「ラ・グロリア (ティツィアーノ)」の版間の差分
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2022年5月29日 (日) 00:01時点における版
スペイン語: La Gloria | |
作者 | ティツィアーノ・ヴェチェッリオ |
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製作年 | 1551年 - 1554年 |
種類 | キャンバスに油彩 |
寸法 | 346 cm × 240 cm (136 in × 94 in) |
所蔵 | プラド美術館、 スペイン マドリード |
『ラ・グロリア』 (La Gloria) は、神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン国王カルロス1世)が1550年ないし1551年に委嘱し、1554年に完成したティツィアーノの油彩画。このタイトルを最初に付けたのはホセ・デ・シグエンザで、1601年のことであったが、本作には異称も多く、『聖三位一体』(The Trinity)、『最後の審判』(The Final Judgement)、『天国』(Paradise)、『聖三位一体の礼拝』(Adoration of the Trinity) などとも呼ばれる[1]。
ヒッポのアウグスティヌスの『神の国』から採られた、祝福された者たちが栄光を得る場面を描いた作品であり、画面の右側にはカール自身の姿が、妻イサベル・デ・ポルトゥガル、息子のスペイン王フェリペ2世、娘フアナ・デ・アウストリア、妹ハンガリー王妃マリア、姉レオノール・デ・アウストリアとともに死に装束姿で描き込まれている。ティツィアーノの署名は福音記者ヨハネの持つ巻物に書き込まれている。「画面の下方(右側)にいる、二人の髭を蓄えた老人は、ピエトロ・アレティーノとティツィアーノ自身の姿である」ともいわれる[2]。
画面の最上部には、聖三位一体が描かれ、その脇には聖母マリアと洗礼者ヨハネがいる。画面にはさらにダビデ王、モーセ、ノアが描かれており、緑色の服を着た女性はマグダラのマリアか、エリュトライのシビュラ、ユディト、ラケル、あるいはカトリック教会を表しているとされる。
カールは、退位後に隠棲したユステ修道院にこの作品を持参した。その後、本作はエル・エスコリアル修道院に移され、1837年に現在あるプラド美術館の所蔵品として最初に言及された。
脚注
- ^ Sheila Hale, in Titian: His Life (HarperCollins, 2012), pp. 533 et al., calls it ″Adoration of the Trinity.″
- ^ Quotation from the Museo del Prado website, under ″Collection,″ at the discussion of ″La Gloria.″ Xavier F. Salomon, chief curator at the Frick Collection:ただし、引用範囲に続けて、「美術史においては、何度も何度も繰り返されたことが「事実」として扱われてしまうこともしばしばある。ティツィアーノの『ラ・グロリア』にアレティーノが登場する理由はないし、アレティーノとされる人物は、単に彼に容貌が似ていたというだけである。私はこの人物は絶対に彼ではないと確信している。」とも述べられている。