コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「海津亮介」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
148行目: 148行目:
[[Category:日本の男優]]
[[Category:日本の男優]]
[[Category:アクション俳優]]
[[Category:アクション俳優]]
[[Category:日本の悪役俳優]]
[[Category:過去の東京俳優生活協同組合所属者]]
[[Category:過去の東京俳優生活協同組合所属者]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:東京都出身の人物]]

2022年10月19日 (水) 19:53時点における版

かいづ りょうすけ
海津 亮介
本名 稲葉 和則(いなば かずのり)
生年月日 (1961-12-19) 1961年12月19日(62歳)
出生地 日本の旗 日本 東京都
身長 175 cm[1]
血液型 A型
職業 俳優声優
ジャンル テレビドラマ
活動期間 1985年 - 1999年
配偶者 既婚
主な作品
テレビドラマ
光戦隊マスクマン
テンプレートを表示

海津 亮介(かいづ りょうすけ、1961年12月19日[1][注釈 1] - )は、日本の元俳優。本名は稲葉 和則いなば かずのり[1]

東京都出身[1]大東文化大学中退。鷲尾企画[3]東京俳優生活協同組合[1]に所属していた。既婚。

来歴・人物

幼少期は将来の志望を持っておらず、進学後にやりたいことを見つけようと考えていたが、大学生活が自身の感覚に合わず、退学する理由付けとして俳優を目指すようになった[3]東京俳優生活協同組合の養成所を卒業した後、鷲尾企画に所属[3]。養成所時代の同級生には声優の富沢美智恵、後輩には山寺宏一がいた[3]

わが子よV』(1985年、TBS)で俳優としてデビュー[3]。『光戦隊マスクマン』(1987年、テレビ朝日)のタケル / レッドマスク(声)役や『渡る世間は鬼ばかり 第2シリーズ』(1993年、TBS)の佐久裕二役をはじめ、恋愛に絡む役を多く演じた。また、『マスクマン』に主演した縁から、その後も東映作品を中心に多くの特撮作品にゲスト出演したが、当時の所属事務所がテレビ出演のギャラを大幅に上げたことが原因で仕事の依頼がなくなり、1999年頃に芸能界を引退[4]

引退後は、味噌ラーメン専門店・味噌一上石神井店で店主を務めている[2][4][3]。自分のファンだった25歳年下のフィリピン人女性と結婚しており、2人の子供がいる[2][4]

2015年3月21日・22日、マニラにて開催されたJEFusionの主催によるイベント「HENSHINCON(変身コン)」に、『地球戦隊ファイブマン』(1990年、テレビ朝日)の信達谷圭と共にスペシャルゲストとして参加した。これをきっかけとして、2016年に信達谷とニヤニヤブラザーズを結成した後、スーパー戦隊シリーズOGである牧野美千子たなかえり宮澤寿梨を加えたニヤニヤブラザーズ&シスターズとしてライブ活動を行っている[5]

2022年にはテレビアニメ『怪人開発部の黒井津さん』第3話のナレーションを担当した[6]。これは同作品のレジェンド&ローカルヒーロープロデューサーを担当した鈴村展弘による依頼を快諾したものであるが、アフレコ当日には許可を得たうえでアニメ好きの我が子を現場に連れていき、自分の仕事を見学させてもらったという[6]

趣味・特技は、ジャズダンス[7]スキーテニスギターフルート

エピソード

『光戦隊マスクマン』関連

『光戦隊マスクマン』の前作『超新星フラッシュマン』(1986年、テレビ朝日)にもゲスト出演していたが、その際にレギュラーの植村喜八郎からこれが次期戦隊レッド候補の選考を兼ねたものであると聞かされていた[8][3]。その後、『マスクマン』の他のメンバーは東映本社で数回オーディションを行っていたことを聞いたが、自身は本社でオーディションを受けてはいないと述懐している[3]。また、『フラッシュマン』第27話を担当した監督の長石多可男からは、撮影中にオーディション前から海津に決めていたと告げられていた[3]

アクションを好んでいたため、自ら志願して派手なアクションシーンをスタントなしで演じることも多かった[8]。アクションを担当していたJACほどスピーディな動きはできないが、ミニトランポリンなどはこなせるようになったと述べている[8]

撮影当時はファンと触れ合う機会は少なかったが、ラーメン店を営んでから大人のファンが店を訪れるようになって「戦隊ファン」の存在を知り、ヒーローをやっていてよかったと思うようになり、代表作として『渡鬼』だけでなく『マスクマン』も挙げるようになったという[3]

脚本家の一人である井上敏樹は、初めて仲良くなった出演者が海津であるといい、当時はよく飲み歩いていたという[9]

出演

テレビドラマ

映画

オリジナルビデオ

  • 若い波紋(1997年、学研クリエーティブ同和問題啓発用ビデオ
  • 私たちと人権 -赤ちゃんのささやき-(1998年、東映)同和問題啓発用ビデオ

アニメ

CM

脚注

注釈

  1. ^ 2016年10月時点のインタビューでは、57歳と表記されている[2]

出典

  1. ^ a b c d e 日本タレント名鑑'94』VIPタイムズ社、1994年、84頁。 
  2. ^ a b c “元戦隊ヒーロー 番組出演のおかげで25歳下フィリピン人と結婚”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2016年10月21日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/10/21/kiji/K20161021013578000.html 2018年8月19日閲覧。 
  3. ^ a b c d e f g h i j 「SPECIAL INTERVIEW '87 海津亮介」『スーパー戦隊 Official Mook 20世紀 1987 光戦隊マスクマン』講談社〈講談社シリーズMOOK〉、2019年5月10日、20-21頁。ISBN 978-4-06-513713-0 
  4. ^ a b c “甘いマスクの元戦隊ヒーローの今 フィリピン女性と結婚”. デイリースポーツ (デイリースポーツ). (2016年10月21日). https://www.daily.co.jp/gossip/2016/10/21/0009600841.shtml 2019年8月17日閲覧。 
  5. ^ 構成・取材 藤渡和聡「イベントレポート」『宇宙船』vol.155(WINTER 2017.冬)、ホビージャパン、2016年12月29日、140頁、ISBN 978-4-7986-1360-4 
  6. ^ a b “「怪人開発部の黒井津さん」特集!鈴村展弘インタビュー”. アキバ総研 (カカクコム). (2022年4月1日). https://akiba-souken.com/article/55820/ 2022年5月23日閲覧。 
  7. ^ 『日本タレント名鑑'88』VIPタイムズ社、1988年、57頁。 
  8. ^ a b c 超世紀全戦隊大全集 1993, p. 188, 「戦隊シリーズ キャストインタビュー 海津亮介」
  9. ^ 「スーパー戦隊制作の裏舞台 井上敏樹」『スーパー戦隊 Official Mook 20世紀 1991 鳥人戦隊ジェットマン講談社〈講談社シリーズMOOK〉、2018年5月10日、33頁。ISBN 978-4-06-509613-0 
  10. ^ “怪人開発部の黒井津さん:田村ゆかり&堀江由衣が魔法少女ピリアマギアに あらいずみるい直筆イラストも”. まんたんウェブ (MANTAN). (2022年1月26日). https://mantan-web.jp/article/20220125dog00m200042000c.html 2022年1月26日閲覧。 

参考文献

外部リンク