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2022年10月8日 (土) 02:48時点における版

名古屋市立桜小学校
地図北緯35度6分25.28秒 東経136度56分29.74秒 / 北緯35.1070222度 東経136.9415944度 / 35.1070222; 136.9415944座標: 北緯35度6分25.28秒 東経136度56分29.74秒 / 北緯35.1070222度 東経136.9415944度 / 35.1070222; 136.9415944
国公私立の別 公立学校
設置者 名古屋市
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B123210001663 ウィキデータを編集
所在地 457-0005
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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名古屋市立桜小学校(なごやしりつ さくらしょうがっこう)は、愛知県名古屋市南区桜台二丁目にある公立小学校

歴史

沿革

  • 1939年(昭和14年)12月20日 - 呼続小学校より分離独立し、桜尋常小学校として開校[1]
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 名古屋市桜国民学校と改称[1]
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 名古屋市立桜小学校となる[1]
  • 1957年(昭和32年) - 分校が設置される[2]
  • 1958年(昭和33年)11月15日 - 分校が菊住小学校として分離独立する[2]
  • 1970年(昭和45年)4月1日 - 分校が設置される[2]
  • 1972年(昭和47年)4月1日 - 分校が名古屋市立春日野小学校として分離独立する[2]

児童数の変遷

『愛知県小中学校誌』(1998年)によると、児童数の変遷は以下の通りである[3]

1947年(昭和22年) 1,488人
1957年(昭和32年) 2,657人
1967年(昭和42年) 1,582人
1977年(昭和52年) 846人
1987年(昭和62年) 559人
1997年(平成9年) 348人

通学区域

所管する名古屋市教育委員会は、2019年(令和元年)9月1日現在、南区桜台一丁目・桜台二丁目・鶴田二丁目・中江一丁目・中江二丁目の各全域および、大堀町・鶴田一丁目・寺崎町鳥栖一丁目・鳥栖二丁目の各一部を通学区域として指定している[4]

また、卒業後の進学先は名古屋市立桜田中学校となっている[5]

アクセス

脚注

  1. ^ a b c 名古屋市南区役所 1979, p. 242.
  2. ^ a b c d 名古屋市南区役所 1979, p. 243.
  3. ^ 六三制教育五十周年記念愛知県小中学校誌編集委員会 1998, p. 361.
  4. ^ 名古屋市教育委員会事務局総務部教育環境計画室計画係 (2019年9月1日). “名古屋市立小・中学校の通学区域一覧(南区)” (PDF). 名古屋市. 2020年2月19日閲覧。
  5. ^ 名古屋市教育委員会事務局総務部教育環境計画室計画係 (2017年4月1日). “名古屋市立中学校区一覧(小→中)” (PDF). 名古屋市. 2020年2月19日閲覧。
  6. ^ a b c 概要・案内図”. 名古屋市立桜小学校. 2020年2月19日閲覧。

参考文献

  • 名古屋市南区役所 編『南区誌』名古屋市南区役所、1979年3月31日。 
  • 六三制教育五十周年記念愛知県小中学校誌編集委員会 編『六三制教育五十周年記念愛知県小中学校誌』1998年3月1日。 

関連項目

外部リンク