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同年の[[UEFA EURO 2008|欧州選手権]]で全試合フル出場を果たすが、[[8月20日]]の[[サッカーウクライナ代表|ウクライナ代表]]との親善試合の後、[[サッカーポーランド代表|ポーランド代表]]の[[レオ・ベーンハッカー]]監督が、「ポーランド代表のメンバーとしての自覚に欠けた軽率な行動を取った」という理由で[[ダリウシュ・ドゥドカ]]、[[ラドスラフ・マイェフスキ]]とともに無期限の追放処分を受けていたが、最終的には[[2010 FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]・欧州予選の最初の2試合は出場停止になることになった。 |
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[[2010年]][[7月12日]]に[[セリエA (サッカー)|イタリア]]の[[フィオレンティーナ]]に移籍することが発表された<ref>[http://it.violachannel.tv/dettaglio-ultimora/items/raggiunto-laccordo-per-boruc.html Comunicato Stampa]violachannel.tv(2010-7-12){{it icon}},2010-7-12閲覧</ref>。フィオレンティーナでは当初、長年正GKを務めてきた[[セバスティアン・フレイ]]の控えとして位置づけられていたが、フレイがシーズンを棒に降る大怪我を負ったために代役としてを務めることとなり、持ち前の鋭い反応でフレイの穴を感じさせないプレーを披露。フレイが復帰した後もポジションを譲らず、最終的には26試合に出場した。シーズン終了後、フレイは[[ジェノアCFC]]に移籍することになり、2011-12シーズンはフレイの背番号1を継承。不動のレギュラーとして36試合に出場した。 |
[[2010年]][[7月12日]]に[[セリエA (サッカー)|イタリア]]の[[ACFフィオレンティーナ|フィオレンティーナ]]に移籍することが発表された<ref>[http://it.violachannel.tv/dettaglio-ultimora/items/raggiunto-laccordo-per-boruc.html Comunicato Stampa]violachannel.tv(2010-7-12){{it icon}},2010-7-12閲覧</ref>。フィオレンティーナでは当初、長年正GKを務めてきた[[セバスティアン・フレイ]]の控えとして位置づけられていたが、フレイがシーズンを棒に降る大怪我を負ったために代役としてを務めることとなり、持ち前の鋭い反応でフレイの穴を感じさせないプレーを披露。フレイが復帰した後もポジションを譲らず、最終的には26試合に出場した。シーズン終了後、フレイは[[ジェノアCFC]]に移籍することになり、2011-12シーズンはフレイの背番号1を継承。不動のレギュラーとして36試合に出場した。 |
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2011-12シーズン終了後、フィオレンティーナとの契約が満了して無所属になっていたが、[[2012年]][[9月22日]]に[[プレミアリーグ|イングランド]]の[[サウサンプトンFC]]とシーズン終了までの契約を結んだ<ref>[http://www.bbc.co.uk/sport/0/football/19689083 Southampton bring in keeper Artur Boruc] BBC Sport,2012-9-23閲覧</ref>。[[10月20日]]の[[ウェストハム・ユナイテッド]]戦でプレミアデビューを飾ったが、1-4で大敗した。その後は控えとして過ごしたが、なかなか正GKは定まらず年明けになると定位置を確保。最後尾から好守を見せた。 |
2011-12シーズン終了後、フィオレンティーナとの契約が満了して無所属になっていたが、[[2012年]][[9月22日]]に[[プレミアリーグ|イングランド]]の[[サウサンプトンFC]]とシーズン終了までの契約を結んだ<ref>[http://www.bbc.co.uk/sport/0/football/19689083 Southampton bring in keeper Artur Boruc] BBC Sport,2012-9-23閲覧</ref>。[[10月20日]]の[[ウェストハム・ユナイテッド]]戦でプレミアデビューを飾ったが、1-4で大敗した。その後は控えとして過ごしたが、なかなか正GKは定まらず年明けになると定位置を確保。最後尾から好守を見せた。 |
2023年5月28日 (日) 13:30時点における版
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ボーンマスでのボルツ(2014年) | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | ララ、アルテク、キング・アーサー | |||||
ラテン文字 | Artur BORUC | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ポーランド | |||||
生年月日 | 1980年2月20日(44歳) | |||||
出身地 | シェドルツェ | |||||
身長 | 193cm | |||||
体重 | 87kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1998-1999 | ポゴニ・シェドルツェ | 12 | (0) | |||
1999-2005 | レギア・ワルシャワ | 69 | (1) | |||
2000 | → ドルツァン・ゾンブキ (loan) | 12 | (0) | |||
2005 | → セルティック (loan) | 9 | (0) | |||
2005-2010 | セルティック | 153 | (0) | |||
2010-2012 | フィオレンティーナ | 62 | (0) | |||
2012-2015 | サウサンプトン | 49 | (0) | |||
2014-2015 | → ボーンマス (loan) | 37 | (0) | |||
2015-2020 | ボーンマス | 79 | (0) | |||
2020-2022 | レギア・ワルシャワ | 38 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
2004-2017 | ポーランド | 64 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アルトゥール・ボルツ(Artur Boruc, 1980年2月20日 - )は、ポーランド出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはGK。元ポーランド代表。
経歴
イェジー・ドゥデクからポジションを奪取したポーランド代表の守護神。一見派手なスーパーセーブこそ少ないが、的確な判断とミスの少ない安定したプレーが特徴の堅実な選手で、素早く正確なスローによるフィードも特徴のひとつである。2006 FIFAワールドカップにおいてはトマシュ・クシュチャク、ウカシュ・ファビアンスキとポジションを争い、全試合にフル出場した。
セルティックFC在籍時の2006年11月21日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ、マンチェスター・ユナイテッドFC戦では、中村俊輔がフリーキックを決め、1点リードの試合終了間際のPKの場面でルイ・サハのキックを見事にストップし、中村と共にチームの勝利に貢献。セルティックの現行のチャンピオンズリーグとなってからの初の決勝トーナメント進出に導いた。決勝トーナメントにおいても1回戦ACミラン戦で敵の怒涛の攻撃を2試合合計1失点に抑えた。
2006-07シーズンのスコットランドPFA年間最優秀選手賞にノミネート。年間最優秀選手を獲得した中村俊輔とともに攻守の要として活躍した。2008年1月6日、セルティックと2011年までの契約を結んだ。
同年の欧州選手権で全試合フル出場を果たすが、8月20日のウクライナ代表との親善試合の後、ポーランド代表のレオ・ベーンハッカー監督が、「ポーランド代表のメンバーとしての自覚に欠けた軽率な行動を取った」という理由でダリウシュ・ドゥドカ、ラドスラフ・マイェフスキとともに無期限の追放処分を受けていたが、最終的にはワールドカップ・欧州予選の最初の2試合は出場停止になることになった。
2010年7月12日にイタリアのフィオレンティーナに移籍することが発表された[1]。フィオレンティーナでは当初、長年正GKを務めてきたセバスティアン・フレイの控えとして位置づけられていたが、フレイがシーズンを棒に降る大怪我を負ったために代役としてを務めることとなり、持ち前の鋭い反応でフレイの穴を感じさせないプレーを披露。フレイが復帰した後もポジションを譲らず、最終的には26試合に出場した。シーズン終了後、フレイはジェノアCFCに移籍することになり、2011-12シーズンはフレイの背番号1を継承。不動のレギュラーとして36試合に出場した。
2011-12シーズン終了後、フィオレンティーナとの契約が満了して無所属になっていたが、2012年9月22日にイングランドのサウサンプトンFCとシーズン終了までの契約を結んだ[2]。10月20日のウェストハム・ユナイテッド戦でプレミアデビューを飾ったが、1-4で大敗した。その後は控えとして過ごしたが、なかなか正GKは定まらず年明けになると定位置を確保。最後尾から好守を見せた。
2014-15シーズンは、新加入のフレイザー・フォースターに正GKの座を譲り、控えとなっていたため、フットボールリーグ・チャンピオンシップ所属のAFCボーンマスに2015年1月までレンタル移籍することとなった[3]。その後、レンタル期間をシーズン終了まで延長し、AFCボーンマスのリーグ優勝およびプレミアシップ昇格に貢献した。同シーズン終了後にサウサンプトンからAFCボーンマスに完全移籍した。
2020年8月1日古巣であるレギア・ワルシャワへの復帰が発表され背番号は1に決まった。同日ポーランドメディアでは「王の帰還」と称し、SNS上で大変な騒ぎとなった。
2022年6月17日、現役引退を表明した。
個人成績
クラブ | シーズン | リーグ | カップ | リーグカップ | UEFA | 通算 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
レギア・ワルシャワ | 2000-01 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | |
2001-02 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | |
2002-03 | 12 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 12 | 0 | ||
2003-04 | 26 | 1 | 4 | 0 | - | - | 30 | 1 | |||
2004-05 | 26 | 0 | 10 | 0 | - | 4 | 0 | 40 | 0 | ||
通算 | 69 | 1 | 14 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | 88 | 1 | |
セルティック | 2005-06 | 34 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 40 | 0 |
2006-07 | 36 | 0 | 5 | 0 | 2 | 0 | 8 | 0 | 51 | 0 | |
2007-08 | 30 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 9 | 0 | 45 | 0 | |
2008-09 | 34 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 | 6 | 0 | 47 | 0 | |
2009-10 | 28 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | 38 | 0 | |
通算 | 162 | 0 | 15 | 0 | 12 | 0 | 32 | 0 | 221 | 0 | |
フィオレンティーナ | 2010-11 | 26 | 0 | 1 | 0 | - | - | 27 | 0 | ||
2011-12 | 36 | 0 | 1 | 0 | - | - | 37 | 0 | |||
通算 | 62 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 64 | 0 | |
サウサンプトン | 2012-13 | 20 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | - | 21 | 0 | |
2013-14 | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 29 | 0 | ||
通算 | 49 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 50 | 0 | |
ボーンマス (loan) | 2014-15 | 37 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | - | 39 | 0 | |
ボーンマス | 2015-16 | 32 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 32 | 0 | |
通算 | 69 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 71 | 0 | |
総通算 | 411 | 1 | 32 | 0 | 15 | 0 | 36 | 0 | 494 | 0 |
試合数
ポーランド代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2004 | 4 | 0 |
2005 | 9 | 0 |
2006 | 8 | 0 |
2007 | 10 | 0 |
2008 | 8 | 0 |
2009 | 5 | 0 |
2010 | 2 | 0 |
2011 | 0 | 0 |
2012 | 0 | 0 |
2013 | 10 | 0 |
2014 | 3 | 0 |
2015 | 2 | 0 |
2016 | 3 | 0 |
2017 | 1 | 0 |
通算 | 65 | 0 |
タイトル
- クラブ
- レギア・ワルシャワ
- ポーランド・エクストラクラサ・リーグ 2001–02, 2020-21
- ポーランド・リーグ・カップ 2002
- セルティックFC
- スコティッシュ・プレミアリーグ 2005-06, 2006-07, 2007-08
- スコティッシュリーグカップ 2005-06, 2008-09
- スコティッシュカップ 2006-07
- AFCボーンマス
- イングランド・フットボールリーグ・チャンピオンシップ 2014-2015
脚注
- ^ Comunicato Stampaviolachannel.tv(2010-7-12) ,2010-7-12閲覧
- ^ Southampton bring in keeper Artur Boruc BBC Sport,2012-9-23閲覧
- ^ サウサンプトンGKが2部にレンタル移籍 Goal.com 2014-9-20閲覧
- ^ “ボルツが引退を表明”. Goal.com (2017年3月2日). 2017年3月2日閲覧。
外部リンク
- アルトゥール・ボルツ – FIFA主催大会成績
- アルトゥール・ボルツ - National-Football-Teams.com
- アルトゥール・ボルツ - Soccerbase
- アルトゥール・ボルツ - Soccerwayによる個人成績