コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「アルトゥール・ボルツ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m 解消済み仮リンクシェドルツェを内部リンクに置き換えます
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: ACFフィオレンティーナ関連のリンク修正 (ACFフィオレンティーナ|フィオレンティーナ) - log
46行目: 46行目:
同年の[[UEFA EURO 2008|欧州選手権]]で全試合フル出場を果たすが、[[8月20日]]の[[サッカーウクライナ代表|ウクライナ代表]]との親善試合の後、[[サッカーポーランド代表|ポーランド代表]]の[[レオ・ベーンハッカー]]監督が、「ポーランド代表のメンバーとしての自覚に欠けた軽率な行動を取った」という理由で[[ダリウシュ・ドゥドカ]]、[[ラドスラフ・マイェフスキ]]とともに無期限の追放処分を受けていたが、最終的には[[2010 FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]・欧州予選の最初の2試合は出場停止になることになった。
同年の[[UEFA EURO 2008|欧州選手権]]で全試合フル出場を果たすが、[[8月20日]]の[[サッカーウクライナ代表|ウクライナ代表]]との親善試合の後、[[サッカーポーランド代表|ポーランド代表]]の[[レオ・ベーンハッカー]]監督が、「ポーランド代表のメンバーとしての自覚に欠けた軽率な行動を取った」という理由で[[ダリウシュ・ドゥドカ]]、[[ラドスラフ・マイェフスキ]]とともに無期限の追放処分を受けていたが、最終的には[[2010 FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]・欧州予選の最初の2試合は出場停止になることになった。


[[2010年]][[7月12日]]に[[セリエA (サッカー)|イタリア]]の[[フィオレンティーナ]]に移籍することが発表された<ref>[http://it.violachannel.tv/dettaglio-ultimora/items/raggiunto-laccordo-per-boruc.html Comunicato Stampa]violachannel.tv(2010-7-12){{it icon}},2010-7-12閲覧</ref>。フィオレンティーナでは当初、長年正GKを務めてきた[[セバスティアン・フレイ]]の控えとして位置づけられていたが、フレイがシーズンを棒に降る大怪我を負ったために代役としてを務めることとなり、持ち前の鋭い反応でフレイの穴を感じさせないプレーを披露。フレイが復帰した後もポジションを譲らず、最終的には26試合に出場した。シーズン終了後、フレイは[[ジェノアCFC]]に移籍することになり、2011-12シーズンはフレイの背番号1を継承。不動のレギュラーとして36試合に出場した。
[[2010年]][[7月12日]]に[[セリエA (サッカー)|イタリア]]の[[ACFフィオレンティーナ|フィオレンティーナ]]に移籍することが発表された<ref>[http://it.violachannel.tv/dettaglio-ultimora/items/raggiunto-laccordo-per-boruc.html Comunicato Stampa]violachannel.tv(2010-7-12){{it icon}},2010-7-12閲覧</ref>。フィオレンティーナでは当初、長年正GKを務めてきた[[セバスティアン・フレイ]]の控えとして位置づけられていたが、フレイがシーズンを棒に降る大怪我を負ったために代役としてを務めることとなり、持ち前の鋭い反応でフレイの穴を感じさせないプレーを披露。フレイが復帰した後もポジションを譲らず、最終的には26試合に出場した。シーズン終了後、フレイは[[ジェノアCFC]]に移籍することになり、2011-12シーズンはフレイの背番号1を継承。不動のレギュラーとして36試合に出場した。


2011-12シーズン終了後、フィオレンティーナとの契約が満了して無所属になっていたが、[[2012年]][[9月22日]]に[[プレミアリーグ|イングランド]]の[[サウサンプトンFC]]とシーズン終了までの契約を結んだ<ref>[http://www.bbc.co.uk/sport/0/football/19689083 Southampton bring in keeper Artur Boruc] BBC Sport,2012-9-23閲覧</ref>。[[10月20日]]の[[ウェストハム・ユナイテッド]]戦でプレミアデビューを飾ったが、1-4で大敗した。その後は控えとして過ごしたが、なかなか正GKは定まらず年明けになると定位置を確保。最後尾から好守を見せた。
2011-12シーズン終了後、フィオレンティーナとの契約が満了して無所属になっていたが、[[2012年]][[9月22日]]に[[プレミアリーグ|イングランド]]の[[サウサンプトンFC]]とシーズン終了までの契約を結んだ<ref>[http://www.bbc.co.uk/sport/0/football/19689083 Southampton bring in keeper Artur Boruc] BBC Sport,2012-9-23閲覧</ref>。[[10月20日]]の[[ウェストハム・ユナイテッド]]戦でプレミアデビューを飾ったが、1-4で大敗した。その後は控えとして過ごしたが、なかなか正GKは定まらず年明けになると定位置を確保。最後尾から好守を見せた。

2023年5月28日 (日) 13:30時点における版

アルトゥール・ボルツ
ボーンマスでのボルツ(2014年)
名前
愛称 ララ、アルテク、キング・アーサー
ラテン文字 Artur BORUC
基本情報
国籍 ポーランドの旗 ポーランド
生年月日 (1980-02-20) 1980年2月20日(44歳)
出身地 シェドルツェ
身長 193cm
体重 87kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-1999 ポーランドの旗 ポゴニ・シェドルツェ 12 (0)
1999-2005 ポーランドの旗 レギア・ワルシャワ 69 (1)
2000 ポーランドの旗 ドルツァン・ゾンブキ (loan) 12 (0)
2005 スコットランドの旗 セルティック (loan) 9 (0)
2005-2010 スコットランドの旗 セルティック 153 (0)
2010-2012 イタリアの旗 フィオレンティーナ 62 (0)
2012-2015 イングランドの旗 サウサンプトン 49 (0)
2014-2015 イングランドの旗 ボーンマス (loan) 37 (0)
2015-2020 イングランドの旗 ボーンマス 79 (0)
2020-2022 ポーランドの旗 レギア・ワルシャワ 38 (0)
代表歴
2004-2017 ポーランドの旗 ポーランド 64 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アルトゥール・ボルツ(Artur Boruc, 1980年2月20日 - )は、ポーランド出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはGK。元ポーランド代表

経歴

イェジー・ドゥデクからポジションを奪取したポーランド代表の守護神。一見派手なスーパーセーブこそ少ないが、的確な判断とミスの少ない安定したプレーが特徴の堅実な選手で、素早く正確なスローによるフィードも特徴のひとつである。2006 FIFAワールドカップにおいてはトマシュ・クシュチャクウカシュ・ファビアンスキとポジションを争い、全試合にフル出場した。

セルティックFC在籍時の2006年11月21日に行われたUEFAチャンピオンズリーグマンチェスター・ユナイテッドFC戦では、中村俊輔がフリーキックを決め、1点リードの試合終了間際のPKの場面でルイ・サハのキックを見事にストップし、中村と共にチームの勝利に貢献。セルティックの現行のチャンピオンズリーグとなってからの初の決勝トーナメント進出に導いた。決勝トーナメントにおいても1回戦ACミラン戦で敵の怒涛の攻撃を2試合合計1失点に抑えた。

2006-07シーズンのスコットランドPFA年間最優秀選手賞にノミネート。年間最優秀選手を獲得した中村俊輔とともに攻守の要として活躍した。2008年1月6日、セルティックと2011年までの契約を結んだ。

同年の欧州選手権で全試合フル出場を果たすが、8月20日ウクライナ代表との親善試合の後、ポーランド代表レオ・ベーンハッカー監督が、「ポーランド代表のメンバーとしての自覚に欠けた軽率な行動を取った」という理由でダリウシュ・ドゥドカラドスラフ・マイェフスキとともに無期限の追放処分を受けていたが、最終的にはワールドカップ・欧州予選の最初の2試合は出場停止になることになった。

2010年7月12日イタリアフィオレンティーナに移籍することが発表された[1]。フィオレンティーナでは当初、長年正GKを務めてきたセバスティアン・フレイの控えとして位置づけられていたが、フレイがシーズンを棒に降る大怪我を負ったために代役としてを務めることとなり、持ち前の鋭い反応でフレイの穴を感じさせないプレーを披露。フレイが復帰した後もポジションを譲らず、最終的には26試合に出場した。シーズン終了後、フレイはジェノアCFCに移籍することになり、2011-12シーズンはフレイの背番号1を継承。不動のレギュラーとして36試合に出場した。

2011-12シーズン終了後、フィオレンティーナとの契約が満了して無所属になっていたが、2012年9月22日イングランドサウサンプトンFCとシーズン終了までの契約を結んだ[2]10月20日ウェストハム・ユナイテッド戦でプレミアデビューを飾ったが、1-4で大敗した。その後は控えとして過ごしたが、なかなか正GKは定まらず年明けになると定位置を確保。最後尾から好守を見せた。

2014-15シーズンは、新加入のフレイザー・フォースターに正GKの座を譲り、控えとなっていたため、フットボールリーグ・チャンピオンシップ所属のAFCボーンマスに2015年1月までレンタル移籍することとなった[3]。その後、レンタル期間をシーズン終了まで延長し、AFCボーンマスのリーグ優勝およびプレミアシップ昇格に貢献した。同シーズン終了後にサウサンプトンからAFCボーンマスに完全移籍した。

2017年3月1日、ポーランド代表の引退を表明した[4]

2020年8月1日古巣であるレギア・ワルシャワへの復帰が発表され背番号は1に決まった。同日ポーランドメディアでは「王の帰還」と称し、SNS上で大変な騒ぎとなった。

2022年6月17日、現役引退を表明した。

個人成績

クラブ シーズン リーグ カップ リーグカップ UEFA 通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
レギア・ワルシャワ 2000-01 0 0 0 0 0 0 - 0 0
2001-02 5 0 0 0 1 0 0 0 6 0
2002-03 12 0 0 0 - 0 0 12 0
2003-04 26 1 4 0 - - 30 1
2004-05 26 0 10 0 - 4 0 40 0
通算 69 1 14 0 1 0 4 0 88 1
セルティック 2005-06 34 0 1 0 4 0 1 0 40 0
2006-07 36 0 5 0 2 0 8 0 51 0
2007-08 30 0 4 0 2 0 9 0 45 0
2008-09 34 0 3 0 4 0 6 0 47 0
2009-10 28 0 2 0 0 0 8 0 38 0
通算 162 0 15 0 12 0 32 0 221 0
フィオレンティーナ 2010-11 26 0 1 0 - - 27 0
2011-12 36 0 1 0 - - 37 0
通算 62 0 2 0 0 0 0 0 64 0
サウサンプトン 2012-13 20 0 1 0 0 0 - 21 0
2013-14 29 0 0 0 0 0 - 29 0
通算 49 0 1 0 0 0 0 0 50 0
ボーンマス (loan) 2014-15 37 0 0 0 2 0 - 39 0
ボーンマス 2015-16 32 0 0 0 0 0 - 32 0
通算 69 0 0 0 2 0 0 0 71 0
総通算 411 1 32 0 15 0 36 0 494 0

試合数


ポーランド代表国際Aマッチ
出場得点
2004 4 0
2005 9 0
2006 8 0
2007 10 0
2008 8 0
2009 5 0
2010 2 0
2011 0 0
2012 0 0
2013 10 0
2014 3 0
2015 2 0
2016 3 0
2017 1 0
通算 65 0

タイトル

クラブ
レギア・ワルシャワ
セルティックFC
AFCボーンマス

脚注

  1. ^ Comunicato Stampaviolachannel.tv(2010-7-12)(イタリア語),2010-7-12閲覧
  2. ^ Southampton bring in keeper Artur Boruc BBC Sport,2012-9-23閲覧
  3. ^ サウサンプトンGKが2部にレンタル移籍 Goal.com 2014-9-20閲覧
  4. ^ ボルツが引退を表明”. Goal.com (2017年3月2日). 2017年3月2日閲覧。

外部リンク