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== 概要 == |
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[[1903年]](明治36年)3月1日から同年7月31日までに第五回[[内国勧業博覧会]]が大阪にて開催された。この際[[イギリス]]は{{仮リンク|リーヅフォーヂ|en|Leeds_Forge_Company|label=リーヅフォーヂ}}製造の鋼製24 t 積み二軸ボギー石炭車を出品した。開催期間終了後[[逓信省]]鉄道作業局はこの車両を買い上げた。鉄道作業局は'''ホテセ1形'''(ホテセ1)<ref name="車両形式図・明治44" />と命名し、[[安治川口駅]] - [[丹波口駅]]間の石炭輸送に[[運用 (鉄道)|運用]]された。当時鉄道作業局所有の最大クラスの車両でありその構造を調べ上げ後の'''オテセ9500形'''の開発に寄与したとされる。 |
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その後、連結器の自動連結器化後に'''オテセ1形'''(オテセ1)と改名され<ref name="車両形式図・大正15/>、さらに[[国鉄貨車の車両形式#1928年称号規程|1928年(昭和3年)5月の車両称号規程改正]]により、オテセ1形は'''セサ1形'''(セサ1)へ形式名変更された。 |
その後、連結器の自動連結器化後に'''オテセ1形'''(オテセ1)と改名され<ref name="車両形式図・大正15" />、さらに[[国鉄貨車の車両形式#1928年称号規程|1928年(昭和3年)5月の車両称号規程改正]]により、オテセ1形は'''セサ1形'''(セサ1)へ形式名変更された。 |
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石炭車名義になっているが、外見は[[国鉄トキ1形貨車|国鉄トキ1形]]のような側板固定のボギー無蓋車に近く、側面に3枚づつの扉がある構造をしている<ref name="車両形式図・昭和4"/>。 |
石炭車名義になっているが、外見は[[国鉄トキ1形貨車|国鉄トキ1形]]のような側板固定のボギー無蓋車に近く、側面に3枚づつの扉がある構造をしている<ref name="車両形式図・昭和4"/>。 |
2023年1月11日 (水) 01:12時点における版
国鉄セサ1形貨車 | |
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基本情報 | |
車種 | 石炭車 |
運用者 |
鉄道省 運輸通信省 運輸省 |
所有者 |
鉄道省 運輸通信省 運輸省 |
製造所 | リーヅフオーヂ社[1] |
製造年 | 1903年(明治36年)[1] |
製造数 | 1[1]両 |
旧形式名 | オテセ1形[1] |
消滅 | 1948年(昭和23年) |
主要諸元 | |
車体色 | 黒 |
専用種別 | 石炭 |
軌間 | 1,067 mm |
全長 | 11,709[1] mm |
車体長 | 10,973[1] mm |
全幅 | 2,457[1] mm |
全高 | 2,337[1] mm |
荷重 | 24[1] t |
実容積 | 33[1] m3 |
自重 | 11.95[2]→12.16[3]→12.35[1] t |
軸距 | 1,524[1] mm |
台車中心間距離 | 7,620[1] mm |
最高速度 | 75 km/h |
国鉄セサ1形貨車(こくてつセサ1がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省等に在籍した24 t 積みの石炭車である。
概要
1903年(明治36年)3月1日から同年7月31日までに第五回内国勧業博覧会が大阪にて開催された。この際イギリスはリーヅフォーヂ製造の鋼製24 t 積み二軸ボギー石炭車を出品した。開催期間終了後逓信省鉄道作業局はこの車両を買い上げた。鉄道作業局はホテセ1形(ホテセ1)[2]と命名し、安治川口駅 - 丹波口駅間の石炭輸送に運用された。当時鉄道作業局所有の最大クラスの車両でありその構造を調べ上げ後のオテセ9500形の開発に寄与したとされる。
その後、連結器の自動連結器化後にオテセ1形(オテセ1)と改名され[3]、さらに1928年(昭和3年)5月の車両称号規程改正により、オテセ1形はセサ1形(セサ1)へ形式名変更された。
石炭車名義になっているが、外見は国鉄トキ1形のような側板固定のボギー無蓋車に近く、側面に3枚づつの扉がある構造をしている[1]。 車体塗色は黒一色であり、寸法関係は全長は11,709 mm、全幅は2,457 mm、全高は2,337 mm、自重は時期によって若干違うが12 t前後であった。
1948年(昭和23年)度に廃車になり、同時に形式消滅となった。
脚注
参考文献
- 鉄道史料編集スタッフ『鉄道史料 第35号』(初版)鉄道史資料保存会、1984年8月。
- 高間恒雄『全盛期の国鉄貨車.2』(初版)レイルロード、1998年8月20日。
- 貨車技術発達史編纂委員会『日本の貨車-技術発達史-』(初版)日本鉄道車輌工業会、2008年3月1日。