「下呂市立総島小学校」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m 曖昧さ回避ページ馬瀬村へのリンクを解消、リンク先を馬瀬村 (岐阜県益田郡)に変更; リンク先を馬瀬村 (岐阜県益田郡)に変更(DisamAssist使用) |
m Bot作業依頼: 学校インフォボックステンプレート統合に伴う変更 (Template:Infobox 日本の学校) - log |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{日本の |
{{Infobox 日本の学校 |
||
|校名=下呂市立総島小学校 |
|校名=下呂市立総島小学校 |
||
|画像 = |
|画像 = |
2022年10月8日 (土) 01:33時点における版
下呂市立総島小学校 | |
---|---|
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 下呂市 |
設立年月日 | 1873年 |
閉校年月日 | 2009年 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒509-2614 |
岐阜県下呂市馬瀬惣島1518 | |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
下呂市立総島小学校 (げろしりつ そうじましょうがっこう)は、かつて岐阜県下呂市に存在した公立小学校。
概要
- 下呂市馬瀬地区(旧・益田郡馬瀬村)南部の小学校であり、馬瀬惣島、馬瀬下山、馬瀬西村、馬瀬井谷、馬瀬名丸が校区であった。2017年、中切小学校と統合し、馬瀬小学校の新設により廃校。
- 校舎は老人ホームなどに転用されている。
沿革
- 1873年(明治6年)4月 - 惣島村に総島小学校が開校。
- 1875年(明治8年) - 下山村、西村、惣島村、井谷村、名丸村、堀之内村、中切村、数河村、黒石村、川上村が合併し馬瀬村となる。
- 1884年 (明治17年) - 馬瀬村が上馬瀬村[注釈 1]と下馬瀬村[注釈 2]に分割される。総島小学校は下馬瀬村の学校となる。
- 1886年(明治19年) - 総島簡易科小学校に改称する。
- 1888年(明治21年) - 総島尋常小学校に改称する。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 上馬瀬村、下馬瀬村が合併し、馬瀬村が発足。
- 1905年(明治38年)2月8日 -
- 1907年(明治40年) - 総島尋常高等小学校に改称する。
- 1908年(明治41年) - 名丸分教場を廃止[1]。
- 1917年(大正6年) - 名丸分教場を再度開設。
- 1918年(大正7年) - 馬瀬村字栃尾[注釈 3]に新築移転。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 総島国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 馬瀬村立総島小学校に改称する。
- 1948年(昭和23年) - 校舎を増築。
- 1958年(昭和33年) - 校舎を増築。
- 1959年(昭和34年) - 体育館が完成[注釈 4]。
- 1967年(昭和42年)3月31日 - 名丸分校を廃止。
- 1971年(昭和46年)6月1日 - 下山分校を廃止。
- 1983年(昭和58年) - 総島中学校と中切中学校が統合され、馬瀬中学校[注釈 5]が発足。併設が解消され、総島小学校は単独校となる。
- 1987年(昭和62年) - 現在地に新校舎が完成し、移転。
- 1988年(昭和63年) - 体育館が完成。
- 2004年(平成16年)3月1日 - 下呂町、萩原町、小坂町、金山町、馬瀬村が合併し下呂市が発足。同時に下呂市立総島小学校に改称する。
- 2009年 (平成21年)
- 3月26日 - 閉校式。
- 3月31日 - 統合により廃校。
脚注
- ^ 馬瀬村制施行百周年記念誌P.37。
参考文献
- 馬瀬村制施行百周年記念誌 (馬瀬村制施行百周年記念事業実行委員会 1989年)