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「長崎市立浪平小学校」の版間の差分

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2022年10月7日 (金) 19:38時点における版

長崎市立浪平小学校
地図北緯32度43分50秒 東経129度52分00秒 / 北緯32.73067度 東経129.86658度 / 32.73067; 129.86658座標: 北緯32度43分50秒 東経129度52分00秒 / 北緯32.73067度 東経129.86658度 / 32.73067; 129.86658
過去の名称 私立小曽根小学校
公立中等小曽根小学校
尋常小曽根小学校
尋常鎮鼎小学校
鎮鼎尋常小学校
鎮鼎高等小学校
浪平尋常高等小学校
浪平尋常小学校
浪平尋常高等小学校
長崎市浪平国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 長崎市
設立年月日 1878年(明治11年)1月11日
創立者 小曽根乾堂
閉校年月日 2007年(平成19年)3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 850-0931
長崎県長崎市南山手15番26号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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長崎市立浪平小学校(ながさきしりつ なみのひらしょうがっこう, Nagasaki City Naminohira Elementary School)は、かつて長崎県長崎市南山手にあった公立小学校2007年平成19年)に、統廃合で閉校した。

北大浦小学校南大浦小学校との3校統合の上、同年4月に長崎市立大浦小学校が新設された。

概要

歴史
1878年明治11年)に小曽根乾堂によって「私立小曽根小学校」として創立された。数回の移管・改称を経て、1947年昭和22年)の学制改革で「長崎市立浪平小学校」となった。2007年(平成19年)に長崎市内の小学校2校(北大浦・南大浦)との統合により、旧・南大浦小学校の地に長崎市立大浦小学校が新設されたため、浪平小学校は130年の歴史に幕を下ろした。
校地
長崎港を一望できる小高い丘の上に立っていた。
学校教育目標
「豊かな心をもち、社会の変化に対応してたくましく生きぬくなみっ子[1]を育てる。」
校章
校歌
2番まであり、どちらにも校名の「浪平」が歌詞に登場する。
校区
長崎市立梅香崎中学校区であった。

沿革

アクセス

最寄りのバス停
最寄りの国道

周辺

参考文献

  • 市制百年 長崎年表 (長崎市役所、1989年(平成元年)4月1日)

脚注

  1. ^ 平小学校のども
  2. ^ 「なべかんむりやま」。別名「鎮鼎山」とも呼ばれた。標高169.2m。
  3. ^ 「鎮鼎」の由来は、創設者の小曽根乾堂が関係している。小曽根乾堂が1871年(明治4年)5月に日清修好条規締結のため、全権大使伊達宗城に書記として天津へ随行した際、李鴻章に面会し篆刻を送った返礼として送られた「鎮鼎山房の書」に由来していると言われている。
  4. ^ 学校背後の鍋冠山(別名 鎮鼎山)から転がってきたといわれる大岩に小曽根星堂(小曽根乾堂の孫)が文字を刻んでいる。
  5. ^ 長崎市の景観 №125小学校鎮鼎の記念碑の大石 - 長崎市役所ウェブサイト

関連事項

外部リンク