーゴーの大規模な国葬が行われたことを記憶していた。
家族の多くは比較的とても長生きで、兄・フランソワは97歳、父・ニコラは93歳、母・マルグリットは86歳まで生きた[3]。
1896年にはとこのフェルナン・カルマンと結婚した。夫・フェルナン、娘のイヴォンヌ、娘婿であるジョゼフ・ビイヨ大尉を超えて長生きした[1]。一人だけの孫、フレデリック・ビイヨは医師になったが、オートバイ事故に遭い36歳で死去している。
1965年、相続人がいなくなり、当時の公証人であったフランソワ・ラフレーと、フランスでは一般的なリバースモーゲージの契約を交わし、コンドミニウム・アパートメントを売る代わりに、ラフレーより毎月一定金額(2500フラン)が払われることになった。契約をした90歳のとき、アパートメントは10年分の支払いの価値があった。1995年12月、ラフレーは77歳で死去したが、その後もジャンヌが存命していたため、ラフレーの未亡人は毎月の支払いを続行しなければならなかった。そのためラフレー夫婦は、家に2倍以上の価格をトータルで払ったことになる[4]。
国際的に有名になったきっかけは、1988年にゴッホの「ひまわり」作画百年記念の際、直接会った人としてインタビューを受け、ゴッホを「みすぼらしい服装で、酒癖が良くない人物だった」と評したことであった[4][5]。
インタビュー後、1989年に満113歳とされる年齢で世界最高齢の人物としてギネスブックに掲載された。
死去
- 1997年8月4日、老衰のため自称122歳164日で死去。
世界最高記録への疑義
ジャンヌが122歳164日まで生存したという主張については、存命中より複数の専門家・学者から疑義が呈されてはいた。没後間もなく、老齢学者・トム・カークウッドより、娘・イヴォンヌと入れ替わっている可能性が示唆され、日本では、高齢社会について著書の多いジャーナリスト・フリーライターの山本思外里が、自身のブログ内で、長寿記録に疑問を呈している[6][7](ただし、山本の指摘の中には「ジャンヌの家系には長寿者は他に見当たらない」といった、上記の通り両親が90歳前後まで生きていることから誤りとするべきものも存在する。また「1934年当時存命であったジャンヌの夫と兄には何と言って協力してもらうのか」という点についても特段説明がない)。
2019年に、ニコライ・ザーク、ヴァレリー・ノヴォセロフなどのロシアの研究プロジェクトが、生前の本人のインタビューにおける発言内容や周囲の人物の証言、またそれに関する公的な書類などを検証した結果、「イヴォンヌが死亡する前と後で、ジャンヌの身体的特徴が大きく異なっている」こと[8]を理由に、「ジャンヌ本人は1934年に58歳で死亡しており、娘・イヴォンヌが相続税の支払いから逃れる目的で、母の戸籍を使用していた可能性が高い」とした上で、「1997年に死亡したのがジャンヌではなくイヴォンヌだとしたら、正確な没年齢が99歳である可能性がある」として、「ジャンヌとイヴォンヌがすり替わった」と結論付ける説を主張した[9]。
また母娘入れ替わり説の真偽以前に2024年現在60人以上存在する115歳以上の記録で2位の田中カ子の119歳107日の記録に対して3歳以上も突出しており田中カ子の記録はそれ以下の記録とも突出していない。因みに男性の最高記録は木村次郎右衛門の116歳54日であり、2位のクリスチャン・モーテンセンの115歳252日の記録と突出しておらずそれ以下の記録とも突出していない。そのため記録的に見てジャンヌ・カルマンの122歳164日という記録はこれまでの長寿記録全般に対して明らかに不自然に突出しており、不正な記録である可能性が極めて高いと示唆される。
GRGも2024年現在もジャンヌの記録を認定している一方で、長寿記録の審査を厳格化すべきだという意見も上がっている[9]。
健康とライフスタイル
フェンシングはジャンヌ・カルマンが満85歳とされる時から始め、自転車は満100歳とされる時まで乗った[3]。1週間に1キログラムのチョコレートを食べていたとされている[5]。料理中に小さな火事が起こったことをきっかけにして、1985年に満110歳とされる時で施設に移ったが、1990年1月、満114歳とされる時のときに大腿骨を骨折し手術を受けるまでは歩行することができた。手術を受ける間、「私はメトシェラと競合する」と喋っていたという。
満114歳とされる時に本人役で映画『Vincent and Me』に出演して史上最年長の女優にもなった[10]。1995年にフランス語ドキュメンタリー「Beyond 120 Years with Jeanne Calment」がリリースされた。1996年に彼女が住んでいた施設はCD「Time's Mistress」をリリース。彼女の語りやラップなどがミックスされている
20歳代から喫煙していたが、タバコに火をつけてくれる介護者のことを気遣って、満117歳とされる時に禁煙したという[4]。
脚注
- ^ a b c d Yvonne Marie Nicole Calment Billiot (1898 - 1934) - Find A Grave Memorial Find a Grave 2014年5月24日閲覧。
- ^ “Oldest person”. 2014年6月8日閲覧。 Guinness World Records
- ^ a b “史上最も長生きは仏人女性の122歳 117歳まで喫煙していた” (2014年4月29日). 2020年10月30日閲覧。
- ^ a b c “Jeanne Calment, World's Elder, Dies at 122”. 2020年10月30日閲覧。 - ニューヨーク・タイムズ、1997年8月5日
- ^ a b World's oldest person dead McCook Daily Gazette
- ^ 山本思外里の「老年学ノート」 : 『122歳』のウソ(2016年06月25日 16:59付)
- ^ 山本思外里の「老年学ノート」 : 『122歳のウソ』再論(2017年05月26日 21:22付)
- ^ “仰天ミステリー! ギネス記録の世界最高齢女性、じつは娘がなりすましていた?”. J-CASTテレビウォッチ. (2019年1月8日)
- ^ a b “仏女性の世界最高齢記録、実は娘の成り済まし? ロシア研究者の指摘で物議”. AFPBB News. (2019年1月7日) 2020年10月30日閲覧。
- ^ クレイグ・グレンディ『ギネス世界記録2014(Guinness world records)日本語版』、58頁。
関連項目
- 寿命
- 老化
- センテナリアン
- スーパーセンテナリアン
- 泉重千代 - 同じく、死亡時の年齢について疑問視されている人物であり、ギネス記録を取り消されている。
- 木村次郎右衛門 - 男性の史上最高齢
- 李青曇 - 実在した証拠のある人物の内、最も長生きした人物で、ギネス非公認記録である。
外部リンク
- Jeanne Louise Calment Photo Gallery - ジャンヌ・カルマンの20歳から122歳までの画像集。