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「飛騨市立山田小学校」の版間の差分

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2022年10月8日 (土) 01:32時点における版

飛騨市立山田小学校
地図北緯36度17分50.7秒 東経137度15分09.1秒 / 北緯36.297417度 東経137.252528度 / 36.297417; 137.252528座標: 北緯36度17分50.7秒 東経137度15分09.1秒 / 北緯36.297417度 東経137.252528度 / 36.297417; 137.252528
国公私立の別 公立学校
設置者 飛騨市
設立年月日 1873年
閉校年月日 2005年
共学・別学 男女共学
所在地 506-1156
岐阜県飛騨市神岡町山田2059
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飛騨市立山田小学校 (ひだしりつ やまだしょうがっこう)は、かつて岐阜県飛騨市に存在した公立小学校

概要

  • 旧・吉城郡神岡町の西部(旧・吉城郡袖川村の西部)の小学校であった。2005年、旧・神岡町の3つの小学校(神岡東小学校神岡西小学校、山田小学校)を統合し、神岡小学校の開校により廃校。
  • 1947年から1977年までは山田中学校を併設し、合わせて山田小中学校とも称した。
  • 廃校後、校舎は山田生涯学習館として使用されたが、老朽化のため2017年に取り壊された[1]。グラウンドは飛騨市山田グラウンド[2]、体育館は飛騨市山田体育館[3]として利用されている。

沿革

  • 1873年(明治6年) - 西村に西村小学校が開校。
  • 1875年(明治8年)
    • 4月 - 山田村に移転。山田学校に改称する。
    • 7月1日 - 高原郷が下高原郷と上高原郷(後の上宝村域、現高山市上宝町・奥飛騨温泉郷に相当)とに分立。そのうち下高原郷49か村が合併し神岡村が成立。
  • 1885年(明治18年) - 新築移転。このころ山田尋常小学校に改称する。
  • 1889年(明治22年)7月1日 - 神岡村を3分割され、巣山・柏原・大笠・山田・西・伏方・堀之内・寺林・梨ヶ根の9地区で袖川村が発足。
  • 1912年(明治45年) - 新築移転。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 山田国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 袖川村立山田小学校に改称する。
  • 1950年(昭和25年)6月10日 - 船津町阿曽布村、袖川村が合併し、神岡町が発足。同時に神岡町立山田小学校に改称する。
  • 1978年(昭和53年) - 新校舎(鉄筋コンクリート造)が完成。
  • 2004年(平成16年)2月1日 - 古川町、神岡町、宮川村河合村が合併し、飛騨市が発足。同時に飛騨市立山田小学校に改称する。
  • 2005年(平成17年)3月 - 統合により廃校。

脚注

参考文献

  • 神岡町史 通史編Ⅱ (飛騨市教育委員会 2008年) P.207 - 264

関連項目