「Wikipedia:井戸端/subj/ウクライナ侵攻に関連する残虐性の高い画像について」の版間の差分
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また、免責事項を挙げての反論もあろうかと思いますが、'''戦争犯罪やジェノサイドについて知りたい'''と、'''虐殺死体は見たくない'''という需要は矛盾なく成立し、「理解した上で閲覧している」という意見には賛同できません。また、カテゴリー:ジェノサイドにある記事を全て確認しましたが、ブチャの虐殺のような鮮明かつ残虐性の強い画像が多数掲載される記事は他になく、古い表現で恐縮ですが当該記事の現状は'''精神的ブラクラ'''の域に達していると思います(私個人の意見です)。また、現在進行中の戦争犯罪であり、話題性が高いこと(昨日1日で約6700pv)や未成年者の閲覧も考慮し、一定の配慮が必要と思います。 |
また、免責事項を挙げての反論もあろうかと思いますが、'''戦争犯罪やジェノサイドについて知りたい'''と、'''虐殺死体は見たくない'''という需要は矛盾なく成立し、「理解した上で閲覧している」という意見には賛同できません。また、カテゴリー:ジェノサイドにある記事を全て確認しましたが、ブチャの虐殺のような鮮明かつ残虐性の強い画像が多数掲載される記事は他になく、古い表現で恐縮ですが当該記事の現状は'''精神的ブラクラ'''の域に達していると思います(私個人の意見です)。また、現在進行中の戦争犯罪であり、話題性が高いこと(昨日1日で約6700pv)や未成年者の閲覧も考慮し、一定の配慮が必要と思います。 |
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なお、本提案は'''見せ方'''についての提案であり、掲載に反対するものではなく'''検閲には当たらない'''と考えていることも、あらかじめ言及しておきます。具体的なルールについては、技術的な知識がありませんのでご意見いただいて煮詰めたいのですが、Twitterのように「この画像/動画はセンシティブな内容を含んでいる可能性があります。」の警告文をクリックすると画像が表示されるようなものを想定しています。 |
なお、本提案は'''見せ方'''についての提案であり、掲載に反対するものではなく'''検閲には当たらない'''と考えていることも、あらかじめ言及しておきます。具体的なルールについては、技術的な知識がありませんのでご意見いただいて煮詰めたいのですが、Twitterのように「この画像/動画はセンシティブな内容を含んでいる可能性があります。」の警告文をクリックすると画像が表示されるようなものを想定しています。--[[利用者:あずきごはん|あずきごはん]]([[利用者‐会話:あずきごはん|会話]]) 2022年4月8日 (金) 12:02 (UTC) |
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ご意見をよろしくお願いします。--[[利用者:あずきごはん|あずきごはん]]([[利用者‐会話:あずきごはん|会話]]) 2022年4月5日 (火) 12:56 (UTC) |
ご意見をよろしくお願いします。--[[利用者:あずきごはん|あずきごはん]]([[利用者‐会話:あずきごはん|会話]]) 2022年4月5日 (火) 12:56 (UTC) |
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*{{コメント}} 根本的にWikipediaは百科事典であり、どのような画像であってもそれは「文章解説の一助」「それを貼付する以外の他の代替手段がない」という位置づけになるべきであって、決して画像を貼付することそのものが目的になってはいけないのは周知の通りですよね([[Wikipedia:不快なコンテンツ]])。◆その点を考慮して日本語版の[[ブチャの虐殺#被害]]を見ると、言及されている文章解説は明らかに画像欄で隠されている6枚の残虐画像に対して大幅に不足してしまっているように思え、ここで画像と解説それぞれの重要性について主客転倒が発生しているというか、日本語版においては画像が必要不可欠、それがないと記事上の行為解説について理解が進まない、と編者が考えている証左になってしまっていると思います。 / 比較対象として英語版の[[:en:Bucha massacre#Reports]]を見ると、前述のように「(発見された残虐行為に関して、それの検証・考察についての報道も含めた現在進行系の)文章解説が主、画像が従」の関係性を維持しており、日本語版においては画像添付是非よりも先に解説文章の深刻な不足が問題にされるべきであり、画像群に関しては記事が充実するまで一旦ノートに移動するなどして全除去してしまっても「記事としては、現時点では」別に困らないものではないか、とも思います。◆◆これは残虐画像だから隠せとかそういう二次議論とは別に、記事に最も必要な解説文章の増加をおざなりにして画像を貼る貼らないで揉めるのは本末転倒、それが絶対に必須であると主張するためには先に記事内容が充実していなければならないのではないか、と考える故です。あと、画像閲覧が読者にとって必要不可欠なら、根本的に全盲の方には当記事を十分に理解させる必要がない、というとても傲慢な記事の作り方を試行しているようにも思えます。--[[利用者:Nami-ja|<span style="color:#c00">Nami-ja</span>]] <span style="font-size:80%">[<sup>[[利用者‐会話:Nami-ja|会話]]</sup> <sub>[[特別:投稿記録/Nami-ja|履歴]]</sub>]</span> 2022年4月8日 (金) 08:14 (UTC) |
*{{コメント}} 根本的にWikipediaは百科事典であり、どのような画像であってもそれは「文章解説の一助」「それを貼付する以外の他の代替手段がない」という位置づけになるべきであって、決して画像を貼付することそのものが目的になってはいけないのは周知の通りですよね([[Wikipedia:不快なコンテンツ]])。◆その点を考慮して日本語版の[[ブチャの虐殺#被害]]を見ると、言及されている文章解説は明らかに画像欄で隠されている6枚の残虐画像に対して大幅に不足してしまっているように思え、ここで画像と解説それぞれの重要性について主客転倒が発生しているというか、日本語版においては画像が必要不可欠、それがないと記事上の行為解説について理解が進まない、と編者が考えている証左になってしまっていると思います。 / 比較対象として英語版の[[:en:Bucha massacre#Reports]]を見ると、前述のように「(発見された残虐行為に関して、それの検証・考察についての報道も含めた現在進行系の)文章解説が主、画像が従」の関係性を維持しており、日本語版においては画像添付是非よりも先に解説文章の深刻な不足が問題にされるべきであり、画像群に関しては記事が充実するまで一旦ノートに移動するなどして全除去してしまっても「記事としては、現時点では」別に困らないものではないか、とも思います。◆◆これは残虐画像だから隠せとかそういう二次議論とは別に、記事に最も必要な解説文章の増加をおざなりにして画像を貼る貼らないで揉めるのは本末転倒、それが絶対に必須であると主張するためには先に記事内容が充実していなければならないのではないか、と考える故です。あと、画像閲覧が読者にとって必要不可欠なら、根本的に全盲の方には当記事を十分に理解させる必要がない、というとても傲慢な記事の作り方を試行しているようにも思えます。--[[利用者:Nami-ja|<span style="color:#c00">Nami-ja</span>]] <span style="font-size:80%">[<sup>[[利用者‐会話:Nami-ja|会話]]</sup> <sub>[[特別:投稿記録/Nami-ja|履歴]]</sub>]</span> 2022年4月8日 (金) 08:14 (UTC) |
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:{{追記}} 肝心要のコメントを入れ忘れた。「残虐画像の表示に関し特に配慮が必要ではないか」との議題に関してですが、「免責事項で既に配慮は終わっているので、それを了承して閲覧を進める読者に対しそれ以上の配慮は過度、隠す必要は一切ない」と思います。航空機事故の生還者は墜落した機体の同型機を見ることでも強いストレスでしょうし、津波や噴火災害の生還者にとっては海や山を見ることが辛かったりすることもあるでしょう。それに関し、戦争被害者だからと生還状況に注目して特別に生還者を分類し配慮をするしないを選択するほうが善意の差別、無自覚な攻撃だと個人的には思います。--[[利用者:Nami-ja|<span style="color:#c00">Nami-ja</span>]] <span style="font-size:80%">[<sup>[[利用者‐会話:Nami-ja|会話]]</sup> <sub>[[特別:投稿記録/Nami-ja|履歴]]</sub>]</span> 2022年4月8日 (金) 08:25 (UTC) |
:{{追記}} 肝心要のコメントを入れ忘れた。「残虐画像の表示に関し特に配慮が必要ではないか」との議題に関してですが、「免責事項で既に配慮は終わっているので、それを了承して閲覧を進める読者に対しそれ以上の配慮は過度、隠す必要は一切ない」と思います。航空機事故の生還者は墜落した機体の同型機を見ることでも強いストレスでしょうし、津波や噴火災害の生還者にとっては海や山を見ることが辛かったりすることもあるでしょう。それに関し、戦争被害者だからと生還状況に注目して特別に生還者を分類し配慮をするしないを選択するほうが善意の差別、無自覚な攻撃だと個人的には思います。--[[利用者:Nami-ja|<span style="color:#c00">Nami-ja</span>]] <span style="font-size:80%">[<sup>[[利用者‐会話:Nami-ja|会話]]</sup> <sub>[[特別:投稿記録/Nami-ja|履歴]]</sub>]</span> 2022年4月8日 (金) 08:25 (UTC) |
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:*{{返信}}ご意見有難うございます。前段ですが、本提案は特定のページについての議論ではありませんので、当該ページのノートに記載いただくようお願いします。後段の反対の意見は受け止めますが、「無自覚な攻撃」という厳しい言葉を用いて批判されている点については、「戦争被害者だからと生還状況に注目して特別に生還者を分類し」という主張を私を含めてどなたもされていないと思いますので、批判には当たらないと思います。 |
2022年4月8日 (金) 12:02時点における版
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ウクライナ侵攻に関連する残虐性の高い画像について
まず、ロシアのウクライナ侵攻で犠牲になられた全ての人々のご冥福をお祈りし、遺族の方々にはお悔やみ申し上げます。
本議題の趣旨は「残虐性の高い画像等には「Hidden」など特別な配慮が必要ではないか?」という内容です。ここ数日で本戦争での残虐性が明らかになりつつあり、jawpでもブチャの虐殺の記事が立項されました。この提案をする数時間前にはマリウポリでの戦争犯罪が記事になっており、今後もこのような立項が続くことが予想されます。戦争犯罪が許されない事は自明であり、その意味でもこうした記事が立項される事、同時に犯罪性を記録するあらゆるメディアの掲載にも賛同します。
一方で非常に精神的に過酷なメディアを不意に閲覧させてしまう状況に戸惑っています。既にブチャの虐殺には「暴力的」のテンプレートが離れている事は承知していますが「いい年の大人(私です)が精神的なダメージを受ける画像が、年齢を問わず閲覧できるWikipediaで不意に閲覧出来てしまう状況は、いかがなものかと思う」というのが本提案の骨子です。
まず、この手の先行する議論として、たとえば性的な画像についてがありますが、性的なモラルと悲惨な死を想起させるものは次元が違うと思います。凄惨な状況が心理的に与えるダメージについては、一例として東日本大震災に派遣された消防官の惨事ストレスとメンタルヘルスの横断研究などがあり、日常的に凄惨な状況に直面するプロですら、過酷な状況ではPTSDのリスクがあることが知られています。
念の為ですが、性的な心的被害を軽視するものではありません。ただ、ある程度の健全な性的経験を経れば一定の免疫?ができる性的画像と、平和に暮らすことができれば一生見ることが無い凄惨な画像は一律に議論的できないという意味です。
また、免責事項を挙げての反論もあろうかと思いますが、戦争犯罪やジェノサイドについて知りたいと、虐殺死体は見たくないという需要は矛盾なく成立し、「理解した上で閲覧している」という意見には賛同できません。また、カテゴリー:ジェノサイドにある記事を全て確認しましたが、ブチャの虐殺のような鮮明かつ残虐性の強い画像が多数掲載される記事は他になく、古い表現で恐縮ですが当該記事の現状は精神的ブラクラの域に達していると思います(私個人の意見です)。また、現在進行中の戦争犯罪であり、話題性が高いこと(昨日1日で約6700pv)や未成年者の閲覧も考慮し、一定の配慮が必要と思います。
なお、本提案は見せ方についての提案であり、掲載に反対するものではなく検閲には当たらないと考えていることも、あらかじめ言及しておきます。具体的なルールについては、技術的な知識がありませんのでご意見いただいて煮詰めたいのですが、Twitterのように「この画像/動画はセンシティブな内容を含んでいる可能性があります。」の警告文をクリックすると画像が表示されるようなものを想定しています。--あずきごはん(会話) 2022年4月8日 (金) 12:02 (UTC)
ご意見をよろしくお願いします。--あずきごはん(会話) 2022年4月5日 (火) 12:56 (UTC)
- 有意義な議論だと思います。ちょうどブチャの虐殺の内容について検証していたため、議論に参加させていただきます。以下は、各種方針によるものというより一編集者の意見としてお受け取りください。
- まず、私は記事の警告は冒頭の「この記事には暴力的または猟奇的な記述・表現が含まれています。」のテンプレート以上の対策は必要ないと考えます。性的な画像についての参考事例を挙げられていたため例にしますが、例えば性的被害に遭ったことのある人であれば性器の画像を見て深刻な精神的ダメージを受けるかもしれません。あずきごはんさんが性的な心的被害を軽視しているのではないこともよく理解していますが、「ある程度の健全な性的経験を経れば一定の免疫?ができる」というのはやはりケースバイケースで一律に語るべきでないと思います。残酷な画像についても精神的にダメージについてはやはりケースバイケースで「多くの人が精神的にダメージを受けるだろう」というのも推測の域を出ず、もちろんあずきごはんさんが「精神的ブラクラ」とまでおっしゃるのも良くわかるのですが、であればどこまで対策すれば良いか?、考え出すとWikipediaに画像を掲載する自由そのものを阻害することにもなりかねません。
- ブチャの虐殺では画像節が分けられており、現状を維持するべきだと考えます。「虐殺」が記事名にある記事の「画像」とすれば残酷な画像であることはほぼ確実であり、残酷な画像を見たくない人は「画像」節を避けるはずです。「戦争犯罪やジェノサイドについて知りたい」と、「虐殺死体は見たくない」という矛盾しない需要は満たせると考えます。
- 以上はあくまで個人的な意見ですので、先行する議論や方針による見解があればそちらを参照してください。--しんぎんぐきゃっと(会話) 2022年4月5日 (火) 13:30 (UTC)
- 返信 ご意見ありがとうございます。しんぎんぐきゃっとさんのご意見を拝読しての感想ですが、「推測の域を出ず」や「どこまで対策すれば良いか」など、明確な線引きがあってしかるべきというお考えと感じました。もちろんそれが可能であれば良いのですが、現実問題として難しいのは事実です。ですが、現在のjawpの運営、たとえばユーザーブロックや記事の削除などもルールはありますが、個々の具体的な案件にどのルールが適用されるのかという判断はまさにケースバイケースでコミュニティによる投票という弾力性のある運用がされており、本件もそれと変わりないと考えています。大切なのは「残虐性の高い画像の表示には配慮が必要」というコミュニティの合意であって、運用の仕方で合意形成を図るというルール作りは可能ではないでしょうか? それと「wikipediaの自由の阻害」に言及されていますが、もちろんそれが大切であることに賛同しますが、「画像の表示をもうワンクッション置きましょう」というだけであって、デメリットを大きくとらえすぎと思います。また、ブチャの虐殺で「節が分けられているので需要は満たせる」というご返答がありましたが、それを是とするならば「残虐性の高い画像は本文に入れこまず、節をわけること」などのルール作りは可能ではないでしょうか?ブチャの虐殺の記事の現状をもってルールは必要ないとおっしゃるのは論理が飛躍しているように思います。--あずきごはん(会話) 2022年4月6日 (水) 11:35 (UTC)
- (あくまでも個人の意見ですが)しんぎんぐきゃっとさんがコメントされているように、残虐な画像を見たくない方はそもそも画像節を見ないと思いますので、遺体が写った画像を画像節に表示させるのは問題ないと思います。ただ、現在表示されている画像のうち上の3枚(「撃退されたロシア軍の戦車」、「奪還したブチャに入るウクライナ警察」、「ブチャの市街地の路上の惨状」)に関しては「残虐」と言うほどではないと考えますので、遺体が写った画像と同じ節に置いておくのが適切か気になるところではあります。「ブチャの虐殺」は「ロシア兵がブチャ市民を虐殺した(とされる)出来事」であり、この3枚の画像で説明できるのは「戦闘後の様子」であると思いますので、表示させる場所はブチャの戦いの方が適切かもしれません。
- Template:Hiddenですが、少なくともモバイルウェブ版ではこのテンプレートは適切に機能しないようです
ません。例としてゴ・ディン・ジエムでは、ジエムの遺体の画像がHiddenを使って表示されていますが、モバイルウェブ版では「遺体の画像があります。表示を押すと、表示されます。」と太字で表示され、その下に画像が隠されない形でそのまま表示されます。現在注目されている出来事を主題とする記事であり、相当数モバイルウェブ版から閲覧がされるであろうことを考えると、Hiddenを使うのは問題解決の適切な手段というわけではないと思います。--アリシア-jawiki(会話 - 投稿記録) 2022年4月6日 (水) 12:35 (UTC)少し修正--アリシア-jawiki(会話 - 投稿記録) 2022年4月6日 (水) 12:37 (UTC)- 返信 ご意見ありがとうございます。特に技術的な点は、私はまったく知識がありませんので、こういった指摘は大変助かります。ただ、私の提案の仕方が悪かったのですが、hiddenの件は議論の呼び水として記したもので、その部分に拘りは在りません。私の提案の第1目標は「残虐性の高い画像の表示方法に何らかの配慮が必要ではないか」という点でのコミュニティの合意であり、その方法は次の議題と考えています。しんぎんぐきゃっとさんへも返信しましたが、「画像節が分けられていることで回避できる」というお考えであれば、それをルール化する方向で合意することは出来ないでしょうか?それとも如何なるルールも必要ないというお考えでしょうか?--あずきごはん(会話) 2022年4月7日 (木) 10:49 (UTC)
- コメント 根本的にWikipediaは百科事典であり、どのような画像であってもそれは「文章解説の一助」「それを貼付する以外の他の代替手段がない」という位置づけになるべきであって、決して画像を貼付することそのものが目的になってはいけないのは周知の通りですよね(Wikipedia:不快なコンテンツ)。◆その点を考慮して日本語版のブチャの虐殺#被害を見ると、言及されている文章解説は明らかに画像欄で隠されている6枚の残虐画像に対して大幅に不足してしまっているように思え、ここで画像と解説それぞれの重要性について主客転倒が発生しているというか、日本語版においては画像が必要不可欠、それがないと記事上の行為解説について理解が進まない、と編者が考えている証左になってしまっていると思います。 / 比較対象として英語版のen:Bucha massacre#Reportsを見ると、前述のように「(発見された残虐行為に関して、それの検証・考察についての報道も含めた現在進行系の)文章解説が主、画像が従」の関係性を維持しており、日本語版においては画像添付是非よりも先に解説文章の深刻な不足が問題にされるべきであり、画像群に関しては記事が充実するまで一旦ノートに移動するなどして全除去してしまっても「記事としては、現時点では」別に困らないものではないか、とも思います。◆◆これは残虐画像だから隠せとかそういう二次議論とは別に、記事に最も必要な解説文章の増加をおざなりにして画像を貼る貼らないで揉めるのは本末転倒、それが絶対に必須であると主張するためには先に記事内容が充実していなければならないのではないか、と考える故です。あと、画像閲覧が読者にとって必要不可欠なら、根本的に全盲の方には当記事を十分に理解させる必要がない、というとても傲慢な記事の作り方を試行しているようにも思えます。--Nami-ja [会話 履歴] 2022年4月8日 (金) 08:14 (UTC)
- 追記 肝心要のコメントを入れ忘れた。「残虐画像の表示に関し特に配慮が必要ではないか」との議題に関してですが、「免責事項で既に配慮は終わっているので、それを了承して閲覧を進める読者に対しそれ以上の配慮は過度、隠す必要は一切ない」と思います。航空機事故の生還者は墜落した機体の同型機を見ることでも強いストレスでしょうし、津波や噴火災害の生還者にとっては海や山を見ることが辛かったりすることもあるでしょう。それに関し、戦争被害者だからと生還状況に注目して特別に生還者を分類し配慮をするしないを選択するほうが善意の差別、無自覚な攻撃だと個人的には思います。--Nami-ja [会話 履歴] 2022年4月8日 (金) 08:25 (UTC)