壱岐市立志原小学校
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壱岐市立志原小学校 | |
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北緯33度45分14秒 東経129度43分14秒 / 北緯33.753889度 東経129.720583度座標: 北緯33度45分14秒 東経129度43分14秒 / 北緯33.753889度 東経129.720583度 | |
過去の名称 |
第五大学区第四中学区志原小学校 石田郡武生水部公立志原小学校 石田郡武生水学区公立中等志原小学校 石田郡尋常志原小学校 石田郡志原村立志原尋常小学校 壱岐郡志原尋常小学校 壱岐郡志原尋常高等小学校 志原村国民学校 志原村立志原小学校 郷ノ浦町立志原小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 壱岐市 |
設立年月日 | 1875年(明治8年) |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210002384 |
所在地 | 〒811-5122 |
長崎県壱岐市郷ノ浦町大原触115番地 | |
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壱岐市立志原小学校(いきしりつ しわらしょうがっこう, Iki City Shiwara Elementary School)は長崎県壱岐市郷ノ浦町にある公立小学校。略称は「志原小」(しわらしょう)。
概要
[編集]- 歴史
- 1875年(明治8年)に開校した「第五大学区第四中学区志原小学校」を前身とする。2010年(平成22年)に創立135周年を迎えた。
- 校章
- 1969年(昭和44年)に制定。校舎の北側、山を隔てて大原触の山間を流れる小川の岸に群生する天然記念物「スキヤクジャク」[1]の葉で校名の「志小」の文字(縦書き)を囲んでいる。
- 校歌
- 歌詞は3番まであり、校名は歌詞に登場しない。
- 校区
- 住所表記で郷ノ浦町の後に「平人触」、「釘山触」、「志原西触」、「志原南触」、「大原触」が続く地区[2]。卒業後は、大半が壱岐市立郷ノ浦中学校へ進学する。
沿革
[編集]- 1875年(明治8年)- 「第五大学区第四中学区志原小学校」が大原(たいばる)触の円光寺本堂を仮校舎に創立。
- 1879年(明治12年)- 「長崎県石田郡武生水部公立志原小学校」と改称。
- 1881年(明治14年)- 大原触の民家を改修し、校舎とする。
- 1883年(明治16年)- 「石田郡武生水学区公立中等志原小学校」と改称。
- 1886年(明治19年)- 小学校令の改正に伴い、「長崎県石田郡尋常志原小学校」と改称。 初等初山小学校を統合。
- 1889年(明治22年)- 大原触宮の原に移転。
- 1890年(明治23年)- 初山小学校が分離・独立する。
- 1892年(明治25年)- 「志原尋常小学校」と改称。久喜[3]部に1・2年学級を開設。
- 1908年(明治41年)- 高等科を設置し、「志原尋常高等小学校」と改称。久喜学級を廃止。
- 1909年(明治42年)- 釘山触字高田に移転。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「志原村国民学校」と改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制)により、「志原村立志原小学校」と改称。志原中学校を併設。
- 1949年(昭和24年)- 志原中学校を武生水中学校に統合。
- 1953年(昭和28年)- 大原触115番地(現在地)に移転。
- 1955年(昭和30年)2月11日 - 町村合併に伴い、「郷ノ浦町立志原小学校」と改称。
- 1958年(昭和33年)- 久喜地区が郷ノ浦町から石田町に編入されたことに伴い、久喜地区の児童が石田村立石田小学校に転出。
- 1959年(昭和34年)- 完全給食A型を開始。
- 1968年(昭和43年)- 給食センター方式を実施。
- 1969年(昭和44年)- 校章を制定。
- 1975年(昭和50年)- 創立100周年を記念して、プールが完成。校旗を新調。
- 1977年(昭和52年)- 鉄筋コンクリート造2階建ての新校舎が完成。
- 1978年(昭和53年)- 体育館が完成。
- 2004年(平成16年)2月25日 - 4町合併による壱岐市誕生に伴い、「壱岐市立志原小学校」(現在名)に改称。
アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 壱岐交通 「志原」バス停
- 最寄りの国道・県道
周辺
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「郷ノ浦町史」(1998年(平成10年)6月発行、編集・郷ノ浦町史編纂委員会、出版・郷ノ浦町教育委員会)
- 壱岐の歴史情報 1800年代 - 壱岐市立一支国博物館ウェブサイト