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2022年10月7日 (金) 19:55時点における版
壱岐市立石田小学校 | |
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北緯33度44分52.7秒 東経129度45分23.5秒 / 北緯33.747972度 東経129.756528度座標: 北緯33度44分52.7秒 東経129度45分23.5秒 / 北緯33.747972度 東経129.756528度 | |
過去の名称 |
第五大学区第四中学区石田小学校 中等石田小学校 尋常石田小学校 石田尋常小学校 石田尋常高等小学校 石田村国民学校 石田村立石田小学校 石田町立石田小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 壱岐市 |
設立年月日 | 1875年(明治8年) |
共学・別学 | 男女共学 |
分校 | 筒城分教場(1959年独立) |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B142210002491 |
所在地 | 〒811-5215 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
壱岐市立石田小学校(いきしりつ いしだしょうがっこう, Iki City Ishida Elementary School)は長崎県壱岐市石田町石田西触にある公立小学校。略称は「石田小」。
概要
- 歴史
- 1875年(明治8年)に開校した「第五大学区第四中学区石田小学校」を前身とする。2010年(平成22年)に創立135年を迎えた。
- 校章
- 桜の花の中央に「小」の文字を置いている。
- 校歌
- 作詞は山本文夫、作曲は伊藤英一による。歌詞は2番まである。1番の最初に「石田野(いわたぬ)」、2番の歌詞に校名の「石田」が3ヶ所登場する。
- 校区
- 住所表記で、石田町の後に「印通寺浦」、「本村触」、「南触」、「石田西触」、「石田東触」、「池田西触」、「池田仲触」、「池田東触」、「久喜触」、「石田町湯岳興触」、「湯岳射手吉触」が続く地区[1]。中学校区は壱岐市立石田中学校。
沿革
- 1875年(明治8年)- 龍峰院を仮校舎に「第五大学区第四中学区石田小学校」が開校。
- 1876年(明治9年)- 筒城小学校[2]が分離・独立。(旧・庄屋を仮校舎)
- 1878年(明治11年)- 伝記庵を校舎に池田分舎を設置。
- 1882年(明治15年)- 筒城小学校と池田分舎を統合し、「中等石田小学校」と改称。石田西間に校舎が完成。
- 1886年(明治19年)- 「尋常石田小学校」に改称。(後に「石田尋常小学校」に改称。)
- 1893年(明治26年)- 高等科を併置し、「石田尋常高等小学校」に改称。石田神ノ本に校舎を新築。
- 1901年(明治34年)- 校舎を改築。
- 1905年(明治38年)- 校友会を創始。
- 1908年(明治41年)- 西福寺に筒城分教場を設置。後に分教場校舎が完成。
- 1910年(明治43年)- 第一回学芸会を実施。
- 1911年(明治44年)- 校地・運動場を拡張。南校舎を増築。
- 1912年(明治45年)- 第一回石田村市と運動会を併催。
- 1919年(大正8年)- 図書館を新築。
- 1921年(大正10年)- 保護者会・母子会を創設。
- 1926年(大正15年)- 校長 藤江徳春が米国視察。
- 1928年(昭和3年)- ラジオを備え付け。石田青少年十字団を結成。
- 1930年(昭和5年)- 電話を設置。
- 1931年(昭和6年)- 現在地(杓子松)に校地・運動場を完成。
- 1933年(昭和8年)- 現在地に校舎が2棟完成し、移転。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「石田村国民学校」と改称。
- 1943年(昭和18年)- 講堂が完成。熊本記念講堂と命名。
- 1944年(昭和19年)- 石田村国民学校が移転完了。
- 1945年(昭和20年)- 米軍機の空爆により、講堂が被弾し、損壊。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制実施)により、「石田村立石田小学校」と改称。
- 1948年(昭和23年)- 育友会を結成。
- 1952年(昭和27年)- 6年生の修学旅行を開始。(目的地は福岡方面)
- 1954年(昭和29年)- 青少年十字団へ加盟。
- 1958年(昭和33年)- 久喜[3]地区が郷ノ浦町より石田村に編入されたことにより、久喜地区の児童が志原小学校から石田小学校に編入。テレビを購入。
- 1959年(昭和34年)- 筒城分教場が分離し、石田村立筒城小学校として独立。学びの池・小鳥舎が完成。
- 1961年(昭和36年)- ミルク給食を開始。湯岳地区の一部が芦辺町より石田村に編入されたことにより、編入地区の児童が那賀小学校から石田小学校に編入。
- 1962年(昭和37年)- 校地緑化を実施。
- 1963年(昭和38年)- RKB毎日放送より、テレビ教育研究協力校の委嘱を受ける。講堂の大修理を実施。
- 1964年(昭和39年)- 村営プールが完成。
- 1965年(昭和40年)- 校歌を制定。
- 1966年(昭和41年)- 鉄筋コンクリート造3階建て校舎が完成。NHKラジオ体操会場となる。
- 1967年(昭和42年)- 完全給食を開始。校舎裏学校園が完成。
- 1970年(昭和45年)- 熊本利平の胸像を建立。中庭に総合学習園が完成。町制施行により「石田町立石田小学校」に改称。
- 1971年(昭和46年)- 学校裏山を学習園とする。
- 1975年(昭和50年)- 創立100周年を記念し、記念大望像が完成。
- 1977年(昭和52年)- 米飯給食を開始。
- 1979年(昭和54年)- 校内テレビ設備を完備。
- 1983年(昭和58年)- 学校情報テレホンサービスを開始。
- 1985年(昭和60年)- 小学校用小プールが完成。
- 1986年(昭和61年)- 給食用リフトを設置。講堂に簡易バレーボール設備が完成。
- 1987年(昭和62年)- 台風12号により講堂が損壊し、解体される。
- 1989年(平成元年)- 屋内運動場(文化体育館)が完成。校舎裏山に学校園「いわたぬ園(石田園)」を造成。
- 2004年(平成16年)3月1日 - 町村合併により、「壱岐市立石田小学校」(現校名)に改称。
- 2011年(平成23年)9月1日 - 壱岐市学校給食センターが勝本町亀石地区に完成したことにより、同センターからの配送方式に変更。
著名な出身者
- 熊本利平
アクセス
- 最寄りの港
- 最寄りのバス停(一般路線バス)
- 最寄りの道路
周辺
脚注
- ^ 壱岐市立小・中学校の校区の設定に関する規則 - 壱岐市ウェブサイト
- ^ 読みは「つつき」。
- ^ 読みは「くき」。
参考文献
- 「石田町史 産業・経済・教育・福祉編」(1992年(平成4年)11月3日、石田町)
- 壱岐の歴史情報 1800年代 - 壱岐市立一支国博物館ウェブサイト