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2022年10月7日 (金) 15:13時点における版
土岐市立泉小学校 | |
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北緯35度22分6.5秒 東経137度11分21.0秒 / 北緯35.368472度 東経137.189167度座標: 北緯35度22分6.5秒 東経137度11分21.0秒 / 北緯35.368472度 東経137.189167度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 土岐市 |
設立年月日 | 1888年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B121221200073 |
所在地 | 〒509-5104 |
岐阜県土岐市泉中窯町1-5 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
土岐市立泉小学校(ときしりつ いずみしょうがっこう)は、岐阜県土岐市泉中窯町にある公立小学校である。
通学区域
- 通学区域は、泉町大富、泉町定林寺、泉町河合、泉東窯町、泉中窯町、泉西窯町、泉寺田町、泉大島町、泉仲森町、泉森下町、泉島田町、泉梅ノ木町、泉北山町、泉神栄町、泉町久尻の一部、土岐津町高山字向田である。公立中学校の進学先は土岐市立泉中学校である[1]。
沿革
- 1873年(明治6年) - 績新義校が開校。久尻村、大富村の児童が通学する。定林寺村の児童は河合村の専精義校へ通学する。
- 1874年(明治7年) - 績新義校が久尻村岩畑に移転。
- 1877年(明治10年) - 大富村が単独で学校を設立(校名不明)。績新義校が久尻村郷へ移転。
- 1886年(明治19年) - 績新義校が久尻簡易科小学校に改称する。
- 1887年(明治20年) - 久尻簡易科小学校が久尻尋常小学校に改称する。
- 1888年(明治21年) - 久尻尋常小学校の校区が久尻村と大富村となり、大富村の学校が廃校。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 久尻村、大富村、定林寺村が合併。町村制施行に伴い泉村が発足。同時に泉尋常小学校に改称する。
- 1900年(明治33年) - 定林寺区が河合尋常小学校校区から泉尋常小学校校区に移る。
- 1902年(明治35年) - 大富白山神社の隣接地に移転。
- 1911年(明治44年) - 現在地に新築移転。
- 1912年(明治45年) - 泉尋常高等小学校に改称する。
- 1915年(大正4年)10月1日 - 泉村が町制施行し、泉町となる。同時に泉町立泉尋常高等小学校に改称する。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 土岐郡泉国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 土岐郡泉町立泉小学校に改称する。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 明世村の戸狩、山野内、月吉が瑞浪土岐町・稲津村・釜戸村・大湫村・日吉村・恵那郡陶町と合併し、瑞浪市が発足。明世村の残部(河合)が泉町に編入され、河合地区は明世小学校から泉小学校に移る。
- 1955年(昭和30年)2月1日 - 泉町、鶴里村、駄知町、下石町、妻木町、土岐津町、肥田村、曽木村と合併し土岐市となる。同時に土岐市立泉小学校に改称する。
- 1969年(昭和44年) - 新校舎(鉄筋コンクリート造)が完成。
- 1979年(昭和54年) - 体育館が完成。
- 1981年(昭和56年) - 土岐市立泉小学校、土岐市立泉西小学校の2校に分離する
- 1988年(昭和63年) - 創立100周年記念事業を行う
- 2006年(平成18年) - 新校舎完成、竣工式を行う
学校周辺
関連項目
注釈
脚注
外部リンク
- 2019年1月以降、ホームページからブログに変更。