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'''汾陽善昭'''(ふんよう ぜんしょう)は、[[宋 (王朝)|宋代]]に活動した[[臨済宗]]の禅僧。諡号は'''無徳禅師'''。[[臨済義玄|臨済]]下6世。 |
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[[天福 (後晋)|天福]]12年([[947年]])に[[太原府|太原]]にて生誕。俗姓は兪氏。出家の後方々の禅匠の許で研鑽し、[[首山省念]]により法嗣と認められた。その後、[[汾州 (唐)|汾陽]]太子院に住し法を説く。[[天聖]]2年([[1024年]])寂。法嗣に[[石霜楚円]]がいる。また、語録として汾陽無徳禅師語録、汾陽昭禅師語録ならびに汾陽昭禅師語要があり、『[[景徳 |
[[天福 (後晋)|天福]]12年([[947年]])に[[太原府|太原]]にて生誕。俗姓は兪氏。出家の後方々の禅匠の許で研鑽し、[[首山省念]]により法嗣と認められた。その後、[[汾州 (唐)|汾陽]]太子院に住し法を説く。[[天聖]]2年([[1024年]])寂。法嗣に[[石霜楚円]]がいる。また、語録として汾陽無徳禅師語録、汾陽昭禅師語録ならびに汾陽昭禅師語要があり、『[[景徳伝灯録]]』巻13に記事がある。 |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
2023年9月19日 (火) 23:13時点における版
汾陽善昭 | |
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天福12年 - 天聖2年 (947年 - 1024年) | |
諡号 | 無徳禅師 |
生地 | 太原 |
宗派 | 臨済宗 |
寺院 | 汾陽太子院 |
師 | 首山省念 |
弟子 | 石霜楚円 |
汾陽善昭(ふんよう ぜんしょう)は、宋代に活動した臨済宗の禅僧。諡号は無徳禅師。臨済下6世。
天福12年(947年)に太原にて生誕。俗姓は兪氏。出家の後方々の禅匠の許で研鑽し、首山省念により法嗣と認められた。その後、汾陽太子院に住し法を説く。天聖2年(1024年)寂。法嗣に石霜楚円がいる。また、語録として汾陽無徳禅師語録、汾陽昭禅師語録ならびに汾陽昭禅師語要があり、『景徳伝灯録』巻13に記事がある。
参考文献
- 禅学大辞典編纂所 編 『新版 禅学大辞典』pp.690,691 1985年
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