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「ランス・アンソニー・オサリバン」の版間の差分

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[[ワールドスーパージョッキーズシリーズ]]には、第1回(1987年)から第16回(2002年)までの間に計9回出場したが、1度も3位以内に入ることはできなかった。
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2003年、騎手を引退。通算2479勝<ref name="優駿201012 />。引退後は、[[香港]]で開業した兄・[[ポール・アンソニー・オサリバン|ポール]]の後を引き継ぎ、ニュージーランドで調教師となった。
2003年、騎手を引退。通算2479勝<ref name="優駿201012" />。引退後は、[[香港]]で開業した兄・[[ポール・アンソニー・オサリバン|ポール]]の後を引き継ぎ、ニュージーランドで調教師となった。


2008年11月9日、第2回[[ジョッキーマスターズ]]競走に出場するため日本に訪れる<ref>[http://www.daily.co.jp/horse/2008/09/30/0001495140.shtml 往年の名騎手が国際決戦] デイリースポーツ 2008年9月30日閲覧</ref>。結果は4着だった。このとき、第9回ジャパンカップで戦った[[オグリキャップの一般公開]]が東京競馬場で行われ、オサリバンも岡部幸雄や南井克己と並び、パドックでオグリキャップに対してコメントを行った。
2008年11月9日、第2回[[ジョッキーマスターズ]]競走に出場するため日本に訪れる<ref>[http://www.daily.co.jp/horse/2008/09/30/0001495140.shtml 往年の名騎手が国際決戦] デイリースポーツ 2008年9月30日閲覧</ref>。結果は4着だった。このとき、第9回ジャパンカップで戦った[[オグリキャップの一般公開]]が東京競馬場で行われ、オサリバンも岡部幸雄や南井克己と並び、パドックでオグリキャップに対してコメントを行った。

2023年7月29日 (土) 00:11時点における版

ランス・アンソニー・オサリバンLance Anthony O'Sullivan1963年8月28日 - )は、ニュージーランド出身の元騎手、現調教師

経歴

父のデイヴ・オサリバンはニュージーランド競馬界屈指の調教師として知られており、また兄のポール・オサリバンも調教師という競馬一家である。

1985/86年シーズンに年間143勝し、ニュージーランド歴代年間最多勝記録を更新した[1]

1986年11月9日、富士ステークスでニュージーランドのアワウェイバリースターに騎乗し優勝。来日初勝利を挙げる。11月23日には第6回ジャパンカップでアワウェイバリースターに騎乗。同馬は2番人気に推されたが、ジュピターアイランドの5着に敗れた。

1989年11月26日、第9回ジャパンカップホーリックスに騎乗。南井克巳騎乗のオグリキャップと激しいデッドヒートを演じた末、2分22秒2のコースレコードで優勝した。 ワールドスーパージョッキーズシリーズには、第1回(1987年)から第16回(2002年)までの間に計9回出場したが、1度も3位以内に入ることはできなかった。

2003年、騎手を引退。通算2479勝[1]。引退後は、香港で開業した兄・ポールの後を引き継ぎ、ニュージーランドで調教師となった。

2008年11月9日、第2回ジョッキーマスターズ競走に出場するため日本に訪れる[2]。結果は4着だった。このとき、第9回ジャパンカップで戦ったオグリキャップの一般公開が東京競馬場で行われ、オサリバンも岡部幸雄や南井克己と並び、パドックでオグリキャップに対してコメントを行った。

2008年に遠征した名古屋競馬所属で女性騎手の山本茜を、2017年には後にニュージーランドで騎手免許を取得する柳田泰己[3]をそれぞれ厩舎に受け入れている。

主な勝鞍(騎手時代)

脚注

  1. ^ a b 『優駿』2010年12月号、25頁。 
  2. ^ 往年の名騎手が国際決戦 デイリースポーツ 2008年9月30日閲覧
  3. ^ 死去した柳田泰己騎手を同僚ら追悼「あなたはいつも私の心の中に」10日の開催は喪章を付け騎乗 - 日刊スポーツ 2022年8月10日

関連項目