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シーズン途中入団ということもあって来日当初は二軍で調整を進めた。その後6月2日の[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]戦で来日初登板初先発を果たし、6回無失点で来日初勝利を挙げた。6日後の[[千葉ロッテマリーンズ]]戦では6回から登板し、4回を無失点に抑え、来日初セーブを挙げた。7月1日のロッテ戦では来日初完投となる初完封勝利をマークするとそのまま先発ローテーションに定着し、故障で離脱した[[松坂大輔]]の穴を埋める活躍を見せた。途中入団だったこともあり、最終的に[[規定投球回]]には到達しなかったが、19試合の登板で10勝4敗1セーブを記録し、リーグ優勝に貢献した他、国際大会ではチャイニーズタイペイ代表として活躍した。一方自身の獲得を争った巨人との[[2002年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では第3戦に先発するも打線の勢いをとめることができず3回0/3を投げて5失点でKOされ敗戦投手となり、チームは4連敗で日本一を逃した。 |
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{{by|2004年}}も引き続き先発として活躍し、[[2004年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスター]]に監督推薦で選出され第2戦で2番手投手で登板、勝利投手になった。[[2004年アテネオリンピック|アテネオリンピック]]にも[[野球中華民国代表|中華民国代表]]<ref>[[中華人民共和国]]からの外交圧力によって、「中華民国」「台湾」の呼称は使えず、国際大会では「チャイニーズタイペイ」(中華台北)の呼称を使用。</ref>に選出され、[[カナダ]]と[[イタリア]]戦で先発した。しかしその後は、台湾チーム敗退後に日本に戻らずバカンスに興じていたこともあり、以後精彩を欠く事となる。9月21日のロッテ戦では[[ベニー・アグバヤニ]]、[[マット・フランコ]]、[[李承燁 (野球)|李承燁]]に3者連続ホームランを打たれた。同年は来日初の規定投球回到達を果たした。防御率3.70と今一つの安定感ながら9勝8敗の成績を挙げた。 |
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[[北海道日本ハムファイターズ]]との[[2004年のパシフィック・リーグプレーオフ|プレーオフ第1ステージ]]では第2戦に先発するも敗戦投手となった<ref>[http://www.shikoku-np.co.jp/sports/general/20041002000271 西4-5日(2日)/日本ハムが6回に集中打]SHIKOKU NEWS.2004年10月2日閲覧。</ref>。第2ステージの[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]戦では第3戦に先発したが4回4失点でKOされた。リーグ優勝して迎えた[[中日ドラゴンズ]]との[[2004年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では第4戦に先発するも3回1/3を投げて5失点で敗戦投手となり、ポストシーズンではいずれも結果を残せなかったが、チームは12年ぶりの日本一を果たした。 |
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{{by|2005年}}は肩の故障もあり、来日初の一軍未登板に終わった。 |
2022年12月25日 (日) 14:08時点における版
2009年 | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 中華民国(台湾) |
出身地 | 彰化県渓湖鎮 |
生年月日 | 1980年5月6日(44歳) |
身長 体重 |
179 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2002年 ドラフト1位 |
初出場 |
TML / 2002年 NPB / 2002年6月2日 CPBL / 2008年5月4日 |
最終出場 |
TML / 2002年 NPB / 2004年10月21日 CPBL / 2009年10月11日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
国際大会 | |
代表チーム | チャイニーズタイペイ |
五輪 | 2004年、2008年 |
この表について
|
張 誌家 | |
---|---|
各種表記 | |
繁体字: | 張 誌家 |
簡体字: | 张 志家 |
拼音: | Zhāngzhìjiā |
注音符号: | ㄓㄤㄓˋㄐ丨ㄚ |
和名表記: | ちょう しか |
発音転記: | ジャン・ズージャ |
英語名: | Chang Chih-Chia |
張 誌家(ジャン・ズージャ、1980年5月6日 - )は、台湾(中華民国)の彰化県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
来歴
台湾時代
2001年に開催されたIBAFワールドカップ・3位決定戦で、日本代表を5安打完封して注目を集めた。
2002年のTMLのドラフトで誠泰太陽から1位指名を受け入団。しかし、前年の日本代表戦での活躍もあり、同年の4月30日に読売ジャイアンツとの争奪戦の末西武ライオンズに入団。公式には発表されていないものの、ベースボール・マガジン社が発行するトレーディングカードの記述によれば10年契約であったという。
西武時代
シーズン途中入団ということもあって来日当初は二軍で調整を進めた。その後6月2日の日本ハムファイターズ戦で来日初登板初先発を果たし、6回無失点で来日初勝利を挙げた。6日後の千葉ロッテマリーンズ戦では6回から登板し、4回を無失点に抑え、来日初セーブを挙げた。7月1日のロッテ戦では来日初完投となる初完封勝利をマークするとそのまま先発ローテーションに定着し、故障で離脱した松坂大輔の穴を埋める活躍を見せた。途中入団だったこともあり、最終的に規定投球回には到達しなかったが、19試合の登板で10勝4敗1セーブを記録し、リーグ優勝に貢献した他、国際大会ではチャイニーズタイペイ代表として活躍した。一方自身の獲得を争った巨人との日本シリーズでは第3戦に先発するも打線の勢いをとめることができず3回0/3を投げて5失点でKOされ敗戦投手となり、チームは4連敗で日本一を逃した。
2003年も前年の活躍もあり先発ローテーション入りしたが、防御率4点台と安定感を欠き7勝7敗の成績で終わった。一方札幌ドームで行われたオリンピック予選で韓国、中国を抑えてアテネオリンピック出場を決めた。
2004年も引き続き先発として活躍し、オールスターに監督推薦で選出され第2戦で2番手投手で登板、勝利投手になった。アテネオリンピックにも中華民国代表[1]に選出され、カナダとイタリア戦で先発した。しかしその後は、台湾チーム敗退後に日本に戻らずバカンスに興じていたこともあり、以後精彩を欠く事となる。9月21日のロッテ戦ではベニー・アグバヤニ、マット・フランコ、李承燁に3者連続ホームランを打たれた。同年は来日初の規定投球回到達を果たした。防御率3.70と今一つの安定感ながら9勝8敗の成績を挙げた。
北海道日本ハムファイターズとのプレーオフ第1ステージでは第2戦に先発するも敗戦投手となった[2]。第2ステージの福岡ダイエーホークス戦では第3戦に先発したが4回4失点でKOされた。リーグ優勝して迎えた中日ドラゴンズとの日本シリーズでは第4戦に先発するも3回1/3を投げて5失点で敗戦投手となり、ポストシーズンではいずれも結果を残せなかったが、チームは12年ぶりの日本一を果たした。
2005年は肩の故障もあり、来日初の一軍未登板に終わった。
2006年は復活を期したが、直球のMAXが130km/hを切るなど全盛期の球威が戻らず、2年続けての一軍登板なしに終わった。そして9月30日、契約期間を残したまま球団から翌年の契約を結ばないことが発表された。
La Newベアーズ時代
2008年5月に、中華職業棒球大聯盟のLa Newベアーズに入団。かつてほどの球威はないものの、先発投手として復活を果たしつつあった。
2009年10月、台湾プロ野球界の長年の問題である「放水(八百長)」問題で事情聴取を受けたが、容疑を否認。長期間の拘束を免れるため、保釈金を支払い、La Newは12月15日付で張を解雇した。
La Newベアーズ退団後
2010年2月10日、台湾検察当局は張誌家ら選手監督7人を含む24人を賭博罪、詐欺罪で起訴した。張誌家は懲役2年を求刑された[3]。2014年8月13日、台湾高等法院は懲役2年もしくは罰金の判決が下り、陳致遠、蔡豊安、楊博任(いずれも懲役6カ月もしくは罰金)らと共に有罪が確定した[4]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2002 | 太陽 | 5 | 5 | 3 | 1 | -- | 3 | 2 | 0 | 0 | .600 | 152 | 39.0 | 29 | 2 | 4 | 0 | 0 | 50 | 0 | 0 | 9 | 7 | 1.61 | 0.82 |
2002 | 西武 | 19 | 16 | 3 | 1 | 0 | 10 | 4 | 1 | -- | .714 | 467 | 116.1 | 81 | 18 | 38 | 1 | 4 | 121 | 2 | 0 | 39 | 35 | 2.71 | 1.02 |
2003 | 22 | 21 | 1 | 1 | 0 | 7 | 7 | 0 | -- | .500 | 551 | 124.2 | 133 | 14 | 53 | 0 | 5 | 112 | 6 | 1 | 72 | 69 | 4.98 | 1.49 | |
2004 | 22 | 21 | 3 | 2 | 0 | 9 | 8 | 0 | -- | .529 | 631 | 146.0 | 137 | 22 | 57 | 1 | 10 | 119 | 5 | 0 | 67 | 60 | 3.70 | 1.33 | |
2008 | La New | 22 | 13 | 0 | 0 | 0 | 3 | 4 | 0 | 5 | .428 | 333 | 75.0 | 80 | 5 | 29 | 0 | 4 | 60 | 1 | 0 | 41 | 32 | 3.84 | 1.50 |
2009 | 26 | 19 | 0 | 0 | 0 | 10 | 9 | 0 | 0 | .526 | 587 | 135.2 | 145 | 10 | 51 | 0 | 3 | 94 | 4 | 1 | 70 | 65 | 4.31 | 1.44 | |
TML:1年 | 5 | 5 | 3 | 1 | -- | 3 | 2 | 0 | 0 | .600 | 152 | 39.0 | 29 | 2 | 4 | 0 | 0 | 50 | 0 | 0 | 9 | 7 | 1.61 | 0.82 | |
NPB:3年 | 63 | 58 | 7 | 4 | 0 | 26 | 19 | 1 | -- | .578 | 1649 | 387.0 | 351 | 54 | 148 | 2 | 19 | 352 | 13 | 1 | 178 | 164 | 3.81 | 1.29 | |
CPBL:2年 | 23 | 16 | 0 | 0 | 0 | 13 | 13 | 0 | 5 | .500 | 920 | 210.2 | 225 | 15 | 80 | 7 | 0 | 154 | 5 | 1 | 111 | 97 | 4.14 | 1.46 |
表彰
- 月間MVP:1回 (2004年6月)
- オールスターゲーム優秀選手賞:1回 (2004年第2戦)
- パ・リーグ連盟特別表彰:1回 (2002年)※江夏豊、木田勇の連続イニング奪三振記録を23イニングを28イニングに更新したため
記録
- NPB
- 初登板・初先発・初勝利:2002年6月2日、対日本ハムファイターズ11回戦(西武ドーム)、6回無失点
- 初奪三振:同上、1回表に小笠原道大から
- 初セーブ:2002年6月8日、対千葉ロッテマリーンズ10回戦(西武ドーム)、6回表に2番手で救援登板・完了、4回無失点
- 初完投勝利・初完封勝利:2002年7月1日、対千葉ロッテマリーンズ13回戦(西武ドーム)
- 連続イニング奪三振28:2002年7月21日、対大阪近鉄バファローズ21回戦(大阪ドーム)の1回裏(大村直之)~8月12日、対千葉ロッテマリーンズ18回戦(千葉マリンスタジアム)の5回裏(伊与田一範)
- 外国人選手3者連続被本塁打:2004年9月21日、対千葉ロッテマリーンズ27回戦(西武ドーム)、6回表にベニー・アグバヤニ、マット・フランコ、李承燁に ※史上初
- オールスターゲーム出場:1回 (2004年)
背番号
- 99 (2002年 - 2006年、2008年 - 2009年)
関連情報
音楽
2002年4月、台湾・GMMからアルバム『It's my war』をリリースした。
脚注
- ^ 中華人民共和国からの外交圧力によって、「中華民国」「台湾」の呼称は使えず、国際大会では「チャイニーズタイペイ」(中華台北)の呼称を使用。
- ^ 西4-5日(2日)/日本ハムが6回に集中打SHIKOKU NEWS.2004年10月2日閲覧。
- ^ [1] スポーツ報知(リンク切れ)
- ^ 台湾プロ野球八百長問題 元西武の張誌家などの有罪が確定中央通訊社2014年8月14日配信
関連項目
- 台湾の人物一覧
- 埼玉西武ライオンズの選手一覧
- アジア・オセアニア・アフリカ出身の日本プロ野球外国人選手一覧
- 許銘傑 - 同時期に西武に在籍した台湾人投手
外部リンク
- 個人年度別成績 張誌家 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、CPBL