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「山口真 (ジャーナリスト)」の版間の差分

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慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、[[1985年]]にフジテレビ(現・[[フジ・メディア・ホールディングス]])入社。
慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、[[1985年]]にフジテレビ(現・[[フジ・メディア・ホールディングス]])入社。


報道局へ配属された直後に[[日本航空123便墜落事故]]が発生し、事故現場である[[御巣鷹の尾根]]へ先輩たちと同行した際に生存者がいた事を知らされ、山口は当時入社1年目でありながら急遽事故現場から生存者の報告を担当する事となった。当時は[[中継車]]と交信ができない地点から利用する小型衛星中継技術がまだ確立されておらず<ref>現在は可搬型地球局やインマルサットBGANといった小型衛星中継装置があるため、御巣鷹の尾根のような険しい山奥からでも容易に中継が可能である。</ref>、導入したばかりの[[中継放送|ヘリスター]]を使用する事でフジテレビだけが唯一、事故翌日の昼のニュース番組『[[FNNニュースレポート11:30]]』で墜落地点からの生中継と生存者救出の映像を放送する事に成功した。当時の山口の生存者報告映像は、現在でもフジテレビの同墜落事故関連番組などで使用される事がある<ref>近年では『[[フジテレビ50ッスth!#激動!世紀の大事件〜証言者たちが明かす全真相〜|フジテレビ50ッスth!激動!世紀の大事件〜証言者たちが明かす全真相〜]]』([[2009年]][[3月1日]]放送)内の日航ジャンボ機事故特集で使用された。</ref>。尚、山口の両親は[[日本航空]]の元客室乗務員である<ref>『フジTV「一年生」が震えた御巣鷹山の凄惨』[[週刊文春]]2000年1月6日・13日特大号</ref>。
報道局へ配属された直後に[[日本航空123便墜落事故]]が発生し、事故現場である[[御巣鷹の尾根]]へ先輩たちと同行した際に生存者がいた事を知らされ、山口は当時入社1年目でありながら急遽事故現場から生存者の報告を担当する事となった。当時は[[中継車]]と交信ができない地点から利用する小型衛星中継技術がまだ確立されておらず<ref>現在は可搬型地球局やインマルサットBGANといった小型衛星中継装置があるため、御巣鷹の尾根のような険しい山奥からでも容易に中継が可能である。</ref>、導入したばかりの[[中継放送|ヘリスター]]を使用する事でフジテレビだけが唯一、事故翌日の昼のニュース番組『[[FNNニュースレポート11:30]]』で墜落地点からの生中継と生存者救出の映像を放送する事に成功した。当時の山口の生存者報告映像は、現在でもフジテレビの同墜落事故関連番組などで使用される事がある<ref>近年では『[[フジテレビ50ッスth!#激動!世紀の大事件〜証言者たちが明かす全真相〜|フジテレビ50ッスth!激動!世紀の大事件〜証言者たちが明かす全真相〜]]』([[2009年]][[3月1日]]放送)内の日航ジャンボ機事故特集で使用された。</ref>。尚、山口の両親は[[日本航空]]の元客室乗務員である<ref>『フジTV「一年生」が震えた御巣鷹山の凄惨』[[週刊文春]]2000年1月6日・13日特大号</ref>。この時の取材班の一人には後に[[従軍記者]]として名を馳せ、奇しくも墜落事故で事故死した入江敏彦もいた。([[都民ファーストの会]]議員入江伸子の夫。)<ref>{{Cite web |url=https://irienobuko.com/profile/ |title= |access-date=}}</ref>


その後は社会部・政治部記者、報道ディレクター、編成局編成部や[[スカパーJSAT|スカイパーフェクTV!]]出向、映画事業局映画調整部担当部長、クリエイティブ事業推進センター室長兼クリエイティブ事業営業部長、編成制作局編成担当局長・兼編成センター室長、コンテンツ事業局長を経て現職。
その後は社会部・政治部記者、報道ディレクター、編成局編成部や[[スカパーJSAT|スカイパーフェクTV!]]出向、映画事業局映画調整部担当部長、クリエイティブ事業推進センター室長兼クリエイティブ事業営業部長、編成制作局編成担当局長・兼編成センター室長、コンテンツ事業局長を経て現職。

2023年8月25日 (金) 13:54時点における版

山口 真(やまぐち まこと、1962年 - )は、フジテレビジョン報道局長兼FNN事務局長兼解説委員、元報道記者慶應義塾大学法学部政治学科卒業[1]

来歴・人物

慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、1985年にフジテレビ(現・フジ・メディア・ホールディングス)入社。

報道局へ配属された直後に日本航空123便墜落事故が発生し、事故現場である御巣鷹の尾根へ先輩たちと同行した際に生存者がいた事を知らされ、山口は当時入社1年目でありながら急遽事故現場から生存者の報告を担当する事となった。当時は中継車と交信ができない地点から利用する小型衛星中継技術がまだ確立されておらず[2]、導入したばかりのヘリスターを使用する事でフジテレビだけが唯一、事故翌日の昼のニュース番組『FNNニュースレポート11:30』で墜落地点からの生中継と生存者救出の映像を放送する事に成功した。当時の山口の生存者報告映像は、現在でもフジテレビの同墜落事故関連番組などで使用される事がある[3]。尚、山口の両親は日本航空の元客室乗務員である[4]。この時の取材班の一人には後に従軍記者として名を馳せ、奇しくも墜落事故で事故死した入江敏彦もいた。(都民ファーストの会議員入江伸子の夫。)[5]

その後は社会部・政治部記者、報道ディレクター、編成局編成部やスカイパーフェクTV!出向、映画事業局映画調整部担当部長、クリエイティブ事業推進センター室長兼クリエイティブ事業営業部長、編成制作局編成担当局長・兼編成センター室長、コンテンツ事業局長を経て現職。

横浜FCのサポーターでもある[6]

過去の担当番組

関連項目

脚注

  1. ^ フジテレビ クリエイティブ事業局の挑戦 <第2章>(セミナーズ)
  2. ^ 現在は可搬型地球局やインマルサットBGANといった小型衛星中継装置があるため、御巣鷹の尾根のような険しい山奥からでも容易に中継が可能である。
  3. ^ 近年では『フジテレビ50ッスth!激動!世紀の大事件〜証言者たちが明かす全真相〜』(2009年3月1日放送)内の日航ジャンボ機事故特集で使用された。
  4. ^ 『フジTV「一年生」が震えた御巣鷹山の凄惨』週刊文春2000年1月6日・13日特大号
  5. ^ Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 title は必須です。[1]”. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  6. ^ アドテック東京

外部リンク