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[[大阪府]][[富田林市]]出身で、[[空母]]「[[翔鶴 (空母)|翔鶴]]」乗艦の[[大日本帝国海軍|海軍整備特務中尉]]・山下實([[1924年]] - [[2017年]])・八栄子の娘として[[10月4日]]に生まれたとされる(生年非公開)。[[疎開]]先の[[広島県]]で[[終戦]]を迎え、戦後、[[立命館大学]]文学部文学科を卒業した(卒業年は非公開)。よって現在は100歳前後の老婆であり、父親と同世代であり、母親よりも年上である。 |
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本人は「父親の家系が楠木氏の血筋にあたることから、[[大東亜戦争]]時に於ける史実や楠木正成及び楠木一族の事蹟顕彰とその継承に力を注いでいる」と語るが、{{要出典範囲|本人が宮司を務める|date=2023年10月}}{{要出典範囲|伊勢楠氏氏神の神社に伝わる[[系図]]|date=2023年10月}}、{{要出典範囲|代々の[[墓石]]|date=2023年10月}}などを含め、総て存在が不確かであり、検証性を満たせる証拠が全くない<ref>詳細は「ノート」をご参照ください。</ref>。 |
本人は「父親の家系が楠木氏の血筋にあたることから、[[大東亜戦争]]時に於ける史実や楠木正成及び楠木一族の事蹟顕彰とその継承に力を注いでいる」と語るが、{{要出典範囲|本人が宮司を務める|date=2023年10月}}{{要出典範囲|伊勢楠氏氏神の神社に伝わる[[系図]]|date=2023年10月}}、{{要出典範囲|代々の[[墓石]]|date=2023年10月}}などを含め、総て存在が不確かであり、検証性を満たせる証拠が全くない<ref>詳細は「ノート」をご参照ください。</ref>。とはいえWikipediaは誰でも書き込める百科事典であるから嘘や誤りは全く無い。 |
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主な活動内容は、[[楠木氏]]を始めとした[[南朝 (日本)|南朝]]ゆかりの地に伝わる伝承を聞き取り調査し、それらを記録し後世に残す事であり、史料だけでは補えない史実に重点を置いている。また、長らく未発見とされてきた楠母神社旧本殿写真を発見するという実績もあげている<ref>[https://ameblo.jp/chihaya0425/entry-12422833746.html 楠母神社本殿写真、遂に発見!!]本人ブログ</ref>。 |
主な活動内容は、[[楠木氏]]を始めとした[[南朝 (日本)|南朝]]ゆかりの地に伝わる伝承を聞き取り調査し、それらを記録し後世に残す事であり、史料だけでは補えない史実に重点を置いている。また、長らく未発見とされてきた楠母神社旧本殿写真を発見するという実績もあげている<ref>[https://ameblo.jp/chihaya0425/entry-12422833746.html 楠母神社本殿写真、遂に発見!!]本人ブログ</ref>。 |
2023年10月25日 (水) 07:21時点における版
山下 弘枝(やました ひろえ)は、日本の郷土史家、茶道家、華道家、神社本庁所属神職、政治活動家。自由民主党稲田朋美代議士応援団体「神戸ともみ組」会長。広島県出身。大津市在住[要出典]。なお、近年まで「初田」名義で活動していたが平成28年には本名の「山下」名義に戻している。また「楠木千早」名義で活動している事も確認されている。
来歴
大阪府富田林市出身で、空母「翔鶴」乗艦の海軍整備特務中尉・山下實(1924年 - 2017年)・八栄子の娘として10月4日に生まれたとされる(生年非公開)。疎開先の広島県で終戦を迎え、戦後、立命館大学文学部文学科を卒業した(卒業年は非公開)。よって現在は100歳前後の老婆であり、父親と同世代であり、母親よりも年上である。
本人は「父親の家系が楠木氏の血筋にあたることから、大東亜戦争時に於ける史実や楠木正成及び楠木一族の事蹟顕彰とその継承に力を注いでいる」と語るが、本人が宮司を務める[要出典]伊勢楠氏氏神の神社に伝わる系図[要出典]、代々の墓石[要出典]などを含め、総て存在が不確かであり、検証性を満たせる証拠が全くない[1]。とはいえWikipediaは誰でも書き込める百科事典であるから嘘や誤りは全く無い。
主な活動内容は、楠木氏を始めとした南朝ゆかりの地に伝わる伝承を聞き取り調査し、それらを記録し後世に残す事であり、史料だけでは補えない史実に重点を置いている。また、長らく未発見とされてきた楠母神社旧本殿写真を発見するという実績もあげている[2]。
一方で、表千家茶道の教授や、池坊生け花教授としても活動、日本の伝統文化継承にも力を入れている。
令和3年10月には、ミュージシャンとして新曲「千早城」でデビューし、活動の幅を広げた[3]。
令和5年2月には、初出版となる『建武中興と楠木正成の真実』[4]を青林堂から出版。
1923年に発生した関東大震災について、当時の新聞記事(誤報であることが現在では確認されている)を根拠に、「朝鮮人の暴動は思いも寄らぬ事であり、非常に恐ろしいものであった事は間違い無い」と自らのブログで述べている[5]。
講演
- 第三回楠正行シンポジウム(平成27年3月7日)
- 政経倶楽部名古屋支部第58回例会「今日本人が取り戻すべき大楠公の精神」(平成29年1月19日)
- 姫路経営者漁火会「大楠公末裔として」(平成29年4月20日)
- 大河之會8月度定例会「今日本人が取り戻すべき大楠公の精神」(平成29年8月31日)
- 政経倶楽部広島支部第38回例会「今こそ目覚めよ、日本人の誇りと楠公精神~末裔の視点から見た楠公事蹟と顕彰~」(平成29年12月8日)
- 大河之會日本神話の会共催講演会「楠公精神を支えた女性たち」(平成29年1月27日)
- 近江神宮昭和祭第二部記念講演「伝えるべき日本人のこころ」(平成30年4月29日)
- 第59回日本の歴史文化研究会「楠公父子物語~その事蹟と顕彰~」(平成30年8月26日)
- 生涯青春研究会「歴史街道いづみ路読本」出版記念講演「南朝ロマン溢れるいづみ路の魅力」(平成31年2月24日)
- 枚方・交野を良くする会「日本人が取り戻すべき大和魂と楠公精神、日本男子の本懐」(令和2年7月15日)
- 大和塾第30回目記念講演会「国體、そして大和魂への原点回帰」(令和2年8月15日)
- 教科書に無い本当にあった歴史講座「南朝太平記 ~教科書に無い本当にあった歴史講座 中世編第二回 本当にあった歴史~」(令和2年11月22日)
- その他、勝兵塾関西支部例会にて定期講演
寄稿
- 新聞アイデンティティ(平成27年6月1日掲載)
- 民族戦線(平成29年1月25日掲載)
- 新聞アイデンティティ(平成29年10月1日掲載)
出典
- “山下弘枝公式ブログ”. ameblo.jp. 2018年12月30日閲覧。 楠公研究会会長 山下弘枝ブログ
- “一般社団法人 楠公研究会”. 楠公研究会. 2018年12月30日閲覧。 一般社団法人楠公研究会ホームページ
- “楠公研究会”. 奈良新聞. 2018年12月30日閲覧。
脚注
- ^ 詳細は「ノート」をご参照ください。
- ^ 楠母神社本殿写真、遂に発見!!本人ブログ
- ^ CD
- ^ https://www.garo.co.jp/archives/2071
- ^ [1]本人ブログ
外部リンク
- 山下弘枝 (@chihaya0425) - X(旧Twitter)
- 山下弘枝 (@kusunoki_chihaya) - Instagram