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2022年10月8日 (土) 02:17時点における版
高山市立上枝小学校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 高山市 |
設立年月日 | 1873年 |
閉校年月日 | 1950年 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒506-0059 |
岐阜県高山市下林町353[1]。 | |
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高山市立上枝小学校 (たかやましりつ ほずえしょうがっこう)は、かつて岐阜県高山市に存在した公立小学校。
概要
沿革
上枝小学校は、1900年開校した上枝高等小学校と上枝村の2つの尋常小学校(中切尋常小学校・山田尋常小学校)を統合した、上枝尋常高等小学校が起源と言える。ここではそれ以前についても記述する。
- 1874年(明治7年)
- 3月 - 中切村に三枝学校が開校。校区は上切村、中切村、下切村。
- 7月 - 山田村に山田学校が開校。校区は八日町村、山田村、下之切村、前原村、赤保木村、下林村。
- 1875年(明治8年) -
- 牧ヶ洞村、三日町村、藤瀬村、福寄村、三ツ谷村、坂村、下本村、有巣村、二俣村、中野村、楢谷村、大原村、上小鳥村、夏厩村、二本木村、池本村、江黒村、大谷村、森茂村、前原村、赤保木村、上切村、中切村、下切村、下林村、山田村、下之切村、新宮村、八日町村が合併し、清見村が発足。
- 山田学校が池田学校に改称する。
- 1880年(明治13年) - 池田学校が広徳学校に改称する。
- 1881年(明治14年) - 上切村が三枝学校から離脱し、成文学校を開校する。
- 1883年(明治16年) - 三枝学校が成文学校を統合する。
- 1886年(明治19年) - 三枝学校が中切簡易科小学校、広徳学校が山田簡易科小学校に、それぞれ改称する。
- 1888年(明治21年) - 中切簡易科小学校が中切尋常小学校、山田簡易科小学校が山田尋常小学校に、それぞれ改称する。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 清見村の一部[注釈 1]が分立し、上枝村が発足。
- 1900年(明治33年) - 上枝高等小学校が開校する。
- 1908年(明治41年) - 中切尋常小学校、山田尋常小学校、上枝高等小学校を統合し、上枝尋常高等小学校となる。本校は旧・上枝高等小学校に設置し、高等科と尋常科の高学年を収容。旧・中切尋常小学校を中切分教場、旧・山田尋常小学校を山田分教場とし、尋常科低学年を収容する。
- 1911年(明治43年) - 統合校舎が完成し、中切分教場、山田分教場を廃止。
- 1912年(明治45年) - 分教場の設置が検討され、中切地区(旧・中切分教場)、山田地区(旧・山田分教場)、新宮地区が候補となるが、中切地区と新宮地区に決定する。
- 1913年(大正2年) - 中切分教場、新宮分教場を設置。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 上枝国民学校に改称する。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 上枝村が高山市に編入される。上枝国民学校は高山市の学校となる。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 高山市立上枝小学校に改称する。校舎の一部を高山市立第四中学校の仮校舎として使用する。
- 1950年(昭和25年)4月 - 廃校。分割され、旧・中切分校の校舎を用いて三枝小学校、旧・新宮分校の校舎を用いて新宮小学校が開校する。旧・上枝小学校の校舎は高山市立第四中学校に転用される。
脚注
- ^ 前原、赤保木、上切、中切、下切、下林、山田、下之切、新宮、八日町。
- ^ 現在の住所表記。
参考文献
- 上枝村史 (上枝村史編纂委員会 2000年) P.365 - 379 P.432 - 444