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「アッシュルバニパルの図書館」の版間の差分

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{{Infobox library
{{表記揺れ案内|text=この記事の項目名には分野により以下のような表記揺れがあります。 |表記1=アッシュルバニパルの図書館|表記2=アッシュールバニパルの図書館|議論ページ=[[ノート:アッシュル#「アッシュル」への改名を提案します|過去の議論]]}}
| library_name = アッシュルバニパルの図書館
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'''アッシュルバニパルの図書館'''(アッシュルバニパルのとしょかん)は前7世紀のあらゆる種類、様々な言語の文書からなる、30,000点以上の[[粘土板]]と断片のコレクション。最後の有力な[[新アッシリア帝国|アッシリア帝国]]の王[[アッシュルバニパル]]にちなんで呼ばれている。このコレクションには有名な'''[[ギルガメシュ叙事詩]]'''が含まれていた<ref name="Murray, Stuart A.P." />。


現代の歴史家はアッシュルバニパルの図書館から[[古代オリエント]]の人々に関する情報を得ている。[[ハーバート・ジョージ・ウェルズ|H・G・ウェルズ]]は著書『世界史大系(''{{仮リンク|The Outline of History|label=Outline of History|en|The Outline of History}}'')』において、この図書館を「世界で最も貴重な歴史史料の源」としている<ref>{{cite book |last=Wells |first=H. G. |title=The Outline of History: Volume 1 |date=1961 |publisher=Doubleday |page=177}}</ref>。
[[ファイル:British Museum Flood Tablet.jpg|サムネイル|ギルガメッシュ洪水神話が書かれた粘土板]]


アッシュルバニパルの図書館は北[[メソポタミア]]にある{{仮リンク|クユンジク|en|Kouyunjik}}(古代の[[ニネヴェ]]、[[アッシリア]]の首都)の[[考古学]]遺跡で発見された。この遺跡は現在の[[イラク]]北部の[[モースル]]市の近郊である<ref name="Polastron, Lucien X. 2007, pages 2-3">Polastron, Lucien X.: "Books On Fire: The Tumultuous Story Of The World's Great Libraries" 2007, pp. 2–3, Thames & Hudson Ltd, London</ref><ref name="gallica.bnf.fr">Menant, Joachim: [http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k104837f/f41.table "La bibliothèque du palais de Ninive"] 1880, Paris: E. Leroux</ref>。
'''アッシュルバニパルの図書館'''(アッシュルバニパルのとしょかん、'''Library of Ashurbanipal''', '''Royal Library Ashurbanipal''')は、[[メソポタミア]]北部の[[ニネヴェ (メソポタミア)|ニネヴェ]]のクユンジク(Kuyunjik)の丘に[[紀元前7世紀]]に設立された[[図書館]]で、[[王室]]の記録、[[年代記]]、[[神話]]、[[宗教]][[文書]]、[[契約]]書、王室による許可書、[[法令]]、[[手紙]]、[[行政]]文書などが発見されている。[[遺物]]の文書記録(粘土板)の殆ど(30,943 点)は、[[大英博物館]]([[ロンドン]])に保管されている。


==概要==
== 発見 ==
[[1849年]]、[[オースティン・ヘンリー・レヤード]]により、[[センナケリブ]](705681 BC)[[王宮]]、""南西宮殿""から最初に発見される
アッシュルバニパルの図書館の発見は[[オースティン・ヘンリー・レヤード]]の考古学的成果とされている。大部分の粘土板はイングランド運ばれ現在では[[大英博物館]]に収蔵されている。ただし最初に発見されたのは1849年末ニネヴェの[[センナケリブ]]王(在位:前705年-前681年)の王宮(いわゆる南西宮殿)でのものであった


その3年後、レヤードの助手(assistant){{仮リンク|ホルムズド・ラッサム|en|Hormuzd Rassam}}がクユンジクの丘の反対側にある[[アッシュルバニパル]]王(在位:前668年-前627年)の王宮で同様の図書館を発見した。残念ながらこれらの発見がどのようになされたのかは記録されておらず、両方の遺構で発掘された粘土板はヨーロッパに到着して間もない段階で取り返しがつかない程にごちゃ混ぜになっており、他の遺跡から発見された粘土板も混入してしまっていたと見られる。従って今日ではセンナケリブとアッシュルバニパルの図書館それぞれの元の収蔵品を完全に復元するのはほぼ不可能である{{Citation needed|date=December 2022}}。
[[1852年]]、レイヤードのアシスタントであるホルムズド・ラッサム(Hormuzd Rassam、1826年 – 1910年9月16日)([[アデン]]英国領事館の書記官で、[[モースル]]生まれの[[イラク]]国籍のキリスト教徒の[[アッシリア人]])により、[[アッシュルバニパル]]の宮殿から、より多数の文書の記録が発見される。
== 収蔵品 ==
[[アッシュルバニパル]]は辛抱強い軍司令官として知られていたが、また識字能力を持ち熱心な文書・粘土板の収集家としても知られていた<ref name="Roaf, M. 1990">{{仮リンク|マイケル・ローフ|label=Roaf, M|en|Michael Roaf}}(1990). Cultural atlas of Mesopotamia and the ancient Near East. New York: Facts on File.</ref>。図書館に文書を集める最中、彼はメソポタミア全域の都市と教育拠点に向けて、その地域の文書化された作品全ての複写を送るように指示を書き送った<ref>{{Cite web|title=Ashurbanipal|url=https://www.worldhistory.org/Ashurbanipal/|access-date=2021-10-28|website=World History Encyclopedia|language=en}}</ref>。彼は書記見習いとしてアッカド語とシュメル語を習得し<ref name="Roaf, M. 1990"/>、[[新アッシリア帝国]]の全地域に古代の文書を集めるために書記を派遣した。また、文書(主としてバビロニアで得られたもの)の複写を作るために学者と書記を抱え込んでいた<ref name="Polastron, Lucien X. 2007, pages 2-3"/><ref name="gallica.bnf.fr"/>。


[[File:Ashurbanipal The First Egyptian War.jpg|thumb|エジプト王タハルカに対する[[アッシュルバニパル]]の遠征の記録(アッシュルバニパルの{{仮リンク|ラッサム円筒碑文|en|Rassam cylinder}}の楔形文字文書の英訳<ref>{{cite book |last=Luckenbill |first=Daniel David |url=https://oi.uchicago.edu/sites/oi.uchicago.edu/files/uploads/shared/docs/ancient_records_assyria2.pdf |title=Ancient Records of Assyria and Babylonia |pages=290–296 |author-link=:en:Daniel David Luckenbill |publisher=University of Chicago Press |year=1927 |accessdate=2023年2月}}</ref><ref name="Rassam cylinder British Museum">{{cite web |title=Rassam cylinder British Museum |url=https://www.britishmuseum.org/collection/object/W_Rm-1 |website=The British Museum |language=en |accessdate=2023年2月}}</ref>)]]
アッシュルバニパル王は[[教養]]に富み、文書の記録や収集に熱心であったことから、上記2カ所の文書記録をあわせて、""アッシュルバニパルの図書館''('''Library of Ashurbanipal''')と呼ぶ。
アッシュルバニパルは図書館の文書収集のために戦争で略奪もした。その残酷さが敵に知られわたっていたことから、アッシュルバニパルは[[バビロニア]]およびその周辺地域から恫喝によって文書を得ることもできた<ref>[http://knp.prs.heacademy.ac.uk/essentials/assurbanipalslibrary "Assurbanipal's Library"] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20120724092638/http://knp.prs.heacademy.ac.uk/essentials/assurbanipalslibrary/ |date=2012-07-24 }}, ''Knowledge and Power in the Neo-Assyrian Empire'', British Museum</ref>。占い文書の収集に対するアッシュルバニパルの強烈な関心が彼の図書館のための収集活動の動機の1つであった。彼の元々の目的は恐らく「王権維持のために重要な儀式と呪文を獲得すること」であった{{sfn|Jeanette(2004)|p=55–60}}。


アッシュルバニパルの図書館にあったバビロニアの文書は2つの異なるグループに分類できる。卜占、宗教、語彙、医療、数学、そして歴史、叙事詩、神話文書といった文学作品群のグループと、法律文書のグループである。法律文書のグループは手紙、契約、そして行政文書で構成され、1128点のバビロニアの粘土板およびその断片からなる。文学作品のグループは1331点の粘土板と断片からなるが、これらはさらに、一連の様々な前兆の文書とその注釈のようないわゆる図書館文書(library texts{{訳語疑問点|date=2023年2月}})759点と、卜占の報告や神託の問い合わせのようないわゆる記録文書(archival texts {{訳語疑問点|date=2023年2月}})にわけることができる{{sfn|Jeanette(2004)|p=55}}。
特徴として、資料を[[歴史]]・[[法律]]・[[科学]]・[[魔術]]・教義・[[伝説]]の六種に分類していた。これは[[図書分類法]]の初期の例である。


古代バビロニアの詩的作品の傑作『[[ギルガメシュ叙事詩]]』は創世物語『[[エヌマ・エリシュ]]』、原初の人[[アダパ]]の神話、{{仮リンク|ニップルの貧者|en|Poor Man of Nippur}}などの物語と共にこの図書館で発見された<ref>{{cite web |author=Jeanette C. Fincke |url=http://fincke.uni-hd.de/nineveh/index.htm |title=Nineveh Tablet Collection |publisher=Fincke.uni-hd.de |date=2003-12-05 |access-date=2012-05-30 |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20111229145757/http://fincke.uni-hd.de/nineveh/index.htm |archive-date=2011-12-29 }}</ref><ref name="Polastron, Lucien X. 2007, page 3">Polastron, Lucien X.: "Books On Fire: The Tumultuous Story Of The World's Great Libraries" 2007, p. 3, Thames & Hudson Ltd, London</ref><ref>Menant, Joachim: [http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k104837f/f41.table "La bibliothèque du palais de Ninive"] 1880, p. 33, Paris: E. Leroux,
==関連項目==
"Quels sont maintenant ces livres qui étaient recueillis et conservés avec tant de soin par les rois d'Assyrie dans ce précieux dépôt ? Nous y trouvons des livres sur l'histoire, la religion, les sciences naturelles, les mathématiques, l'astronomie, la grammaire, les lois et les coutumes; ..."</ref>。
*[[ギルガメシュ叙事詩]]

*[[汎バビロニア主義]]
文学作品群の別のグループは語彙文書と文字リストである。異なる粘土板の20の断片があり、古い楔形文字がsyllabary A<ref>[[メトロポリタン美術館]]収蔵の[https://www.metmuseum.org/art/collection/search/321996 Syllabary A断片]。[[セレウコス朝]]時代。</ref>に従って並べられており、もう一方はsyllabary B<ref>Digital Corpus of Cuneiform Lexical Texts掲載、[http://oracc.museum.upenn.edu/dcclt/signlists/signlists/syllabaryb/index.html Syllabary B断片]。中アッシリア時代。楔形文字の読み方や意味などを一覧で並べている。</ref>に従って並べられている。アッシュルバニパルの図書館にいたアッシリア人の書記たちは古い碑文を読むために文字リストを必要としており、こうしたリストの大部分はバビロニア人の書記によって書かれた。ニネヴェのバビロニア文書の別のグループは叙事詩、神話、歴史的であり、それぞれ全体の1.4パーセントを占める。ニネヴェで出土したと言われている数学文書はただ1点のみである{{sfn|Jeanette(2004)|p=55}}。
*[[大洪水|洪水物語]]

*[[文字禍]]
これらは主として[[アッカド語]]で書かれた[[楔形文字]]文書である。しかしながら、その多くは正確な由来についての記録がなく、それが作成された元の場所を正確に特定することは困難である場合が多い。多くは[[バビロニア]]の文書であることは確かであるが、アッシリア人の手で書かれたものも数多く存在することがわかっている<ref name="Parpola, S. 1983"/>。

この粘土板文書群は多くの場合、特定の形状規格に従って編纂された。四角形の粘土板には金融取引が、円形の粘土板には農業の情報が記録された(この時代、木や蝋板などにも文書が書かれた)。粘土板は政府、歴史、法律、天文、地理など、内容ごとに分類され異なる部屋に保管された。これらの種別は色、または簡単な説明文、時には「[[インキピット]]」や文書最初の数語で判別できるようになっていた<ref name="Murray, Stuart A.P.">Murray, Stuart A.P. (2009) The Library: An Illustrated History. Chicago, IL: Skyhorse Publishing (p. 9)</ref>。

ニネヴェはバビロニア人、[[スキタイ人]]、[[メディア王国|メディア人]](古代イラン人の一派)の連合軍によって前612年に破壊された。アッシュルバニパルの宮殿もその最中に焼かれたと考えられており、この図書館も大火に見舞われたに違いない。結果として粘土板文書群は部分的に焼成されることになった<ref name="Polastron, Lucien X. 2007, page 3"/>。基本的には破壊活動であったこの出来事が、結果的には粘土板を後世に残す一助となった。有機物である蝋板に刻まれていたであろう一部の文書は失われたと見られる。

[[大英博物館]]のコレクションのデータベースにあるニネヴェの図書館コレクション全体の中には、30,943点の粘土板(tablets)が登録されている。大英博物館の評議員会(Trustees)はアッシュルバニパル図書館プロジェクト(the Ashurbanipal Library Project)の一環として目録の更新版の発行を提案している<ref>{{cite web|url=https://www.britishmuseum.org/research/research_projects/ashurbanipal_library_phase_1.aspx |title=Ashurbanipal Library Phase 1 |publisher=Britishmuseum.org |access-date=2012-05-30}}</ref>。もし、同一の文書に属する小断片の全てを差し引いた場合、この「図書館」には元来、全部で10,000点ほどの文書が存在していたかもしれない。しかしながら、この元々の図書館文書には羊皮紙の巻物、蝋板、そして恐らくは[[パピルス]]文書が含まれていたと思われ、現存する粘土板文書群より遥かに多様な知識が保管されていた。アッシュルバニパルの図書館の大部分は粘土板文書ではなく書板で構成されていた{{sfn|Jeanette(2004)|p=55}}。

== アッシュルバニパル図書館プロジェクト ==
2002年から、大英博物館は、タウンリー・グループ(the Townley group)の資金提供を受け[[モースル大学]]と共同で、アッシュルバニパルの図書館の遺物の目録を編纂している。この図書館目録プロジェクトの目標は文書および画像(楔形文字の翻字、手作業の書写、翻訳、そして高精細画像など)によって可能な限り詳細にこの図書館を文書化することにある。プロジェクトは3ステージに別れ、成果は2003年、2004年、2014年に公開された。ハンブルク大学で古代オリエント、ヒッタイト学、エジプト学を研究するジャネット・C・フィンク(Jeanette C. Fincke)博士は第1、第2ステージに深く関与し、バビロニア文書の3500個の粘土板の権威あるリストを編纂した<ref name="Taylor(2021)">{{Citation|last=Taylor|first=Jon|title=The Ashurbanipal Library Project at the British Museum|date=2021-02-21|url=https://doi.org/10.5325/j.ctv1g80975.27|work=Law and (Dis)Order in the Ancient Near East|pages=291–296|publisher=Penn State University Press|doi=10.5325/j.ctv1g80975.27|isbn=978-1-64602-120-8|s2cid=233960691|access-date=2021-04-26}}</ref>。

第2ステージでは、フィンクはニネヴェの複数の天文学文書をまとめた。第3ステージはリーケル・ボーガー教授(Riekel Borger、目録編纂途中の2010年12月、死去)と[[アンドリュー・メロン財団]]の協力を得て2009年から2013年にかけてジョン・テイラー(Jon Taylor)の指揮で行われた。このステージでアッシュルバニパルの図書館の全ての粘土板<!-- 原文 library table-->の高解像度デジタル画像が作成された。各々の画像は3次元の粘土板を仮想2次元で表現することを可能にする14枚の画像を使用して作られている。これらの画像はthe Cuneiform Digital Library Initiativeのウェブサイトと大英博物館コレクションのオンラインサイトで公表されている<ref name="Taylor(2021)"/>。

この目録は未だ更新を続けている。これはState Archives of Assyria、Cuneiform Commentaries Project、Digital Corpus of Cuneiform Lexical Texts、新アッシリア時代の王碑文など、複数の協力機関およびプロジェクトからの資料提供によって可能となった。

== 重要な粘土板と円筒の一覧 ==
* {{仮リンク|アゼカフ碑文|en|Azekah Inscription}}
* {{仮リンク|エサルハドンとテュロスのバアルとの条約|en|Esarhaddon's Treaty with Ba'al of Tyre}}
* {{仮リンク|ニムルドの粘土板 (K.3751)|en|Nimrud Tablet K.3751}}
* {{仮リンク|サルゴン2世の角柱A|en|Sargon II's Prism A}}
* {{仮リンク|アンミ・ツァドカの金星粘土板|en|Venus tablet of Ammisaduqa}}
* [[ギルガメシュ叙事詩]]
* [[エヌマ・エリシュ]]
* {{仮リンク|ラッサム円筒形碑文|en|Rassam cylinder}}<ref name="Rassam cylinder British Museum"/>
* K.3364

{{gallery|title=アッシュルバニパルの図書館の粘土板および円柱|lines=4
|File:Library of Ashurbanipal The Flood Tablet.jpg|『ギルガメシュ叙事詩』の一部を含む粘土板({{仮リンク|ギルガメシュの洪水神話|label=大洪水|en|Gilgamesh flood myth}}が書かれた第11書板。現在は大英博物館のコレクションの一部)。

|File:Venus Tablet of Ammisaduqa.jpg|占星術の予言を書いた{{仮リンク|アンミ・ツァドカの金星粘土板|en|Venus tablet of Ammisaduqa}}]。大英博物館の収蔵番号{{British-Museum-db|K.160|id=314745}}。
|File:Library of Ashurbanipal synonym list tablet.jpg|類語表。大英博物館収蔵番号{{British-Museum-db|K.4375|id=308401}}
|File:Chronicles of Ashurbanipal, Clay, NW Palace, Nineveh, 668-630 BC.jpg|10面からなる[[アッシュルバニパル]]の{{仮リンク|ラッサム円筒形碑文|en|Rassam cylinder}}。大英博物館収蔵<ref>{{cite web |title=Rassam cylinder British Museum |url=https://www.britishmuseum.org/collection/object/W_Rm-1 |website=The British Museum |language=en |accessdate=2023年2月}}</ref>。
|File:Sennacherib cylinder.jpg|[[センナケリブ]]の角柱。{{仮リンク|バビロン包囲|label=バビロンの破壊|en|Siege of Babylon}}で頂点に達した彼の遠征記録を含んでいる。[[大英博物館]] BM91032<ref>{{cite web |title=Prism British Museum |url=https://www.britishmuseum.org/collection/object/W_1855-1003-1 |website=The British Museum |language=en |accessdate=2023年2月}}</ref>。
}}

== 関連項目 ==
<!-- {{Portal|Asia}} -->
* {{仮リンク|古代の重要な図書館|en|Great libraries of the ancient world}}
* [[アッシュルバニパル]]

== 出典 ==
{{reflist|2|refs=
<ref name="Parpola, S. 1983">Parpola, S. (1983). "Assyrian Library Records". ''Journal of Near Eastern Studies'', 42(1), 1–29.</ref>
}}
==参考文献==
* {{Cite journal|title = The British Museum's Ashurbanipal Library Project|last = Fincke|first = Jeanette|date = 2004|journal = Iraq, 66, Ninevah|volume = 66|pages = 55–60|doi = 10.1017/S0021088900001637|s2cid = 190727609 |url=https://doi.org/10.2307/4200559 |ref={{harvid|Jeanette(2004)}}}}<!--doi = 10.1017/S0021088900001637 と 10.2307/4200559 のリンク先は同一-->


==外部リンク==
==外部リンク==
24行目: 84行目:
*[http://web.utk.edu/~giles/ The Library of King Ashurbanipal Web Page]
*[http://web.utk.edu/~giles/ The Library of King Ashurbanipal Web Page]
*[http://www.britishmuseum.org/research/research_projects/ashurbanipal_library_phase_1.aspx 大英博物館アッシュルーバニパル図書館プロジェクト(2002 - 2010年)]
*[http://www.britishmuseum.org/research/research_projects/ashurbanipal_library_phase_1.aspx 大英博物館アッシュルーバニパル図書館プロジェクト(2002 - 2010年)]
* [http://www.bbc.co.uk/programmes/b00b7r71 BBC audio file]. ''In our time'' discussion programme. 45 minutes.
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2023年3月29日 (水) 04:55時点における版

アッシュルバニパルの図書館
大英博物館に展示されているアッシュルバニパルの図書館
創設前7世紀
収蔵情報
収蔵数30,000点以上の楔形文字粘土板文書[1]

アッシュルバニパルの図書館(アッシュルバニパルのとしょかん)は前7世紀のあらゆる種類、様々な言語の文書からなる、30,000点以上の粘土板と断片のコレクション。最後の有力なアッシリア帝国の王アッシュルバニパルにちなんで呼ばれている。このコレクションには有名なギルガメシュ叙事詩が含まれていた[2]

現代の歴史家はアッシュルバニパルの図書館から古代オリエントの人々に関する情報を得ている。H・G・ウェルズは著書『世界史大系(Outline of History英語版)』において、この図書館を「世界で最も貴重な歴史史料の源」としている[3]

アッシュルバニパルの図書館は北メソポタミアにあるクユンジク英語版(古代のニネヴェアッシリアの首都)の考古学遺跡で発見された。この遺跡は現在のイラク北部のモースル市の近郊である[4][5]

発見

アッシュルバニパルの図書館の発見はオースティン・ヘンリー・レヤードの考古学的成果とされている。大部分の粘土板はイングランドに運ばれ現在では大英博物館に収蔵されている。ただし最初に発見されたのは1849年末、ニネヴェのセンナケリブ王(在位:前705年-前681年)の王宮(いわゆる南西宮殿)でのものであった。

その3年後、レヤードの助手(assistant)ホルムズド・ラッサム英語版がクユンジクの丘の反対側にあるアッシュルバニパル王(在位:前668年-前627年)の王宮で同様の図書館を発見した。残念ながらこれらの発見がどのようになされたのかは記録されておらず、両方の遺構で発掘された粘土板はヨーロッパに到着して間もない段階で取り返しがつかない程にごちゃ混ぜになっており、他の遺跡から発見された粘土板も混入してしまっていたと見られる。従って今日ではセンナケリブとアッシュルバニパルの図書館それぞれの元の収蔵品を完全に復元するのはほぼ不可能である[要出典]

収蔵品

アッシュルバニパルは辛抱強い軍司令官として知られていたが、また識字能力を持ち熱心な文書・粘土板の収集家としても知られていた[6]。図書館に文書を集める最中、彼はメソポタミア全域の都市と教育拠点に向けて、その地域の文書化された作品全ての複写を送るように指示を書き送った[7]。彼は書記見習いとしてアッカド語とシュメル語を習得し[6]新アッシリア帝国の全地域に古代の文書を集めるために書記を派遣した。また、文書(主としてバビロニアで得られたもの)の複写を作るために学者と書記を抱え込んでいた[4][5]

エジプト王タハルカに対するアッシュルバニパルの遠征の記録(アッシュルバニパルのラッサム円筒碑文英語版の楔形文字文書の英訳[8][9]

アッシュルバニパルは図書館の文書収集のために戦争で略奪もした。その残酷さが敵に知られわたっていたことから、アッシュルバニパルはバビロニアおよびその周辺地域から恫喝によって文書を得ることもできた[10]。占い文書の収集に対するアッシュルバニパルの強烈な関心が彼の図書館のための収集活動の動機の1つであった。彼の元々の目的は恐らく「王権維持のために重要な儀式と呪文を獲得すること」であった[11]

アッシュルバニパルの図書館にあったバビロニアの文書は2つの異なるグループに分類できる。卜占、宗教、語彙、医療、数学、そして歴史、叙事詩、神話文書といった文学作品群のグループと、法律文書のグループである。法律文書のグループは手紙、契約、そして行政文書で構成され、1128点のバビロニアの粘土板およびその断片からなる。文学作品のグループは1331点の粘土板と断片からなるが、これらはさらに、一連の様々な前兆の文書とその注釈のようないわゆる図書館文書(library texts[訳語疑問点])759点と、卜占の報告や神託の問い合わせのようないわゆる記録文書(archival texts [訳語疑問点])にわけることができる[12]

古代バビロニアの詩的作品の傑作『ギルガメシュ叙事詩』は創世物語『エヌマ・エリシュ』、原初の人アダパの神話、ニップルの貧者英語版などの物語と共にこの図書館で発見された[13][14][15]

文学作品群の別のグループは語彙文書と文字リストである。異なる粘土板の20の断片があり、古い楔形文字がsyllabary A[16]に従って並べられており、もう一方はsyllabary B[17]に従って並べられている。アッシュルバニパルの図書館にいたアッシリア人の書記たちは古い碑文を読むために文字リストを必要としており、こうしたリストの大部分はバビロニア人の書記によって書かれた。ニネヴェのバビロニア文書の別のグループは叙事詩、神話、歴史的であり、それぞれ全体の1.4パーセントを占める。ニネヴェで出土したと言われている数学文書はただ1点のみである[12]

これらは主としてアッカド語で書かれた楔形文字文書である。しかしながら、その多くは正確な由来についての記録がなく、それが作成された元の場所を正確に特定することは困難である場合が多い。多くはバビロニアの文書であることは確かであるが、アッシリア人の手で書かれたものも数多く存在することがわかっている[18]

この粘土板文書群は多くの場合、特定の形状規格に従って編纂された。四角形の粘土板には金融取引が、円形の粘土板には農業の情報が記録された(この時代、木や蝋板などにも文書が書かれた)。粘土板は政府、歴史、法律、天文、地理など、内容ごとに分類され異なる部屋に保管された。これらの種別は色、または簡単な説明文、時には「インキピット」や文書最初の数語で判別できるようになっていた[2]

ニネヴェはバビロニア人、スキタイ人メディア人(古代イラン人の一派)の連合軍によって前612年に破壊された。アッシュルバニパルの宮殿もその最中に焼かれたと考えられており、この図書館も大火に見舞われたに違いない。結果として粘土板文書群は部分的に焼成されることになった[14]。基本的には破壊活動であったこの出来事が、結果的には粘土板を後世に残す一助となった。有機物である蝋板に刻まれていたであろう一部の文書は失われたと見られる。

大英博物館のコレクションのデータベースにあるニネヴェの図書館コレクション全体の中には、30,943点の粘土板(tablets)が登録されている。大英博物館の評議員会(Trustees)はアッシュルバニパル図書館プロジェクト(the Ashurbanipal Library Project)の一環として目録の更新版の発行を提案している[19]。もし、同一の文書に属する小断片の全てを差し引いた場合、この「図書館」には元来、全部で10,000点ほどの文書が存在していたかもしれない。しかしながら、この元々の図書館文書には羊皮紙の巻物、蝋板、そして恐らくはパピルス文書が含まれていたと思われ、現存する粘土板文書群より遥かに多様な知識が保管されていた。アッシュルバニパルの図書館の大部分は粘土板文書ではなく書板で構成されていた[12]

アッシュルバニパル図書館プロジェクト

2002年から、大英博物館は、タウンリー・グループ(the Townley group)の資金提供を受けモースル大学と共同で、アッシュルバニパルの図書館の遺物の目録を編纂している。この図書館目録プロジェクトの目標は文書および画像(楔形文字の翻字、手作業の書写、翻訳、そして高精細画像など)によって可能な限り詳細にこの図書館を文書化することにある。プロジェクトは3ステージに別れ、成果は2003年、2004年、2014年に公開された。ハンブルク大学で古代オリエント、ヒッタイト学、エジプト学を研究するジャネット・C・フィンク(Jeanette C. Fincke)博士は第1、第2ステージに深く関与し、バビロニア文書の3500個の粘土板の権威あるリストを編纂した[20]

第2ステージでは、フィンクはニネヴェの複数の天文学文書をまとめた。第3ステージはリーケル・ボーガー教授(Riekel Borger、目録編纂途中の2010年12月、死去)とアンドリュー・メロン財団の協力を得て2009年から2013年にかけてジョン・テイラー(Jon Taylor)の指揮で行われた。このステージでアッシュルバニパルの図書館の全ての粘土板の高解像度デジタル画像が作成された。各々の画像は3次元の粘土板を仮想2次元で表現することを可能にする14枚の画像を使用して作られている。これらの画像はthe Cuneiform Digital Library Initiativeのウェブサイトと大英博物館コレクションのオンラインサイトで公表されている[20]

この目録は未だ更新を続けている。これはState Archives of Assyria、Cuneiform Commentaries Project、Digital Corpus of Cuneiform Lexical Texts、新アッシリア時代の王碑文など、複数の協力機関およびプロジェクトからの資料提供によって可能となった。

重要な粘土板と円筒の一覧

関連項目

出典

  1. ^ Ashurbanipal Library Project(phase 1)大英博物館
  2. ^ a b Murray, Stuart A.P. (2009) The Library: An Illustrated History. Chicago, IL: Skyhorse Publishing (p. 9)
  3. ^ Wells, H. G. (1961). The Outline of History: Volume 1. Doubleday. p. 177 
  4. ^ a b Polastron, Lucien X.: "Books On Fire: The Tumultuous Story Of The World's Great Libraries" 2007, pp. 2–3, Thames & Hudson Ltd, London
  5. ^ a b Menant, Joachim: "La bibliothèque du palais de Ninive" 1880, Paris: E. Leroux
  6. ^ a b Roaf, M英語版(1990). Cultural atlas of Mesopotamia and the ancient Near East. New York: Facts on File.
  7. ^ Ashurbanipal” (英語). World History Encyclopedia. 2021年10月28日閲覧。
  8. ^ Luckenbill, Daniel David (1927). Ancient Records of Assyria and Babylonia. University of Chicago Press. pp. 290–296. https://oi.uchicago.edu/sites/oi.uchicago.edu/files/uploads/shared/docs/ancient_records_assyria2.pdf 2023年2月閲覧。 
  9. ^ a b Rassam cylinder British Museum” (英語). The British Museum. 2023年2月閲覧。
  10. ^ "Assurbanipal's Library" Archived 2012-07-24 at the Wayback Machine., Knowledge and Power in the Neo-Assyrian Empire, British Museum
  11. ^ Jeanette(2004), p. 55–60.
  12. ^ a b c Jeanette(2004), p. 55.
  13. ^ Jeanette C. Fincke (2003年12月5日). “Nineveh Tablet Collection”. Fincke.uni-hd.de. 2011年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月30日閲覧。
  14. ^ a b Polastron, Lucien X.: "Books On Fire: The Tumultuous Story Of The World's Great Libraries" 2007, p. 3, Thames & Hudson Ltd, London
  15. ^ Menant, Joachim: "La bibliothèque du palais de Ninive" 1880, p. 33, Paris: E. Leroux, "Quels sont maintenant ces livres qui étaient recueillis et conservés avec tant de soin par les rois d'Assyrie dans ce précieux dépôt ? Nous y trouvons des livres sur l'histoire, la religion, les sciences naturelles, les mathématiques, l'astronomie, la grammaire, les lois et les coutumes; ..."
  16. ^ メトロポリタン美術館収蔵のSyllabary A断片セレウコス朝時代。
  17. ^ Digital Corpus of Cuneiform Lexical Texts掲載、Syllabary B断片。中アッシリア時代。楔形文字の読み方や意味などを一覧で並べている。
  18. ^ Parpola, S. (1983). "Assyrian Library Records". Journal of Near Eastern Studies, 42(1), 1–29.
  19. ^ Ashurbanipal Library Phase 1”. Britishmuseum.org. 2012年5月30日閲覧。
  20. ^ a b Taylor, Jon (2021-02-21), “The Ashurbanipal Library Project at the British Museum”, Law and (Dis)Order in the Ancient Near East (Penn State University Press): pp. 291–296, doi:10.5325/j.ctv1g80975.27, ISBN 978-1-64602-120-8, https://doi.org/10.5325/j.ctv1g80975.27 2021年4月26日閲覧。 
  21. ^ Rassam cylinder British Museum” (英語). The British Museum. 2023年2月閲覧。
  22. ^ Prism British Museum” (英語). The British Museum. 2023年2月閲覧。

参考文献

外部リンク

座標: 北緯36度21分34秒 東経43度09分10秒 / 北緯36.3594度 東経43.1528度 / 36.3594; 43.1528