「ローレンス・ダンダス (第2代ゼットランド侯爵)」の版間の差分
編集の要約なし |
|||
33行目: | 33行目: | ||
|選挙区3 = {{仮リンク|ホーンジー選挙区|en|Hornsey (UK Parliament constituency)}} |
|選挙区3 = {{仮リンク|ホーンジー選挙区|en|Hornsey (UK Parliament constituency)}} |
||
|就任日3 = [[1907年]][[6月5日]] |
|就任日3 = [[1907年]][[6月5日]] |
||
|退任日3 = [[1916年]][[11月27日]]<ref name="HANSARD">{{Cite web |url= |
|退任日3 = [[1916年]][[11月27日]]<ref name="HANSARD">{{Cite web |url=https://api.parliament.uk/historic-hansard//people/earl-of-ronaldshay/ |title=Earl of Ronaldshay|accessdate= 2015-9-24|author= [[イギリス議会|UK Parliament]] |work= [https://api.parliament.uk/historic-hansard//index.html HANSARD 1803–2005] |language= 英語 }}</ref> |
||
|国旗4 = GBR |
|国旗4 = GBR |
||
|職名4 = [[貴族院 (イギリス)|貴族院]]議員 |
|職名4 = [[貴族院 (イギリス)|貴族院]]議員 |
||
52行目: | 52行目: | ||
[[1914年]]に第一次世界大戦が勃発するとヨークシャー連隊に少佐として勤務した<ref name="venn"/>。[[1917年]]から[[1922年]]にかけては植民地インドで{{仮リンク|ベンガル知事|en|Governor of Bengal|redirect=1}}を務めた<ref name="venn"/>。[[1922年]]に[[枢密院 (イギリス)|枢密顧問官]](PC)に列する<ref name="venn"/>。1922年から[[1925年]]にかけては[[王立地理学会]]会長を務めた<ref name="venn"/>。[[1928年]]から[[1931年]]にかけて[[グレートブリテン及びアイルランドの王立アジア協会]]の会長を務める<ref name="venn"/>。 |
[[1914年]]に第一次世界大戦が勃発するとヨークシャー連隊に少佐として勤務した<ref name="venn"/>。[[1917年]]から[[1922年]]にかけては植民地インドで{{仮リンク|ベンガル知事|en|Governor of Bengal|redirect=1}}を務めた<ref name="venn"/>。[[1922年]]に[[枢密院 (イギリス)|枢密顧問官]](PC)に列する<ref name="venn"/>。1922年から[[1925年]]にかけては[[王立地理学会]]会長を務めた<ref name="venn"/>。[[1928年]]から[[1931年]]にかけて[[グレートブリテン及びアイルランドの王立アジア協会]]の会長を務める<ref name="venn"/>。 |
||
[[1929年]][[3月11日]]に父が死去し、第2代ゼットランド侯爵位を継承し<ref name="thepeerage.com"/>、[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]議員に列した<ref name="HANSARD">{{Cite web |url= |
[[1929年]][[3月11日]]に父が死去し、第2代ゼットランド侯爵位を継承し<ref name="thepeerage.com"/>、[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]議員に列した<ref name="HANSARD">{{Cite web |url=https://api.parliament.uk/historic-hansard//people/earl-of-ronaldshay/ |title=Earl of Ronaldshay|accessdate= 2015-9-24|author= [[イギリス議会|UK Parliament]] |work= [https://api.parliament.uk/historic-hansard//index.html HANSARD 1803–2005] |language= 英語 }}</ref>。[[1930年]]から[[1931年]]の{{仮リンク|円卓会議 (1930-1931)|label=インド円卓会議|en|Round Table Conferences (India)}}の出席者の一人となった<ref name="venn"/>。1933年にはインド問題両院合同特別委員会の委員となる<ref name="venn"/>。 |
||
[[1935年]]から[[1940年]]まで第3次[[スタンリー・ボールドウィン|ボールドウィン]]内閣と[[ネヴィル・チェンバレン|チェンバレン]]内閣の[[インド大臣]](1937年にインド・ビルマ担当大臣に改組)を務めた<ref name="thepeerage.com"/>。 |
[[1935年]]から[[1940年]]まで第3次[[スタンリー・ボールドウィン|ボールドウィン]]内閣と[[ネヴィル・チェンバレン|チェンバレン]]内閣の[[インド大臣]](1937年にインド・ビルマ担当大臣に改組)を務めた<ref name="thepeerage.com"/>。 |
2022年2月14日 (月) 00:31時点における版
第2代ゼットランド侯爵 ローレンス・ダンダス Lawrence Dundas 2nd Marquess of Zetland | |
---|---|
| |
生年月日 | 1876年6月11日 |
没年月日 | 1961年2月6日(84歳没) |
出身校 | ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ |
所属政党 | 保守党 |
称号 | 第2代ゼットランド侯爵 |
配偶者 | シシリー・アーチデール |
親族 | 初代ゼットランド侯(父) |
内閣 | 第3次ボールドウィン内閣 |
在任期間 | 1935年6月7日 - 1937年5月28日[1] |
内閣 | チェンバレン内閣 |
在任期間 | 1937年5月28日 - 1940年5月[1] |
庶民院議員 | |
選挙区 | ホーンジー選挙区 |
在任期間 | 1907年6月5日 - 1916年11月27日[2] |
貴族院議員 | |
在任期間 | 1929年 - 1961年2月6日[2] |
第2代ゼットランド侯爵ローレンス・ジョン・ラムリー・ダンダス(英語: Lawrence John Lumley Dundas, 2nd Marquess of Zetland, KG, GCSI, GCIE, PC、1876年6月11日 - 1961年2月6日)は、イギリスの貴族、政治家。
保守党の政治家で植民地インドの統治に関する役職を主に務めた。1892年までダンダス卿(Lord Dundas)、1892年から1929年までロナルドシー伯爵(Earl of Ronaldshay)の儀礼称号を使用した。
経歴
1876年6月11日、初代ゼットランド侯爵ローレンス・ダンダスとその妻リリアン(第9代スカーバラ伯爵リチャード・ラムリーの娘)の息子としてロンドンに生まれる[3]。次男だったが、長男が早世していたので嫡男としての出生だった[4]。
ハーロー校を経てケンブリッジ大学トリニティ・カレッジへ進学した[3][5]。
1900年から1901年にかけてはインド総督カーゾン卿の副官を務めた[3]。1907年から1916年にかけてホーンジー選挙区から選出されて保守党の庶民院議員を務めた[5]。1912年から1914年にかけてはインドの公務員についての王立委員会のメンバーを務めた[3]。
1914年に第一次世界大戦が勃発するとヨークシャー連隊に少佐として勤務した[3]。1917年から1922年にかけては植民地インドでベンガル知事を務めた[3]。1922年に枢密顧問官(PC)に列する[3]。1922年から1925年にかけては王立地理学会会長を務めた[3]。1928年から1931年にかけてグレートブリテン及びアイルランドの王立アジア協会の会長を務める[3]。
1929年3月11日に父が死去し、第2代ゼットランド侯爵位を継承し[5]、貴族院議員に列した[2]。1930年から1931年のインド円卓会議の出席者の一人となった[3]。1933年にはインド問題両院合同特別委員会の委員となる[3]。
1935年から1940年まで第3次ボールドウィン内閣とチェンバレン内閣のインド大臣(1937年にインド・ビルマ担当大臣に改組)を務めた[5]。
1945年から1951年までヨークシャーの北リディング知事を務める[5]。
栄典
爵位・準男爵位
- (2nd Marquess of Zetland)
- 4代ゼットランド伯爵 (1838年創設連合王国貴族爵位)
- (4th Earl of Zetland)
- オークニー及びゼットランド州における2代ロナルドシー伯爵 (1892年創設連合王国貴族爵位)
- (2nd Earl of Ronaldshay, in the County of Orkney and Zetland)
- ヨーク州におけるノース・ヨークシャー・アスクの4代ダンダス男爵 (1794年創設グレートブリテン貴族爵位)
- (4th Baron Dundas, of Aske, North Yorkshire in the County of York)
- リンリスゴー州におけるカースの6代ダンダス準男爵 (1762年創設グレートブリテン準男爵位)
- (6th Baronet, of Kerse in the County of Linlithgow)
勲章
- 1917年、インド帝国騎士団(インド帝国勲章)ナイト・グランド・コマンダー(GCIE)[3]
- 1922年、インドの星騎士団(インドの星勲章)ナイト・グランド・コマンダー(GCSI)[3]
- 1942年、ガーター騎士団(ガーター勲章)ナイト(KG)[5]
家族
1907年に陸軍軍人の娘シシリー・アーチデールと結婚。彼女との間に以下の2男4女を儲ける[5]
- 第1子(長男)第3代ゼットランド侯爵ローレンス・アルドレッド・マーヴィン・ダンダス (1908-1989) - 爵位を継承
- 第2子(長女)ヴィオラ・メアリー・ダンダス嬢 (1910-1995)
- 第3子(次女)ラヴィニア・マーガレット・ダンダス嬢 (1914-1974)
- 第4子(三女)ジェーン・アガサ・ダンダス嬢 (1916-1995)
- 第5子(次男)ブルース・トマス・ダンダス卿 (1920-1942) - 第二次世界大戦で戦死
出典
- ^ a b 秦郁彦編 2001, p. 513.
- ^ a b c UK Parliament. “Earl of Ronaldshay” (英語). HANSARD 1803–2005. 2015年9月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m "Dundas, Lawrence John Lumley, Earl of Ronaldshay (DNDS894LJ)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ Lundy, Darryl. “Lawrence Dundas, 1st Marquess of Zetland” (英語). thepeerage.com. 2015年9月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h Lundy, Darryl. “Lawrence John Lumley Dundas, 2nd Marquess of Zetland” (英語). thepeerage.com. 2015年9月24日閲覧。
参考文献
- 秦郁彦編『世界諸国の組織・制度・人事 1840―2000』東京大学出版会、2001年(平成13年)。ISBN 978-4130301220。
外部リンク
- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by the Marquess of Zetland
- "ローレンス・ダンダスの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
---|---|---|
先代 チャールズ・バリントン・バルフォア |
ホーンジー選挙区 選出庶民院議員 1907年–1916年 |
次代 ケネディ・ジョーンズ |
公職 | ||
先代 初代カーマイケル男爵 |
ベンガル知事 1917年–1922年 |
次代 第2代リットン伯爵 |
先代 サー・サミュエル・ホーア準男爵 |
インド大臣 1935年–1937年 |
次代 インド・ビルマ担当大臣に改組 |
先代 新設 |
インド・ビルマ担当大臣 1937年–1940年 |
次代 レオ・アメリー |
名誉職 | ||
先代 第5代ボルトン男爵 |
ヨークシャーの北リディング知事 1945年–1951年 |
次代 サー・ウィリアム・ウォースレー準男爵 |
イギリスの爵位 | ||
先代 ローレンス・ダンダス |
第2代ゼットランド侯爵 1929年–1961年 |
次代 ローレンス・ダンダス |