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2022年3月1日 (火) 20:04時点における版
大羽 奎介(おおば けいすけ、1935年(昭和10年)1月22日 - 2002年(平成14年)8月29日)は、日本の外交官。元駐クロアチア大使。
略歴
1935年(昭和10年)1月22日、満州にて生まれる。1959年(昭和34年)に法政大学社会学部を卒業し、法政大学大学院博士課程を中退する。
ベオグラード大学留学後、1974年(昭和49年)に外務省に入省する。二度にわたるユーゴ[要曖昧さ回避]勤務を経て、欧亜局東欧課地域調整官に就任する。
1995年(平成7年)にユーゴスラビア大使館参事となり、1998年(平成10年)に駐クロアチア大使に就任する。
2002年(平成14年)8月29日に死去、67歳。
人物
旧ユーゴスラビア諸国で日本人外交官として20年以上を過ごし、和平と復興に貢献したとして、セルビア共和国の首都ベオグラードに名を冠した「ケイスケ・オオバ通り」ができている。外務省一の旧ユーゴ通として知られており、「死後は愛着あるユーゴの地で眠りたい」と遺言し、遺骨はベオグラードの墓地に葬られた[1]。
共訳
脚注
参考
- 法政大学社会部同窓会会報第13号
- 『現代物故者事典2000-2002』(日外アソシエーツ、2003)