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「佐世保大空襲」の版間の差分

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2022年6月29日、佐世保空襲の死没者追悼式が、[https://gaisenkinenhall.com 佐世保市民文化ホール(凱旋記念ホール)]で開かれた。犠牲者の冥福を祈るとともに非戦への誓いを新たにした。参列者は午前10時のサイレンに合わせ黙とうした<ref>{{Cite web |url=https://nordot.app/915070719127126016?c=684597186287141985 |title=佐世保空襲77年 非戦と継承を死没者に誓う 市民文化ホールで追悼式 |access-date=2022/06/30 |publisher=株式会社長崎新聞社}}</ref>。
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2023年6月29日、佐世保市平瀬町にある[[旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館|佐世保市民文化ホール]]にて佐世保市主催による死没者追悼式が行われた<ref>[https://news.yahoo.co.jp/articles/82e3827a67e0b1827994d0cd6db9025b45e6fd14 「言葉に詰まるが伝えていきたい」佐世保空襲から78年 犠牲者追悼式に遺族ら約80人参列(長崎文化放送) - Yahoo!ニュース]</ref>。新型コロナウイルス感染拡大の影響で4年ぶりに一般参列者を招いての通常開催となった<ref>{{Cite web |url=https://nordot.app/1047314812806791191 |title=佐世保空襲78年 「戦争もう二度と」 死没者追悼式、4年ぶりに一般参列 (長崎新聞)|accessdate=2023-07-02|author=長崎新聞社|date=2023-06-30 |year=2023|website= https://nordot.app/ |publisher=長崎新聞社|ref=harv}}</ref>。
 「言葉に詰まるが伝えていきたい」佐世保空襲から78年 犠牲者追悼式に遺族ら約80人参列(長崎文化放送) - Yahoo!ニュース]</ref>。新型コロナウイルス感染拡大の影響で4年ぶりに一般参列者を招いての通常開催となった<ref>{{Cite web |url=https://nordot.app/1047314812806791191 |title=佐世保空襲78年 「戦争もう二度と」 死没者追悼式、4年ぶりに一般参列 (長崎新聞)|accessdate=2023-07-02|author=長崎新聞社|date=2023-06-30 |year=2023|website= https://nordot.app/ |publisher=長崎新聞社|ref=harv}}</ref>。


== 佐世保市の被害 ==
== 佐世保市の被害 ==

2023年7月29日 (土) 00:09時点における版

佐世保大空襲
第二次世界大戦太平洋戦争

空襲により焼け野原となった市街地
1945年6月29日
場所長崎県佐世保市
衝突した勢力
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 日本の旗 大日本帝国
戦力
B-29 141機 対空砲
被害者数
死亡:不明
損失:不明
罹災面積:約1,782,000平方km
死傷者:民間人を中心に1,242名

佐世保大空襲(させぼだいくうしゅう)は第二次世界大戦中のアメリカ軍による、1945年昭和20年)6月28日午後11時50分から翌29日午前2時頃までに行われた長崎県佐世保市に対する空襲戦略爆撃[1]。この空襲による死者は、民間人を中心に1,242名に及んだ[2]

概要

空爆を行ったB-29爆撃機
佐世保にも散布された、降伏が時間の問題であることを告げる伝単「時は迫れり!!」

この空襲の前の1945年(昭和20年)3月9日13日にアメリカ軍の偵察機が来たり、4月8日5月24日には同軍の爆撃機ボーイングB29が来襲し、佐世保海軍工廠(現・佐世保重工業)の鋳造工場に被害があった[3]ほか、佐世保市民100人余りが犠牲になった。5月24日の空襲は、警戒警報すら発令されない中[4]アメリカ軍機が飛来したが、市民には詳しい状況は知らされていなかった。

そして、アメリカ軍側は6月29日に佐世保市の空襲実施を決定した。この日の佐世保市は梅雨の最中で雨が降っており、「今日は来ないだろう」という市民の不意をつく形での深夜空襲となった[5]

アメリカ軍のB29爆撃機141機(第73爆撃団[6][7][8][9])がマリアナ諸島サイパンから飛び立ち、午後11時50分頃に佐世保市上空に飛来し、焼夷弾投下を開始。推定1,200トンという大量の焼夷弾を2時間ほどの短時間の間に市街中心部一帯に投下し、市内は一部を除きほぼ壊滅状態となった[10]

梅雨の雨は、「火の雨」に変わった[11]弓張岳、但馬岳を始めとする市内各所に設置された高角砲台による応戦もまるで歯が立たなかった[12]

この日には同じように岡山県岡山市が空襲を受けた(岡山大空襲[13]ほか、6月29日には宮崎県延岡市延岡大空襲[14])、福岡県門司市(現:北九州市門司区、北九州空襲[15])などが空襲を受けている。

この大空襲後も、アメリカ軍機が佐世保に飛来するたびに空襲警報が発令されるため、工場の作業効率は低下していった。ついには空襲警報が発令されても退避せず、高射砲の音がした時だけ机の下に潜るようにした行員もいた[16]。7月31日には、アメリカ軍機が日本の降伏が時間の問題であることを示す伝単を散布した。伝単の内容を報道機関は「軍都民の糞飯もの」と報じ[17]、市民も「畜生何をぬかすか、とと言って一笑に付した」だけだったが、「口には出さないが、暗々裡に認めさせられたようである」という感想を持った者もいた[18]

なお、当時、佐世保鎮守府が設置されていた佐世保基地には、空襲による被害はほとんどなく[10]、市街地を中心に焼夷弾を投下したことがうかがえる[19]。また、佐世保海軍工廠も小規模な被害があったのみで壊滅は免れた。終戦直後、視察に訪れたアメリカ軍の関係者は「市街の破壊は絨毯爆撃を受けた佐世保の方が長崎よりも酷かった」と述べている。

慰霊

佐世保市では、毎年6月29日を「佐世保空襲の日」とし、午前10時に市内全域でサイレンを鳴らし、空襲により亡くなられた犠牲者のご冥福を祈り、1分間の黙とうを捧げている[20]。あわせて、「佐世保空襲死没者追悼式」を開催している[21]

2022年6月29日、佐世保空襲の死没者追悼式が、佐世保市民文化ホール(凱旋記念ホール)で開かれた。犠牲者の冥福を祈るとともに非戦への誓いを新たにした。参列者は午前10時のサイレンに合わせ黙とうした[22]

2023年6月29日、佐世保市平瀬町にある佐世保市民文化ホールにて佐世保市主催による死没者追悼式が行われた[23]。新型コロナウイルス感染拡大の影響で4年ぶりに一般参列者を招いての通常開催となった[24]

佐世保市の被害

  • 罹災面積:約1,782,000平方km
  • 罹災戸数:12,037戸(当時の佐世保市の全戸数の35%。)
  • 罹災者数:60,734人 (当時の佐世保市の全人口の27%。)
    • 死者数:1,242人[2]

主な罹災地域と建造物

罹災を免れた建造物

慰霊碑・資料館

鎮魂慰霊平和祈願之塔

中央公園にある鎮魂慰霊平和祈願之塔

1977年、佐世保空襲犠牲者遺族会によって佐世保市中央公園に鎮魂慰霊平和祈願之塔[注釈 1] が建立された[26]。平和の祈りを捧げる人をモチーフとしてあり、台座の全面には空襲の悲惨さを後世に伝えるためのレリーフが施されている(制作者・河田邦彦)。また、塔の裏手には、空襲当時利用されていた防空壕がある。

佐世保空襲死没者墓銘碑

2016年8月31日、「佐世保空襲死没者墓銘碑」[注釈 2] 除幕式および記念式典が行われた。この「墓銘碑」には佐世保空襲で犠牲となった方の名前が刻まれている。

佐世保空襲犠牲者遺族会、佐世保空襲を語り継ぐ会による募金活動や名簿の確認作業を行って建立された。この「墓銘碑」(佐世保市名切町)は、新しく整備された佐世保中央公園[27](佐世保市宮地町)に隣接している公園内にある「鎮魂慰霊平和祈願の塔」(佐世保市熊野町)そばに建立されている。

佐世保空襲資料館

2006年、佐世保空襲犠牲者遺族会が佐世保市から暫定的に戸尾小学校の教室を借り受け、佐世保空襲資料室を開設し、佐世保空襲を語り継ぐ会[28]とともに共同で運営を開始[29]。2020年10月24日、展示を拡充して佐世保空襲資料館として新たに開館した[29]

終戦直後の佐世保市

ジョー・オダネル(アメリカ海兵隊カメラマン)による佐世保市内の写真撮影

終戦直後の1945年9月2日、ジョー・オダネルはアメリカ海兵隊のカメラマンとして佐世保空襲後の佐世保に上陸し、日本の各地(佐世保、福岡、神戸、広島、長崎など50以上の市町村)を撮影した[30]。1995年に出版した写真集の著書[31]には、空襲で焼け残った佐世保市役所の屋上から佐世保市街地を撮影している自らの姿 「屋上に立つ」[32]やその時撮影した焼け野原となった佐世保市街地の写真「佐世保を見下ろす」[33]など複数枚を掲載している。

占領軍の活動と佐世保市の空襲被害 1945年9-10月

昭和館デジタルアーカイブ(昭和館収蔵資料データベース)には、アメリカ海兵隊(占領軍)が1945年9月22日から9月23日に撮影したカラー動画(10分40秒)が「 占領軍の活動と佐世保市の空襲被害 1945年9-10月」として公開されている[34]

脚注

注釈

  1. ^ 「佐世保空襲慰霊塔」といわれることがある。〒857-0025 長崎県佐世保市熊野町6−90
  2. ^ 「佐世保空襲慰霊碑」(Sasebo Air Raid Memorial Monument)といわれることがある。〒857-0023 長崎県佐世保市名切町2−156

出典

  1. ^ 佐世保市役所 市民生活部市民安全安心課 (2022年5月17日). “佐世保空襲(佐世保市役所)”. https://www.city.sasebo.lg.jp/. 佐世保市役所. 2023年6月20日閲覧。
  2. ^ a b 佐世保空襲の惨状忘れない 28日まで写真展 1242人が犠牲|【西日本新聞ニュース】”. 西日本新聞ニュース. 2019年6月20日閲覧。
  3. ^ 森岡, 2006 & pp103-105.
  4. ^ 森岡, 2006 & p106.
  5. ^ 森岡, 2006 & p107.
  6. ^ World War II Database  119 B-29 Superfortress bombers of the 73rd Bomb Wing lined up on Baker runway, Isley Field, Saipan, Mariana Islands, Sep 1945 with 35 more B-29s seen in the periphery.”. 第二次世界大戦データベースは、Lava Development, LLCのC. Peter Chenによって設立され、管理されています。. 2022年6月14日閲覧。
  7. ^ 「超」空の要塞 B29爆撃機 写真特集”. 時事通信社. 2022年6月14日閲覧。
  8. ^ 「超」空の要塞 B29爆撃機 写真特集”. 時事通信社. 2022年6月14日閲覧。
  9. ^ 「超」空の要塞 B29爆撃機 写真特集”. 時事通信社. 2022年6月14日閲覧。
  10. ^ a b 佐世保市における戦災の状況(長崎県)”. 総務省. 2017年12月2日閲覧。
  11. ^ 戦争の記憶 6 長崎新聞ホームページ”. 長崎新聞社. 2022年6月14日閲覧。
  12. ^ 佐世保市役所 (2023年5月24日). “旧佐世保海軍警備隊田島岳高射砲台跡(佐世保市役所)”. https://www.city.sasebo.lg.jp/. 佐世保市役所. 2023年6月20日閲覧。
  13. ^ 岡山戦災の記録と写真展”. 岡山シティミュージアム  岡山空襲展示室. 2022年6月14日閲覧。
  14. ^ あす、延岡大空襲の日”. 一般社団法人 延岡観光協会オフィシャルサイト. 2022年6月14日閲覧。
  15. ^ 北九州市の空襲被害”. 北九州市. 2023年6月20日閲覧。
  16. ^ 森岡, 2006 & pp159-160.
  17. ^ 野村大輔 (2021年7月31日). “1945/7/31の紙面から【佐世保に初の謀略ビラ撒布】”. 西日本新聞ニュースme. https://www.nishinippon.co.jp/item/n/630853/ 2023年7月7日閲覧。 
  18. ^ 森岡, 2006 & pp160-161.
  19. ^ 各市町の被害状況(佐世保市)”. 長崎県. 2017年12月2日閲覧。
  20. ^ 「佐世保空襲の日」における黙とうの実施について”. 佐世保市. 2023年6月20日閲覧。
  21. ^ 佐世保空襲死没者追悼式について”. 佐世保市. 2023年6月20日閲覧。
  22. ^ 佐世保空襲77年 非戦と継承を死没者に誓う 市民文化ホールで追悼式”. 株式会社長崎新聞社. 2022年6月30日閲覧。
  23. ^ 「言葉に詰まるが伝えていきたい」佐世保空襲から78年 犠牲者追悼式に遺族ら約80人参列(長崎文化放送) - Yahoo!ニュース
  24. ^ 長崎新聞社 (2023年6月30日). “佐世保空襲78年 「戦争もう二度と」 死没者追悼式、4年ぶりに一般参列 (長崎新聞)”. https://nordot.app/. 長崎新聞社. 2023年7月2日閲覧。
  25. ^ 森岡, 2006 & p108.
  26. ^ 総務省 一般戦災死没者の追悼 鎮魂慰霊平和祈願の塔”. 総務省. 2022年6月14日閲覧。
  27. ^ 佐世保中央公園 SASEBO CENTRAL PARK”. 佐世保市役所. 2022年6月14日閲覧。
  28. ^ 空襲を語り伝える”. 株式会社長崎新聞社. 2022年6月30日閲覧。
  29. ^ a b 「佐世保空襲資料館」として新たに 2室へ規模拡大 資料1500点”. 長崎新聞. 2020年10月27日閲覧。
  30. ^ ジョー・オダネル, 1995 & p06.
  31. ^ ジョー・オダネル 1995.
  32. ^ ジョー・オダネル, 1995 & pp18-19.
  33. ^ ジョー・オダネル, 1995 & pp20-21.
  34. ^ 昭和館デジタルアーカイブ(昭和館収蔵資料データベース). “占領軍の活動と佐世保市の空襲被害 1945年9-10月”. https://search.showakan.go.jp/. 2023年6月27日閲覧。

参考文献

  • 佐世保空襲を語り継ぐ会 『火の雨 佐世保空襲の記録』[1] 佐世保空襲を語り継ぐ会 1980年
  • 飯田四郎 『占領軍が写した終戦直後の佐世保』[2] 佐世保 芸文社 1986年
  • ジョー・オダネル、ジェニファー・オルドリッチ 著、平岡豊子 訳、阪本京子・大原哲夫 編『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』小学館、1995年6月10日。ISBN 4-09-563013-2 
  • 森岡諦善『海軍工員記 戦時下の佐世保海軍工廠』光人社NF文庫、2006年4月12日。ISBN 4-7698-2488-2 
  • 奥住喜重, 工藤洋三 (訳・編)『米軍資料北九州の空襲―八幡・門司・岡山・佐世保・延岡への焼夷空襲の記録』北九州の戦争を記録する会 2002年
  1. ^ 佐世保空襲の記録編集会編 「火の雨 1945.6.29 佐世保空襲の記録」”. 長崎県立佐世保北高関東地区同窓会公式サイト 東京北星会. 2022年6月14日閲覧。
  2. ^ 占領軍が写した「終戦直後の佐世保」”. 長崎県立佐世保北高関東地区同窓会公式サイト 東京北星会. 2022年6月14日閲覧。

関連項目

外部リンク