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2022年10月8日 (土) 01:35時点における版
京都市立錦林小学校 | |
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北緯35度01分05秒 東経135度46分56秒 / 北緯35.01797度 東経135.78217度座標: 北緯35度01分05秒 東経135度46分56秒 / 北緯35.01797度 東経135.78217度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 京都市 |
学区 | 錦林東山学区 |
設立年月日 | 1869年(明治2年)8月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B126210000242 |
所在地 | 〒606-8322 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
京都市立錦林小学校(きょうとしりつ きんりんしょうがっこう)は、京都市左京区にある公立小学校。
沿革
1869年(明治2年)に開校した番組小学校(上京第32番組小学校)にルーツを持つ学校である。上京第32番組は鴨川沿いの地区(現在、この地域は「川東学区」と呼ばれる)であるが、当時まだ京都市に含まれていなかった浄土寺村や鹿ケ谷村などの近郊地区に分校を設けたことで広い校区を有することとなり、1900年(明治33年)に現在地(岡崎)へ移転した。第三錦林小学校(鹿ケ谷)・第四錦林小学校(吉田)は本校から別れた学校である(かつては第二錦林小学校も存在した)。
- 1869年(明治2年)8月21日 - 上京第32番組小学校として開校[1]。
- 1872年(明治5年)5月 - 上京第32区小学校と改称[1]。
- 1875年(明治8年)1月 - 上京第32区錦織小学校と改称、秋築町に移転[1]。
- 1881年(明治14年)
- 1888年(明治20年)7月 - 錦織尋常小学校と改称[1]。
- 1889年(明治21年) - 鹿ヶ谷・浄土寺・岡崎・聖護院・吉田・粟田口・南禅寺村が上京区に編入される。
- 1893年(明治26年)3月 - 錦織・吉田・浄土寺・鹿ケ谷校の4校が合併し、錦林尋常高等小学校と改称[1]。
- 1900年(明治33年) - 現在地に校舎移転[2]。
- 1902年(明治35年)4月 - 錦林小学校の東側(現在は錦林小学校校庭)に第二錦林小学校を設置。校区は同一で、男児が錦林校に、女児が第二錦林校に通学した[1][3]。
- 1903年(明治36年)6月4日 - 錦林尋常高等小学校と改称[1]。
- 1923年(大正12年) - 第三錦林小学校が分立[4]。
- 1931年(昭和6年) - 第四錦林小学校が分立[4]
- 1934年(昭和9年) - 第二錦林小学校を府立第一中学校跡地(現在の近衛中学校敷地)に移転することが決定[3]
- 1936年(昭和11年) - 第二錦林小学校新校舎完成。錦林小学校と校区を分け、男女共学となる[3]
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 錦林国民学校と改称[1]。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 京都市立錦林小学校と改称[1]。
- 1948年(昭和23年) - 第二錦林小学校は閉校、その校区は錦林・第三錦林・春日に分割・編入された[3]。その跡地には近衛中学校が開設された。
- 1954年(昭和29年)4月 - 福ノ川分校開設[1]。
- 1969年(昭和44年) - 創立100周年[1]。『錦林校百年史 : 錦林小学校創立100周年記念誌』を発行。
- 1976年(昭和51年) - 福ノ川分校閉鎖。京都市立白河養護学校(現在の京都市立白河総合支援学校)になる[1]。
- 2013年 (平成25年)4月3日 - 京都市立新洞小学校を統合[1]