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2022年10月8日 (土) 01:17時点における版
宇部市立厚東小学校 | |
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北緯34度1分36.4秒 東経131度14分57.1秒 / 北緯34.026778度 東経131.249194度座標: 北緯34度1分36.4秒 東経131度14分57.1秒 / 北緯34.026778度 東経131.249194度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 宇部市 |
設立年月日 | 1876年(明治9年)[1][2] |
(厚東小学校創立年) | (1875年(明治8年))[3] |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B135210000465 |
所在地 | 〒759-0121 |
山口県宇部市大字棚井7番地1(棚井上、字旦山) | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
宇部市立厚東小学校(うべしりつ ことうしょうがっこう)は、山口県宇部市大字棚井にある公立小学校。JR山陽本線(厚東駅~宇部駅間)及び山口県道215号宇部停車場線を挟んで厚東川の西側の高台に位置する。
沿革
1870年代[注 1]に、棚井小学校、吉見小学校、広瀬小学校及び引地分校の三校一分校が開校[注 1]し、つまり、現在の宇部市立厚東小学校の起源となる小学校が開校[注 1]し、19世紀末1年前に、現在の宇部市立厚東小学校が所在する場所への移転及び厚狭郡厚東村における一村一校への学校統合がなされ、その後、市町村合併等により、三度、校名が改称され、その結果、宇部市立厚東小学校と称することとなり、現在に至る。
- 1885年(明治18年) - 棚井小学校を厚東小学校と改称する(棚井小学校及び広瀬小学校の学校統合並びに棚井小学校及び引地分校の学校統合についても、併せて実施される。)。
- 1887年(明治20年) - 厚東小学校を厚東尋常小学校と改称する(但し、1887年(明治20年)の改称当時において、高等科及び小学簡易科があった。)。
- 1892年(明治25年) - 厚東尋常小学校を厚東尋常高等小学校と改称する(小学校令によるもの。)。
- 1899年(明治32年) - 厚狭郡厚東村(あさぐん ことうそん、1889年(明治22年)発足、1954年(昭和29年)廃止)において、一村一校の学校統合を実施する(従来の厚東及び吉見2学校の学校統合によるもの。)。一村一校実施後の校名については、従前からの厚東尋常高等小学校と称する。所在地の移転についても、併せて実施され、従来の厚東及び吉見2学校の所在地から、現在、宇部市立厚東小学校が所在する場所(山口県宇部市大字棚井字旦山)に移転する。[注 2]
- 1941年(昭和16年) - 厚東国民学校と改称する(国民学校令によるもの。)。
- 1947年(昭和22年) - 厚東小学校と改称する(学制改革 - 学校教育法によるもの。)。
- 1947年(昭和22年) - 厚東中学校(初代、現・宇部市立厚東川中学校の前身中学校[注 3])が開校し、小中併設となる。[注 4][注 5]
- 1954年(昭和29年) - 宇部市立厚東小学校と改称する(厚狭郡厚東村を宇部市に合併の実施によるもの。)。
- 1959年(昭和34年) - 校歌を制定する(作詞 岡部 翠、作曲 鶴岡 義雄)。
- 1965年(昭和40年) - 厚東小学校九十年史が発行される。
- 1974年(昭和49年) - 厚東小学校百年史(九十年史の改訂増補)が発行される。
学校行事
【1学期】
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【2学期】
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【3学期】
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校区
- 厚東校区自治会区(厚東1区 - 厚東14区)全区(厚東14区のうち5班を除く)
- 上記の厚東1区 - 厚東14区の区域は、かつて山口県厚狭郡の東部に存在した厚東村(ことうそん、1889年(明治22年)発足、1954年(昭和29年)廃止)の区域と同一である。
- 宇部市特認校就学制度に基づき、令和4年度の特認校として認定されている。[注 6]
交通アクセス
脚注
注釈
- ^ a b c それぞれの開校年が1870年代であることのほか、開設年が有る学校では、それぞれの開設年が1870年代であり、設置年が有る学校では、それぞれの設置年が1870年代であり、設立年が有る学校では、それぞれの設立年が1870年代であり、創立年が有る学校では、それぞれの創立年が1870年代であること。[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12]
- ^ 1899年(明治32年)の「一村一校」とするための「学校統合」については、「従来の厚東及び吉見2学校」のうちの一方の「吉見小学校」の扱いによるが、「一村二校」を「一村一校」とするための「学校統合」ということと、「一村一校一分校」を「一村一校」とするための「学校統合」ということの、両論を併記した内容の記述としていること。
- ^ 厚東中学校(初代)が現在の宇部市立厚東川中学校に至るまでの学校統廃合の状況については、山口県中学校の廃校一覧を参照のこと。
- ^ 中学校の開校当初においては、中学校の校舎がなく、小学校及び中学校の両校が、小学校の校舎を共用していた。小学校の北隣に中学校の新校舎が完成し供用開始したのは、中学校の開校から2年後の1949年(昭和24年)のことである。中学校が、その後、1950年代後半(昭和30年代前半)に、現在、宇部市立厚東川中学校が所在する場所(山口県宇部市大字吉見)に移転実施している。これらに関することについて、換言・要約等すると、戦後の一時期においては、小中併設の学校であったが、現在においては、既に、小中併設ではない学校となっていること。
- ^ 中学校の移転後の跡地については、1960年代前半(昭和30年代後半)に、南側の高台をそのまま残し、あとを平坦化し、小学校の新しい運動場としている。
- ^ 宇部市内においては、厚東小学校、二俣瀬小学校、小野小学校、吉部小学校、万倉小学校及び厚東川中学校が特認校として認定されていること。
- ^ a b c d 2021年(令和3年)10月現在の路線番号であること。
出典
- ^ a b 宇部市史編集委員会『宇部市史 史料篇 下巻』宇部市、1990年3月31日、643頁,645頁頁。
- ^ a b 宇部市史編集委員会『宇部市史 通史篇 下巻』宇部市、1993年5月1日、39頁。
- ^ a b 宇部市史編集委員会『宇部市史 通史篇 下巻』宇部市、1993年5月1日、215頁。
- ^ 宇部市史編集委員会『宇部市史 年表』宇部市、1991年3月31日、48頁。
- ^ 宇部市史編纂委員会監修委員 三坂圭治『宇部市史 通史篇』宇部市史編纂委員会、1966年3月31日、759頁。
- ^ 山口県立大学名誉教授 國守進(監修)、唐沢、吉村、中村、山田、沖、植村、増田、堀、吉冨『保存版 ふるさと宇部』(株)郷土出版社、長野県松本市、2011年12月17日、220頁。
- ^ 山口県文書館専門研究員 田村哲夫『山口県小学校の系譜 地区別寺子屋の発展』風説社(高橋正己)、山口県山口市、1973年11月20日、85-86頁。
- ^ 厚狭郡教育会『厚狭郡史(限定300部復刻版)』厚狭郡教育会、【限定復刻版】マツノ書店、【限定復刻版】山口県徳山市(現:周南市)、1926年6月20日、【限定復刻版】1986年4月20日、159頁。
- ^ 厚東小学校九十年史編集委員長 上原務『厚東小学校九十年史』宇部市立厚東小学校、1965年3月6日、14-15頁,18-20頁,112頁頁。
- ^ 厚東小学校百年史編集委員会『厚東小学校百年史』厚東小学校開校百周年記念事業委員会、1974年11月12日、4頁,6-7頁,71頁頁。
- ^ 『宇部市立厚東小学校 学校経営 昭和59年度』宇部市立厚東小学校、3頁。
- ^ 厚東郷土史研究会、沖、中岡、川本、田中、永冨、窪井、永嶋『厚東 第31集(厚東小学校特集号)』厚東郷土史研究会、山口県宇部市、1989年12月1日、4-6頁,10頁頁。