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ラキシュに言及している最も古い記録は「エルミタージュ・パピルス1116A(Papyrus Hermitage 1116A)」であり、[[アメンホテプ2世]]の時代におけるカナン諸都市とエジプトとの交流が記されている。また、[[アマルナ文書]]には[[アメンホテプ3世]]と[[アメンホテプ4世]]の時代におけるラキシュとエジプトとのやりとりが残っている。<ref>『[[#50 major cities|50 major cities of the Bible]]』 178ページ</ref>
ラキシュに言及している最も古い記録は「エルミタージュ・パピルス1116A(Papyrus Hermitage 1116A)」であり、[[アメンホテプ2世]]の時代におけるカナン諸都市とエジプトとの交流が記されている。また、[[アマルナ文書]]には[[アメンホテプ3世]]と[[アメンホテプ4世]]の時代におけるラキシュとエジプトとのやりとりが残っている。<ref>『[[#50 major cities|50 major cities of the Bible]]』 178ページ</ref>


アッシリアの首都である[[ニネヴェ (メソポタミア)|ニネヴェ]]のセンナケリブの宮殿の壁には、ラキシュが陥落したことを記念する[[レリーフ]]が作られた。これは現在、[[大英博物館]]に展示されている。このレリーフには、アッシリア兵による攻城戦の様子やラキシュから捕虜を得て凱旋する様子が描かれている。<ref>BBC - A History of the World - Object : Lachish Reliefs
アッシリアの首都である[[ニネヴェ]]のセンナケリブの宮殿の壁には、ラキシュが陥落したことを記念する[[レリーフ]]が作られた。これは現在、[[大英博物館]]に展示されている。このレリーフには、アッシリア兵による攻城戦の様子やラキシュから捕虜を得て凱旋する様子が描かれている。<ref>BBC - A History of the World - Object : Lachish Reliefs
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2023年12月4日 (月) 21:55時点における最新版

ラキシュの遺構

ラキシュ(英語:Lachish,ヘブライ語: לכיש‎,ギリシア語: Λαχις)は、かつてパレスチナに存在した都市である。『文語訳聖書』や『口語訳聖書』ではラキシエルサレムの南西45kmに位置する。

聖書の記述

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ラキシュの位置(イスラエル内)
ラキシュ
ラキシュ
エルサレム
エルサレム
ヘブロン
ヘブロン
エグロン
エグロン
ギブオン
ギブオン
アイ
アイ
エリコ
エリコ
アゼカ
アゼカ
ヨシュア記10章に出てくるカナンの都市

イスラエル人の入植

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ヘブライ語聖書』でラキシュが最初に登場するのは「ヨシュア記」10章であり、この時はヤフィア英語版を王とするアムル人都市国家である。

ヨシュアが率いるイスラエル人ヨルダン川を渡ってカナンに進出し、エリコアイを攻め滅ぼして、ギブオンとは講和した。この勢いに驚いたエルサレム王アドニ・ツェデク英語版は、アムル人の5つの都市国家であるエルサレム、ヘブロンヤルムテ英語版、ラキシュ、エグロン英語版からなる反イスラエル同盟を結成した。そして、反イスラエル同盟軍は、イスラエルと単独講和していたギブオンを攻撃した。

しかし、イスラエル軍が応戦した上に、天からが降ったことによって反イスラエル同盟軍は壊滅した。潰走した残党はアゼカとマケダまで逃亡したが、5人の王は全員殺されて晒された。その後、イスラエル軍はラキシュを含む各都市を攻略した。

ユダ王国時代

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ラキシュは、パレスチナ分割相続の際にユダ族の相続地になった。[1]ソロモンの死後、イスラエル王国は分裂して、南パレスチナにはレハブアムを初代国王とするユダ王国が成立した。レハブアムはラキシュを含む都市の防備を固めた。[2]

ユダ王国のアマツヤ王は、エルサレムで謀反があった時にラキシュに逃れたが、追手により殺害された。[3]

ユダ王国のヒゼキヤ王の時代、ラキシュはアッシリアの王センナケリブが率いるアッシリア軍に包囲[4]され、アッシリア軍の拠点となった[5]が、その後アッシリア軍はリブナを攻めるために退去した。[6]

ユダ王国のゼデキヤ王はエジプト新バビロニアの板ばさみになった挙句、和平交渉に失敗した。この結果、新バビロニアのネブカドネザル2世は、ユダ王国に遠征して全域を制圧した。ラキシュとアゼカのみが最後まで抵抗した[7]が、紀元前586年に陥落して破壊しつくされた。この後、ユダ王国の住人は新バビロニアへと移住させられた(バビロン捕囚)。

考古学上のラキシュ

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ラキシュの城壁を攻略するアッシリア軍
ラキシュ文書III(表)

ラキシュに言及している最も古い記録は「エルミタージュ・パピルス1116A(Papyrus Hermitage 1116A)」であり、アメンホテプ2世の時代におけるカナン諸都市とエジプトとの交流が記されている。また、アマルナ文書にはアメンホテプ3世アメンホテプ4世の時代におけるラキシュとエジプトとのやりとりが残っている。[8]

アッシリアの首都であるニネヴェのセンナケリブの宮殿の壁には、ラキシュが陥落したことを記念するレリーフが作られた。これは現在、大英博物館に展示されている。このレリーフには、アッシリア兵による攻城戦の様子やラキシュから捕虜を得て凱旋する様子が描かれている。[9]

1929年エウセビオスの『聖書における地名英語版』の記述に基づき、ウィリアム・オルブライトはラキシュの位置を当時のテル・エド・ドゥウェイル(Tell ed-Duweir)に比定した。ジェームズ・L・スターキー英語版らによる1932年からの調査の結果、1935年古ヘブライ文字オストラコンが発見され、オルブライトの説が裏付けられた。 [10]

このラキシュ文書と呼ばれている陶片は、ラキシュとエルサレム間の連絡将校ヤオシュに送られた軍事上の公文書である。それらの文書からユダ王国陥落直前の様子が明らかにされた。

出典

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  1. ^ ヨシュア記15章、ネヘミヤ記11章
  2. ^ 歴代誌下11章
  3. ^ 歴代誌下25章、列王記下14章
  4. ^ 歴代誌下32章
  5. ^ 列王記下18章、イザヤ書36章
  6. ^ イザヤ書37章
  7. ^ エレミヤ書34章
  8. ^ 50 major cities of the Bible』 178ページ
  9. ^ BBC - A History of the World - Object : Lachish Reliefs
  10. ^ 50 major cities of the Bible』 176ページ

参考文献

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外部リンク

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  • Laughlin, John (2006). 50 major cities of the Bible. Taylor & Francis. ISBN 0415223148 

座標: 北緯31度33分54秒 東経34度50分56秒 / 北緯31.565度 東経34.849度 / 31.565; 34.849