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[[File:SRI Douglas Engelbart 1968.jpg|thumb|12月9日の本番に向けてデモの予行練習を行う[[ダグラス・エンゲルバート]]]]
{{要改訳}}
'''すべてのデモの母'''<ref name="NEC">{{Cite web|和書|url=https://wisdom.nec.com/ja/innovation/2019062401/index.html |title=人類の進化を加速させた「手で触る情報操作」 子どもの創造的学習意欲を刺激するパソコンは、ここから始まった |publisher=[[日本電気]] |accessdate=2021-12-12}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://japan.cnet.com/article/35034255/ |title=マウスやGUI、ハイパーリンクの生みの親D・エンゲルバート氏、88歳で死去 |newspaper=[[CNET|CNET Japan]] |accessdate=2022-12-2}}</ref>(すべてのデモのはは、{{lang-en|'''The Mother of All Demos'''}})は、[[1968年]][[12月9日]]に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[サンフランシスコ]]で{{ill|米国情報処理学会連合会|en|American Federation of Information Processing Societies}}が主催した秋季合同[[コンピュータ]]会議(Fall Joint Computer Conference, FJCC)<ref>{{Citation | year=2022 | title=Scientific Information Notes | url=https://books.google.co.jp/books?id=_x5DuwwBA1sC&pg=PA14&dq=American+Federation+of+Information+Processing+Societies+FJCC+1968&hl=ja&newbks=1&newbks_redir=0&sa=X&ved=2ahUKEwjdpIGu79r7AhWD0mEKHddUAnEQ6AF6BAgIEAI#v=onepage&q=American%20Federation%20of%20Information%20Processing%20Societies%20FJCC%201968&f=false | access-date=2 December 2022}}</ref>において[[ダグラス・エンゲルバート]]が実施したコンピュータデモンストレーションを指す。デモが先進的かつ画期的な内容だったことから、後年になって「すべてのデモの母」と呼ばれるようになった{{Sfnp|Edwards|2008}}<ref name="NEC" />。
[[File:SRI Douglas Engelbart 1968.jpg|thumb|デモを行った[[ダグラス・エンゲルバート]]]]
[[ファイル:SRI_Computer_Mouse.jpg|右|サムネイル|[[ダグラス・エンゲルバート]]のスケッチから[[ビル・イングリッシュ (コンピュータ技術者)|ビル・イングリッシュ]]によって設計された[[マウス (コンピュータ)|コンピューターマウス]]{{Sfnp|Edwards|2008}}]]
'''すべてのデモの母'''<ref>{{Cite web|url=https://www.computer.or.jp/2018/12/10/20181210/ |title=インターネット商用化25周年・The DEMO 50周年記念シンポジウム「IT25・50~本当に世界を変えたいと思っている君たちへ~」in 福島を開催 |date=2018-12-10 |accessdate=2021-12-12}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://japan.cnet.com/article/35034255/ |title=マウスやGUI、ハイパーリンクの生みの親D・エンゲルバート氏、88歳で死去 |newspaper=[[CNET|CNET Japan]] |accessdate=2021-12-12}}</ref>(すべてのデモのはは、{{lang-en|'''The Mother of All Demos'''}})は、[[1968年]][[12月9日]]に[[サンフランシスコ]]で[[Association for Computing Machinery|計算機協会]] (ACM) と[[IEEE|Institute of Electrical and Electronics Engineers]] (IEEE) により開催された{{ill|Joint Computer Conference|en|Joint Computer Conference|label=Fall Joint Computer Conference}}において、[[ダグラス・エンゲルバート]]によって行われた、画期的なコンピュータのデモンストレーション{{Sfnp|Edwards|2008}}にさかのぼって適用された名前<ref>{{Cite web|url=https://wisdom.nec.com/ja/innovation/2019062401/index.html |title=人類の進化を加速させた「手で触る情報操作」 子どもの創造的学習意欲を刺激するパソコンは、ここから始まった |publisher=[[日本電気]] |accessdate=2021-12-12}}</ref>。デモの後、競争が激しく互いに批判的なこの業界には極めて稀なこと、つまり、大喝采がその場に参加していた三、四千人の高いレベルのハッカーやエンジニアから送られた{{sfn |思考のための道具 |1988 |p=260}}。


ライブデモンストレーションでは、[[NLS|oN-Line System]]またはより一般的にはNLS呼ばる完全なコンピュータハードウェアおよびソフトウェアシステムの紹介が行われた。90分間のプレゼンテーションで、[[ウィンドウ]][[ハイパーテキスト]]、[[グラフィックス]]、効率的なナビゲーション[[コマンド (コンピュータ)|コマンド]]入力、[[テレビ電話|ビデオ会議]]、[[マウス (コンピュータ)|コンピューターマウス]]、ワープロ、[[動的リンク|動的ファイルリンク]]、{{仮リンク|バージョン管理|en|Version control|label=リビジョンコントロール}}、{{仮リンク|コラボレーション・リアルタイムエディター|en|Collaborative real-time editor}}など、現代のパーソナルコンピューティングのほぼすべ基本要素が基本的に示された。エンゲルバートのプレゼンテーションは、これらすべての要素を一のシステムに示した初のプレゼンテーションであった。デモは非常に影響力あり1970年代初頭[[パロアルト研究所|ゼロックスPARC]]で同様プロジェクトを生み出した。基盤とるテクノロジは、1980年代1990年代にアップル[[Macintoshオペレティングシステム|Macintosh]]と[[Microsoft Windows]]の両方の[[グラフィカルユーザイタフェス|グラフィカルユーザーインターフェイス]]オペレーティングシステム影響を与えた。
ライブで披露されたデモの目玉は、[[NLS]](oN-Line System)名付けらた、コンピュータハードウェアソフトウェアから成る完全なシステムだった。90分間のプレゼンテーションで、[[ウィンドウ]][[ハイパーテキスト]]、[[グラフィックス]]、効率的なナビゲーションおよび[[コマンド (コンピュータ)|コマンド]]入力、[[テレビ電話|ビデオ会議]]、[[マウス (コンピュータ)|マウス]]、[[ワープロセッサ|ワープロ]]ファイルの[[動的リンク]]、[[バージョン管理システム]]、[[Collaborative real-time editor|リアルタイム共同編集エディター]]など、現代のパーソナルコンピューティングで使われいる基本要素の多く初めて示された。エンゲルバートのプレゼンは、これらの要素をすべて備えたのシステムした初めてデモであった。デモが終わると会場来ていた大勢高度技術者らからエンゲルバームに対して大喝采が送られた{{sfnp |Rheingold |2000 |p=188}}。互いに競争心が強く、批判的なコピューター業界は稀な出来事であっ{{sfnp |Rheingold |2000 |p=188}}

このデモは業界に大きな影響を与え、1970年代初頭に[[パロアルト研究所]](PARC)で同様のプロジェクトが立ち上げられるきっかけとなった。NLSの基盤コンセプトとテクノロジーは、1980年代から1990年代にかけて登場したアップル[[Macのオペレーティングシステム|Macintosh]]と[[Microsoft Windows]]の両オペレーティングシステムに採用された[[グラフィカルユーザインタフェース|グラフィカルユーザーインターフェイス]](GUI)に事実上の影響を間接的に与えたと推測される。


== 語源 ==
== 語源 ==
エンゲルバートの講演にこの名前が最初に使用されたのは、ジャーナリストの{{仮リンク|スティーブン・レヴィ|en|Steven Levy}}1994年の著書『Insanely Great: The Life and Times of Macintosh, the Computer that changed Everything』で、この出来事を「ミッションコントロールから心を落ち着かせるとして本当に最後のフロンティアが彼らの目の前でいた。それはすべてのデモの母だった」{{Sfnp|Levy|1994}}。の用は、1991年[[湾岸戦争]]に先立って、[[イラクの大統領|イラク大統領]][[サッダーム・フセイン|サダム・フセイン]]が「すべての戦いの母」を提案したこで通貨が与えられた「すべての母...」とう形式フレーズの現代的使用を反映している<ref>{{Cite web|title=Mother of all battles – Oxford Reference|publisher=Oxford University Press|accessdate=2020-09-28|url=https://www.oxfordreference.com/view/10.1093/oi/authority.20110803100212100}}</ref>。[[アンドリーズ・ヴァン・ダム]](デモに参加し、[[ファイル検索および編集システム|FRESS]][[Hypertext Editing System|HES]] がデモらいくつかの概念を採用した)は、MITヴァネヴァーブッシュ・シンポジウムでエンゲルバートを紹介しながら、1995年にこのフレーズを繰り返した{{Sfnp|Brown/MIT|1995|}}。このフレーズは、ジョン・マルコフの2005年の著書[[パソコン創世「第3の神話」]]でも引用されている{{Sfnp|Metroactive|2005}}。
エンゲルバートの講演最初に「すべてのデモの母」と呼んだのは、ジャーナリストの{{仮リンク|スティーブン・レヴィ|en|Steven Levy}}である。レヴィは1994年の著書『Insanely Great: The Life and Times of Macintosh, the Computer that changed Everything』で、この講演の様子を「(エンゲルバートが)落ち着いた[[ミッションコントロールセンター|ミッションコントロール]](ような)で説明を進め、聴衆は正真正銘開拓最線が猛烈な勢いくのを目の当たりにした。それはすべてのデモの母だった」と書いている{{sfnp|Naughton|2000|p=218}}{{Sfnp|Levy|1994}}。レヴィが「すべて○○の母」という表現をいた背景には、[[1991年]]に始まった[[湾岸戦争]]当時の[[イラクの大統領|イラク大統領]][[サッダーム・フセイン|サダム・フセイン]]が「すべての戦いの母」と呼び<ref>{{Cite web|和書| author=酒井啓子 | year=2016 | title=[1]イラク戦争「すべてのいのなる戦争」 |論座 - 朝日新聞社の言論サイト | url=https://webronza.asahi.com/politics/articles/2016031600006.html | accessdate=2022-12-02}}</ref>‌<ref>{{Cite web|title=Mother of all battles – Oxford Reference|publisher=Oxford University Press|accessdate=2020-09-28|url=https://www.oxfordreference.com/view/10.1093/oi/authority.20110803100212100}}</ref>、流行のフレーズとなっていたことがある<ref>{{Citation | vauthors=((Abadi, M.)) | year=2017 | title=The phrase “mother of all bombs” has a long history in the Middle East | publisher=Insider | url=https://www.businessinsider.com/what-does-mother-of-all-bombs-mean-iraq-saddam-hussein-2017-4 | access-date=4 December 2022}}</ref>‌。1968年のデモで見たいくつかのアイデアを[[ファイル検索および編集システム|FRESS]][[Hypertext Editing System|HES]]に活かした[[アンドリーズ・ヴァン・ダム]]も1995年にMITで開かれたヴァネヴァーブッシュ・シンポジウムで「すべてのデモの母」に触れながらエンゲルバートを紹介した{{Sfnp|Brown/MIT|1995|}}。この呼び名は、2005年のジョン・マルコフの著書[[パソコン創世「第3の神話」]]でも使われている{{Sfnp|Metroactive|2005}}。

== 背景 ==
エンゲルバートが[[オーグメンテイション研究センター|オーグメンテーション研究センター]](ARC)を設立し、NLSを開発する元になった考えの多くは、第二次世界大戦と初期の冷戦時代の「研究文化」に端を発していた。エンゲルバートのインスピレーションの源として特に注目すべきは、彼が1946年に米海軍のレーダー技士としてフィリピンに駐留していたときに読んだ[[アトランティック (雑誌)|アトランティック誌]]の記事で、[[ヴァネヴァー・ブッシュ]]が書いた「{{仮リンク|As We May Think|en|As We May Think}}」である{{sfnp|Turner|2006|p=106}}。エンゲルバートは、戦争で得られた科学的知識を正しく使うよう社会を導くには、その知識をしっかり管理し、規制する必要があるとの見方を持っていた{{sfnp|Turner|2006|p=106}}。[[フレッド・ターナー (作家)|フレッド・ターナー]]は、著書『カウンターカルチャーからサイバーカルチャーへ』(2006年)の中で、テクノロジーが戦後の世界に対して思いがけない影響を与えているのを見て、エンゲルバートの見解について自身の考えを述べた{{sfnp|Turner|2006|p=107}}。

<blockquote>アメリカ軍は、世界を破壊しかねない技術を開発した。これを受けて科学者や技術者が世界中に散らばり、各々の知識を応用して疾病の根絶や食糧生産の増強に乗り出した。その多くは、冷戦下で第三世界諸国から忠誠を獲得するのが目的だった。エンゲルバートはこうした行動について読み、それがしばしば逆効果になっているのを見た。急速な食糧生産は土壌の枯渇につながり、昆虫の根絶は生態系の不均衡を招いた。</blockquote>

これが最終的に、コンピュータは単に計算を実行するだけでなく、人間の知能を "augment"、すなわち増強するのに使えるはずだという考えにつながった{{sfnp|Turner|2006|p=107}}。

==デモ==
[[ファイル:SRI_Computer_Mouse.jpg|右|サムネイル|[[ダグラス・エンゲルバート]]のスケッチをもとに[[ビル・イングリッシュ (コンピュータ技術者)|ビル・イングリッシュ]]が設計したマウス{{Sfnp|Edwards|2008}}]]
1960年代初頭、エンゲルバートはコンピュータエンジニアとプログラマーから成るチームを結成し、[[スタンフォード大学]]の[[SRIインターナショナル|スタンフォード研究所]](SRI)にオーグメンテーション研究所(ARC)を立ち上げた{{Sfnp|Wolvertone|2008}}。コンピュータを単なる数値演算処理装置に限定せず、通信や情報の収集に使えるツールにするのが狙いだった{{Sfnp|Markoff|2005|loc=chpt. 5|p=237}}。[[ヴァネヴァー・ブッシュ]]が描いていた[[Memex]]装置のアイデアを実現し、コンピュータの対話的(インタラクティブ)な利用による人間の知能の増強を目指した{{Sfnp|Markoff|2005|loc=chpt. 5|p=237}}。

[[アメリカ航空宇宙局]](NASA)と [[国防高等研究計画局#歴史|ARPA]]の双方から助成金を得たエンゲルバートのチームは{{Sfnp|Markoff|2005|loc=chpt. 2|page=102}}、6年をかけて、目指すコンピュータシステムの実現に必要なあらゆる要素を取りまとめていった。ARPAのディレクターを務める[[ロバート・テイラー (情報工学者)|ロバート・テイラー]]の勧めによって、[[サンフランシスコ]]の{{仮リンク|ビル・グラハム・シビック・オーディトリウム|en|Bill Graham Civic Auditorium|label=シビック・オーディトリウム}}(市民公会堂)を会場として開催される1968年秋季合同コンピュータ会議で、NLSを初めて一般公開することが決まった{{Sfnp|Markoff|2005|loc=chpt. 5|page=240}}。

合同会議のセッションは、題名を ''A research center for augmenting human intellect'' とした{{Sfnp|Engelbart|2008a|}}。会場には、およそ1,000人のコンピュータ専門家が集まり、プレゼンを聴講した{{Sfnp|Tweney|2008|}}。聴衆の中には、[[アラン・ケイ]]や{{仮リンク|チャールズ・アービー|en|Charles Irby}}、[[アンドリーズ・ヴァン・ダム]]{{Sfnp|Markoff|2005|loc=chpt. 5|pp=249, 250, 251}}、{{仮リンク|ボブ・スプロール|en|Bob Sproull|}}などの著名な人物がいた{{Sfnp|SRI Staff|2008}}。

エンゲルバートは、{{仮リンク|ビル・パクストン (コンピュータ科学者)|en|Bill Paxton (computer scientist)|label=ビル・パクストン}}や[[ビル・イングリッシュ (コンピュータ技術者)|ビル・イングリッシュ]]といったチームメンバーがそれぞれ会場とは別の場所からデモの進行をアシストする形で、NLSの機能を実演した。プレゼンの実施に関わる技術面は、イングリッシュが指揮を執った{{Refnest|group="注"|イングリッシュはこの会議に寄せられた論文の共同執筆者として名を連ねており、NLSとデモの実現に関わった主要エンジニアとしてエンゲルバートから謝辞を贈られている{{Sfnp|Engelbart|English|1969}}。}}。エンゲルバートの操作が聴衆に見えるよう、NLSコンピュータの画面は、映像出力を{{仮リンク|アイドホール|en|Eidophor}}プロジェクターに接続して高さ {{Convert|6.7|m|ft}} の大スクリーンに映し出された{{Sfnp|Wired Staff|2004}}。

ARCの研究者らは、1968年当時としては高速な1200 [[ボー]]の[[モデム]]を特別に製作し、[[専用線]]を介して会場のコンピュータ・ワークステーションに接続されたキーボードとマウスからの入力を研究チームの本拠地であるメンロー・パークのラボに置かれている[[SDS 940|SDS-940コンピュータ]]に転送した{{Refnest|group="注"|1200ボー(1.2キロビット/秒)のモデムは、その後10年経っても「高速」な部類であった。また、当時のモデムは片側通信にしか対応していなかったので、アップリンクとダウンリンクに各1台が必要であった{{Sfnp|Markoff|2005|loc=chpt. 5|pp=240—247}}。}}。

ラボと会場ホールの間で双方向の通信を実現するため、2本の[[FPU (放送)|マイクロ波回線]]が用意された。また、大スクリーンの表示を制御するため、イングリッシュは[[スイッチャー|ビデオ・スイッチャー]]を使った。メンロー・パーク側でカメラを担当したのは[[スチュアート・ブランド]]であった。ブランドはコンピュータ関係者ではなく、『[[全地球カタログ]]』の編者として当時よく知られていた人物で、デモの見せ方についてエンゲルバートとチームに助言した{{Sfnp|Markoff|2005|loc=chpt. 5|pp=240—247}}。

90分間のプレゼンで、エンゲルバートはマウスの試作機を使って画面上の移動やテキストの強調表示、ウィンドウのサイズ変更を行って見せた{{Sfnp|Metz|2008|}}。画面上のテキストを操作する統合システムが一般公開されたのはこれが初めてだった{{Sfnp|Metz|2008|}}{{Refnest|group="注"|ドイツの[[テレフンケン]]社は、1960年代に「ロールクーゲル」(Rollkugel)と呼ばれるマウスを開発していた。エンゲルバートのプレゼンに先立つ1968年10月、この製品は同社の「Telefunken SIG-100」モニターの販促資料に掲載されていた。詳細は[[:en:Computer mouse#First rolling-ball mouse]](日本語版未掲載)を参照のこと{{Sfnp| Bülow |2009|}}。}}。

デモでは、ARCチームの[[ジェフ・ルリフソン]]やビル・パクストンが大スクリーンの一部に代わる代わる映し出されて、彼らがARCの研究所からテキストの遠隔編集を行う様子も実演された。編集中、彼らは互いに相手の画面が見ながら会話もできた。続いて、エンゲルバートは下線付きのテキストをクリックして別のページに記載された情報にリンクする[[ハイパーテキスト]]の概念を示した{{Sfnp|Wolvertone|2008}}。

エンゲルバートがデモを終えると、聴衆からスタンディング・オベーションが送られた{{Sfnp|Wolvertone|2008}}。引き続きシステムのデモを行い、NLSワークステーションをじっくり見てエンゲルバートに質問する機会を作るため、別室が用意された{{要出典|date=2022年12月}}。NLSシステムに対するエンゲルバートの考え方は特徴的であった。これについて、フレッド・ターナーは著書の『From Counterculture to Cyberculture: Stewart Brand, the Whole Earth Network, and the Rise of Digital Utopianism』で次のように書いている。

<blockquote>エンゲルバートは、「ブートストラップ」という考え方を世に広めた。すなわち、社会的技術システムであるNLSによる実験で生じた変容を逐一システム自体にフィードバックし、システムを進化させる(そして、おそらく改善する)のだ{{Sfnp| Turner | 2006 | p=108}}。</blockquote>

==デモの影響==
[[ファイル:Douglas Engelbart in 2008.jpg|thumb|[[ダグラス・エンゲルバート]]近影。2008年の「すべてのデモの母」40周年記念イベント(於サンフランシスコ)にて]]
秋季合同コンピュータ会議のデモが行われるまで、コンピュータ科学界隈の大半がエンゲルバートを「奇人」と見なしていたのが{{Sfnp|Metz|2008|}}、デモ後には「両手を使って稲妻を落とす」人物と評されるようになった{{Sfnp| Metroactive |2005}}。後の1970年代にコンピュータ・グラフィックス分野で指導的立場のひとりとなったヴァン・ダム<ref>ACM SIGGRAPH: ''[http://www.siggraph.org/conferences/reports/s2004/interviews/vandam.html Report on Andy van Dam] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20070804173057/http://www.siggraph.org/conferences/reports/s2004/interviews/vandam.html |date=August 4, 2007 }}''</ref>も同様のシステムの開発を目指していたが、ようやく1967年に着手したばかりであった。エンゲルバートのNLSの完成度に衝撃を受けたヴァン・ダムは、プレゼン後のQ&Aセッションでエンゲルバートに詰め寄らんばかりに、次々と質問を浴びせた{{Sfnp|Markoff|2005|loc=chpt. 5|p=250}}。質問を終えたヴァン・ダムは、結局エンゲルバートのデモが、それまで見たことのないすばらしいデモだったと認めた{{Sfnp|Markoff|2005|loc=chpt. 5|p=250}}。しかし、ヴァン・ダムによれば、このデモがコンピュータ科学に与えた実際の影響は限定的だった。


{{Quote
== バックグラウンド ==
|誰もが驚き、とてつもなくすごいと思ったのに、それだけだった。それ以上の影響がなかったのだ。皆がまだ[[テレタイプ端末|機械式テレタイプ]]を使い、[[ブラウン管|CRT]]付き端末にすら移行していない時代にあって、あまりにも手の届かない世界だったからだ。研究に熱心な小規模のコミュニティで興味を持った者たちはいたが、コンピュータ分野の全体に対しては影響力を及ぼさなかった。
彼の[[オーグメンテイション研究センター]](ARC)と[[NLS|oN-Line Syatem]]の開発につながったエンゲルバートの考えの多くは、第二次世界大戦と初期の冷戦の「研究文化」に由来していた。エンゲルバートの注目すべきインスピレーションの源は、1946年に米海軍のレーダー技術者としてフィリピンに駐留しているときにエンゲルバートが読んだ[[アトランティック (雑誌)|アトランティック誌]]の[[ヴァネヴァー・ブッシュ]]が書いた記事「{{仮リンク|As We May Think|en|As We May Think}}」であった{{sfnp|Turner|2006|p=106}}。エンゲルバートの見解では、戦争から派生した科学的知識の正しい使用に社会を導くために、その知識はよりよく管理され、規制される必要がある{{sfnp|Turner|2006|p=106}}。
|アンディ・ヴァン・ダム
|source=[https://www.youtube.com/watch?v=g0yx-F1FGnc&list=PLEFuVIEJ66OWGcsiuwTUa6yjYA3zeKkyV&index=5&t=1755s Reflections on a Half-Century of Hypertext] (29:15)、ハイパーテキスト2019カンファレンスの基調講演より}}


1970年代に入ると、エンゲルバートのチームメンバーはARCを去り、各々の道を進んだ。結果的に多くは[[ゼロックス]]のパロアルト研究所(PARC)に行き着いた。その1人が、マウスの改善をさらに進めたビル・イングリッシュである{{Sfnp|Wolvertone|2008}}。NASAとARPAの一員としてエンゲルバートを支援したロバート・テイラーもPARCに移った{{Sfnp|Markoff|2005|loc=chpt. 7|p=349}}。アラン・ケイも会場でデモを見た1人で、その後PARCで[[Smalltalk]]と呼ばれるオブジェクト指向のコンピューティング環境を設計した{{Sfnp|Metz|2008|}}。
[[フレッド・ターナー (作家)|フレッド・ターナー]]は、彼の著書「カウンターカルチャーからサイバーカルチャーへ」の中で、戦後の世界に対するテクノロジーの意図しない影響を見ることから生じたこの見解に声を上げた{{sfnp|Turner|2006|p=107}}。


1973年には、[[Alto|Xerox Alto]]が完全に機能するに至った。Altoはエンゲルバートが1968年のデモで使用したNLS端末に似たパーソナルコンピュータであったが、はるかに小型で洗練されていた。マウスによる操作が可能なGUIを備えたAltoは、スティーブ・ジョブズに影響を与え、ひいては1980年代に登場したアップルMacintoshコンピュータとそのオペレーティングシステムにも影響を与えた{{Sfnp|Gladwell|2011}}。最終的に、マイクロソフトもWindowsオペレーティングシステムでMacintoshに続き、AltoやNLSシステムと同様の多ボタン型マウスを採用した{{Sfnp| Edwards | 2008}}。
<blockquote>アメリカ軍はそれが世界を破壊するかもしれない技術を開発した。その結果、科学者や技術者は世界中でファンアウトを始め、彼らの知識を利用して病気を根絶し、食糧生産を増やすことを目指し、多くの場合、第三世界諸国の冷戦の忠誠心を勝ち取るために努力した。エンゲルバートはこれらの努力について読んでいて、彼らがしばしば裏目に出ているのを見た。急速な食糧生産は土壌の枯渇につながり、昆虫の根絶は生態学的な不均衡につながった。</blockquote>


エンゲルバート自身の影響力は、1968年の合同会議が頂点だった。1970年代、そして1980年代の大半を通して、彼はマウスとハイパーテキストの発明者として人々の記憶に残り、これらがアップルとマイクロソフトに採用されたのは有名な話になった。デモから30周年を迎えた1998年、スタンフォード大学は大規模なカンファレンスを開催し、先駆者としてコンピューティングとWorld Wide Webに影響を与えたエンゲルバートを称えた{{Sfnp|Blackstone|1998}}。40周年の記念イベントでは、エンゲルバートのデモが、コンピュータの歴史において最も重要なデモのひとつとして認められた{{Sfnp| Shiels|2008}}。2018年には、ダグラス・エンゲルバート協会と[[ヴィントン・サーフ]]、[[コンピュータ歴史博物館]]、[[Google]]がスポンサーとなって50周年記念イベントが開かれた<ref>{{Citation | vauthors=((Sumagaysay, L.)) | year=2018 | title=Engelbart’s historic demo: What have we learned 50 years later? | publisher=The Mercury News | url=https://www.mercurynews.com/2018/12/09/engelbarts-historic-demo-what-have-we-learned-50-years-later/ | access-date=4 December 2022}}</ref><ref>{{Citation | year=2018 | title=Symposium | publisher=The Demo @ 50 | url=https://thedemoat50.org/symposium/ | access-date=4 December 2022}}</ref>‌。
これは最終的に、単に計算を実行するだけでなく、コンピューターを使用して人間の心の能力を増強できるという考えにつながった{{sfnp|Turner|2006|p=107}}。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{脚注ヘルプ}}
===注釈===
<references />
{{Notelist2}}
===出典===
{{Reflist|20em}}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* {{cite web
* {{Cite book
| last = Bardini
| first = Thierry
| title = Bootstrapping: Douglas Engelbart, Coevolution, and the Origins of Personal Computing
| url = https://archive.org/details/bootstrapping00thie
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| publisher = Stanford University Press
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}}
* {{Cite news
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* {{Cite web
| title = 1995 Vannevar Bush Symposium, Tape 2 – Doug Engelbart
| title = 1995 Vannevar Bush Symposium, Tape 2 – Doug Engelbart
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| author = Brown/MIT
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}}
* {{cite news
* {{Cite web
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|title = Auf den Spuren der deutschen Computermaus
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* {{Cite news
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45行目: 121行目:
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| last1 = Engelbart
| first1 = Douglas C.
| last2 = English
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| year = 1969
| title = A research center for augmenting human intellect
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==関連項目==
* [[コミュニティメモリ]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* {{Citation|url=https://www.dougengelbart.org/firsts/dougs-1968-demo.html|title=Doug's 1968 Demo}} – ダグ・エンゲルバート研究所が管理する包括的なポータルページで、さまざまなサイト、回顧展、写真、会議議事録、プログラム、賛辞サイトなどの注釈付きビデオ映像へのリンクがあります
* {{Citation|url=https://www.dougengelbart.org/firsts/dougs-1968-demo.html|title=Doug's 1968 Demo}} – ダグ・エンゲルバート研究所が管理する包括的なポータルページで、さまざまなサイト、回顧展、写真、会議議事録、プログラム、賛辞サイトなどの注釈付きビデオ映像へのリンクがあ
* {{Citation|url=https://web.stanford.edu/dept/SUL/library/extra4/sloan/MouseSite/1968Demo.html|contribution=The Demo|title=MouseSite|publisher=Stanford University}}は、デモのストリーミングビデオ、背景、リンク、アーカイブレポート、論文などが含まれています
* {{Citation|url=https://web.stanford.edu/dept/SUL/library/extra4/sloan/MouseSite/1968Demo.html|contribution=The Demo|title=MouseSite|publisher=Stanford University}}は、デモのストリーミングビデオ、背景、リンク、アーカイブレポート、論文などが含まれてい
* 記念イベント:{{Citation|url=http://www.dougengelbart.org/events/30th.html|title=30th Anniversary Event|year=1998}}と{{Citation|url=http://www.dougengelbart.org/events/40th.html|title=40th Anniversary Event|year=2008}}。
* 記念イベント:{{Citation|url=http://www.dougengelbart.org/events/30th.html|title=30th Anniversary Event|year=1998}}と{{Citation|url=http://www.dougengelbart.org/events/40th.html|title=40th Anniversary Event|year=2008}}。
* {{Citation|url=http://www.invisiblerevolution.net/|title=The Invisible Revolution|type=documentary}}ダグエンゲルバートに関するドキュメンタリー。
* {{Citation|url=http://www.invisiblerevolution.net/|title=The Invisible Revolution|type=documentary}}ダグエンゲルバートに関するドキュメンタリー。

2024年10月11日 (金) 01:33時点における最新版

12月9日の本番に向けてデモの予行練習を行うダグラス・エンゲルバート

すべてのデモの母[1][2](すべてのデモのはは、英語: The Mother of All Demos)は、1968年12月9日アメリカサンフランシスコ米国情報処理学会連合会が主催した秋季合同コンピュータ会議(Fall Joint Computer Conference, FJCC)[3]においてダグラス・エンゲルバートが実施したコンピュータデモンストレーションを指す。デモが先進的かつ画期的な内容だったことから、後年になって「すべてのデモの母」と呼ばれるようになった[4][1]

ライブで披露されたデモの目玉は、NLS(oN-Line System)と名付けられた、コンピュータハードウェアとソフトウェアから成る完全なシステムだった。90分間のプレゼンテーションで、ウィンドウハイパーテキストグラフィックス、効率的なナビゲーションおよびコマンド入力、ビデオ会議マウスワープロ、ファイルの動的リンクバージョン管理システムリアルタイム共同編集エディターなど、現代のパーソナルコンピューティングで使われている基本的要素の多くが初めて示された。エンゲルバートのプレゼンは、これらの要素をすべて備えた一式のシステムを公開した初めてのデモであった。デモが終わると、会場に来ていた大勢の高度な技術者らからエンゲルバートとそのチームに対して大喝采が送られた[5]。互いに競争心が強く、批判的なコンピューター業界には稀な出来事であった[5]

このデモは業界に大きな影響を与え、1970年代初頭にパロアルト研究所(PARC)で同様のプロジェクトが立ち上げられるきっかけとなった。NLSの基盤コンセプトとテクノロジーは、1980年代から1990年代にかけて登場したアップルMacintoshMicrosoft Windowsの両オペレーティングシステムに採用されたグラフィカルユーザーインターフェイス(GUI)に事実上の影響を間接的に与えたと推測される。

語源

[編集]

エンゲルバートの講演を最初に「すべてのデモの母」と呼んだのは、ジャーナリストのスティーブン・レヴィ英語版である。レヴィは1994年の著書『Insanely Great: The Life and Times of Macintosh, the Computer that changed Everything』で、この講演の様子を「(エンゲルバートが)落ち着いたミッションコントロールの(ような)声で説明を進め、聴衆は正真正銘の開拓最前線が猛烈な勢いで流れていくのを目の当たりにした。それはすべてのデモの母だった」と書いている[6][7]。レヴィが「すべての○○の母」という表現を用いた背景には、1991年に始まった湾岸戦争を、当時のイラク大統領サダム・フセインが「すべての戦いの母」と呼び[8][9]、流行のフレーズとなっていたことがある[10]‌。1968年のデモで見たいくつかのアイデアをFRESSHESに活かしたアンドリーズ・ヴァン・ダムも、1995年にMITで開かれたヴァネヴァー・ブッシュ・シンポジウムで「すべてのデモの母」に触れながらエンゲルバートを紹介した[11]。この呼び名は、2005年のジョン・マルコフの著書『パソコン創世「第3の神話」』でも使われている[12]

背景

[編集]

エンゲルバートがオーグメンテーション研究センター(ARC)を設立し、NLSを開発する元になった考えの多くは、第二次世界大戦と初期の冷戦時代の「研究文化」に端を発していた。エンゲルバートのインスピレーションの源として特に注目すべきは、彼が1946年に米海軍のレーダー技士としてフィリピンに駐留していたときに読んだアトランティック誌の記事で、ヴァネヴァー・ブッシュが書いた「As We May Think英語版」である[13]。エンゲルバートは、戦争で得られた科学的知識を正しく使うよう社会を導くには、その知識をしっかり管理し、規制する必要があるとの見方を持っていた[13]フレッド・ターナーは、著書『カウンターカルチャーからサイバーカルチャーへ』(2006年)の中で、テクノロジーが戦後の世界に対して思いがけない影響を与えているのを見て、エンゲルバートの見解について自身の考えを述べた[14]

アメリカ軍は、世界を破壊しかねない技術を開発した。これを受けて科学者や技術者が世界中に散らばり、各々の知識を応用して疾病の根絶や食糧生産の増強に乗り出した。その多くは、冷戦下で第三世界諸国から忠誠を獲得するのが目的だった。エンゲルバートはこうした行動について読み、それがしばしば逆効果になっているのを見た。急速な食糧生産は土壌の枯渇につながり、昆虫の根絶は生態系の不均衡を招いた。

これが最終的に、コンピュータは単に計算を実行するだけでなく、人間の知能を "augment"、すなわち増強するのに使えるはずだという考えにつながった[14]

デモ

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ダグラス・エンゲルバートのスケッチをもとにビル・イングリッシュが設計したマウス[4]

1960年代初頭、エンゲルバートはコンピュータエンジニアとプログラマーから成るチームを結成し、スタンフォード大学スタンフォード研究所(SRI)にオーグメンテーション研究所(ARC)を立ち上げた[15]。コンピュータを単なる数値演算処理装置に限定せず、通信や情報の収集に使えるツールにするのが狙いだった[16]ヴァネヴァー・ブッシュが描いていたMemex装置のアイデアを実現し、コンピュータの対話的(インタラクティブ)な利用による人間の知能の増強を目指した[16]

アメリカ航空宇宙局(NASA)と ARPAの双方から助成金を得たエンゲルバートのチームは[17]、6年をかけて、目指すコンピュータシステムの実現に必要なあらゆる要素を取りまとめていった。ARPAのディレクターを務めるロバート・テイラーの勧めによって、サンフランシスコシビック・オーディトリウム英語版(市民公会堂)を会場として開催される1968年秋季合同コンピュータ会議で、NLSを初めて一般公開することが決まった[18]

合同会議のセッションは、題名を A research center for augmenting human intellect とした[19]。会場には、およそ1,000人のコンピュータ専門家が集まり、プレゼンを聴講した[20]。聴衆の中には、アラン・ケイチャールズ・アービー英語版アンドリーズ・ヴァン・ダム[21]ボブ・スプロール英語版などの著名な人物がいた[22]

エンゲルバートは、ビル・パクストン英語版ビル・イングリッシュといったチームメンバーがそれぞれ会場とは別の場所からデモの進行をアシストする形で、NLSの機能を実演した。プレゼンの実施に関わる技術面は、イングリッシュが指揮を執った[注 1]。エンゲルバートの操作が聴衆に見えるよう、NLSコンピュータの画面は、映像出力をアイドホール英語版プロジェクターに接続して高さ 6.7メートル (22 ft) の大スクリーンに映し出された[24]

ARCの研究者らは、1968年当時としては高速な1200 ボーモデムを特別に製作し、専用線を介して会場のコンピュータ・ワークステーションに接続されたキーボードとマウスからの入力を研究チームの本拠地であるメンロー・パークのラボに置かれているSDS-940コンピュータに転送した[注 2]

ラボと会場ホールの間で双方向の通信を実現するため、2本のマイクロ波回線が用意された。また、大スクリーンの表示を制御するため、イングリッシュはビデオ・スイッチャーを使った。メンロー・パーク側でカメラを担当したのはスチュアート・ブランドであった。ブランドはコンピュータ関係者ではなく、『全地球カタログ』の編者として当時よく知られていた人物で、デモの見せ方についてエンゲルバートとチームに助言した[25]

90分間のプレゼンで、エンゲルバートはマウスの試作機を使って画面上の移動やテキストの強調表示、ウィンドウのサイズ変更を行って見せた[26]。画面上のテキストを操作する統合システムが一般公開されたのはこれが初めてだった[26][注 3]

デモでは、ARCチームのジェフ・ルリフソンやビル・パクストンが大スクリーンの一部に代わる代わる映し出されて、彼らがARCの研究所からテキストの遠隔編集を行う様子も実演された。編集中、彼らは互いに相手の画面が見ながら会話もできた。続いて、エンゲルバートは下線付きのテキストをクリックして別のページに記載された情報にリンクするハイパーテキストの概念を示した[15]

エンゲルバートがデモを終えると、聴衆からスタンディング・オベーションが送られた[15]。引き続きシステムのデモを行い、NLSワークステーションをじっくり見てエンゲルバートに質問する機会を作るため、別室が用意された[要出典]。NLSシステムに対するエンゲルバートの考え方は特徴的であった。これについて、フレッド・ターナーは著書の『From Counterculture to Cyberculture: Stewart Brand, the Whole Earth Network, and the Rise of Digital Utopianism』で次のように書いている。

エンゲルバートは、「ブートストラップ」という考え方を世に広めた。すなわち、社会的技術システムであるNLSによる実験で生じた変容を逐一システム自体にフィードバックし、システムを進化させる(そして、おそらく改善する)のだ[28]

デモの影響

[編集]
ダグラス・エンゲルバート近影。2008年の「すべてのデモの母」40周年記念イベント(於サンフランシスコ)にて

秋季合同コンピュータ会議のデモが行われるまで、コンピュータ科学界隈の大半がエンゲルバートを「奇人」と見なしていたのが[26]、デモ後には「両手を使って稲妻を落とす」人物と評されるようになった[12]。後の1970年代にコンピュータ・グラフィックス分野で指導的立場のひとりとなったヴァン・ダム[29]も同様のシステムの開発を目指していたが、ようやく1967年に着手したばかりであった。エンゲルバートのNLSの完成度に衝撃を受けたヴァン・ダムは、プレゼン後のQ&Aセッションでエンゲルバートに詰め寄らんばかりに、次々と質問を浴びせた[30]。質問を終えたヴァン・ダムは、結局エンゲルバートのデモが、それまで見たことのないすばらしいデモだったと認めた[30]。しかし、ヴァン・ダムによれば、このデモがコンピュータ科学に与えた実際の影響は限定的だった。

誰もが驚き、とてつもなくすごいと思ったのに、それだけだった。それ以上の影響がなかったのだ。皆がまだ機械式テレタイプを使い、CRT付き端末にすら移行していない時代にあって、あまりにも手の届かない世界だったからだ。研究に熱心な小規模のコミュニティで興味を持った者たちはいたが、コンピュータ分野の全体に対しては影響力を及ぼさなかった。
アンディ・ヴァン・ダム、Reflections on a Half-Century of Hypertext (29:15)、ハイパーテキスト2019カンファレンスの基調講演より

1970年代に入ると、エンゲルバートのチームメンバーはARCを去り、各々の道を進んだ。結果的に多くはゼロックスのパロアルト研究所(PARC)に行き着いた。その1人が、マウスの改善をさらに進めたビル・イングリッシュである[15]。NASAとARPAの一員としてエンゲルバートを支援したロバート・テイラーもPARCに移った[31]。アラン・ケイも会場でデモを見た1人で、その後PARCでSmalltalkと呼ばれるオブジェクト指向のコンピューティング環境を設計した[26]

1973年には、Xerox Altoが完全に機能するに至った。Altoはエンゲルバートが1968年のデモで使用したNLS端末に似たパーソナルコンピュータであったが、はるかに小型で洗練されていた。マウスによる操作が可能なGUIを備えたAltoは、スティーブ・ジョブズに影響を与え、ひいては1980年代に登場したアップルMacintoshコンピュータとそのオペレーティングシステムにも影響を与えた[32]。最終的に、マイクロソフトもWindowsオペレーティングシステムでMacintoshに続き、AltoやNLSシステムと同様の多ボタン型マウスを採用した[4]

エンゲルバート自身の影響力は、1968年の合同会議が頂点だった。1970年代、そして1980年代の大半を通して、彼はマウスとハイパーテキストの発明者として人々の記憶に残り、これらがアップルとマイクロソフトに採用されたのは有名な話になった。デモから30周年を迎えた1998年、スタンフォード大学は大規模なカンファレンスを開催し、先駆者としてコンピューティングとWorld Wide Webに影響を与えたエンゲルバートを称えた[33]。40周年の記念イベントでは、エンゲルバートのデモが、コンピュータの歴史において最も重要なデモのひとつとして認められた[34]。2018年には、ダグラス・エンゲルバート協会とヴィントン・サーフコンピュータ歴史博物館Googleがスポンサーとなって50周年記念イベントが開かれた[35][36]‌。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ イングリッシュはこの会議に寄せられた論文の共同執筆者として名を連ねており、NLSとデモの実現に関わった主要エンジニアとしてエンゲルバートから謝辞を贈られている[23]
  2. ^ 1200ボー(1.2キロビット/秒)のモデムは、その後10年経っても「高速」な部類であった。また、当時のモデムは片側通信にしか対応していなかったので、アップリンクとダウンリンクに各1台が必要であった[25]
  3. ^ ドイツのテレフンケン社は、1960年代に「ロールクーゲル」(Rollkugel)と呼ばれるマウスを開発していた。エンゲルバートのプレゼンに先立つ1968年10月、この製品は同社の「Telefunken SIG-100」モニターの販促資料に掲載されていた。詳細はen:Computer mouse#First rolling-ball mouse(日本語版未掲載)を参照のこと[27]

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[編集]
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参考文献

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関連文献

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関連項目

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外部リンク

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