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「アーサー・ウェルズリー (第8代ウェリントン公爵)」の版間の差分

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[[1960年]]に{{仮リンク|第22機甲旅団 (イギリス)|label=第22機甲旅団|en|22nd Armoured Brigade (United Kingdom)}}の司令官に就任<ref name="thepeerage.com" />。1964年から1968年にかけては駐マドリード・イギリス大使館で防衛駐在官を務めた<ref name="thepeerage.com" />。[[1968年]]1月に軍を退役し、名誉准将の階級を受けた<ref>{{cite web|url=http://www.london-gazette.co.uk/issues/44513/supplements/1180 |title=London Gazette, 26 January 1968 |publisher=London-gazette.co.uk |date=1968-01-26 |accessdate=2014-10-11}}</ref>。
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2022年2月14日 (月) 00:27時点における版

第8代ウェリントン公爵
アーサー・ウェルズリー
Arthur Wellesley
8th Duke of Wellington
2006年6月のウェリントン公
生誕 (1915-07-02) 1915年7月2日
イタリア王国の旗 イタリア王国ローマ
死没 (2014-12-31) 2014年12月31日(99歳没)
イギリスの旗 イギリスハンプシャー州
所属組織 イギリス陸軍
軍歴 1939年7月 - 1968年1月
最終階級 名誉准将
除隊後 貴族院議員1972年-1999年
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第8代ウェリントン公爵アーサー・ヴァレリアン・ウェルズリー: Arthur Valerian Wellesley, 8th Duke of Wellington, KG, LVO, OBE, MC, DL1915年7月2日 - 2014年12月31日)は、イギリスの陸軍軍人、政治家、貴族。

軍人としての最終階級は名誉准将。父が爵位を継承した1943年から自身が爵位を継承する1972年までドゥロ侯爵(Marquess of Douro)の儀礼称号を使用した。

ワーテルローの戦いナポレオンを打ち破った初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーは高祖父にあたる。

経歴

1986年のウェリントン公爵

1915年7月2日、後に第7代ウェリントン公爵となるジェラルド・ウェルズリー卿英語版(第4代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーの三男[1])とその夫人ドロシー・ヴァイオレット(旧姓アシュトン)の間の長男として生まれる[2]

イートン校を経てオックスフォード大学ニュー・カレッジ英語版へ進学[3]

1939年7月に陸軍少尉に任官[4]1940年3月には王立近衛騎兵連隊英語版に配属された[5]第二次世界大戦では中東、イタリア、北西ヨーロッパなどに出征し[3]1941年にはミリタリー・クロス英語版(MC)を受章した[6]

1946年2月に中尉[7]、同年7月に大尉[8]。1951年7月に少佐[9]、1954年12月に中佐[10]、1960年1月に大佐に昇進した[11]

1960年第22機甲旅団英語版の司令官に就任[3]。1964年から1968年にかけては駐マドリード・イギリス大使館で防衛駐在官を務めた[3]1968年1月に軍を退役し、名誉准将の階級を受けた[12]

1972年1月に父の死により第8代ウェリントン公爵位を継承[3]貴族院議員に列し、貴族院改革のあった1999年11月11日まで在職した[13][注釈 1]

1990年4月23日、女王エリザベス2世よりガーター勲章勲爵士(KG)に叙せられた[15]

2014年12月31日、自宅にて亡くなった[16][17]

栄典

2006年6月19日ガーター・セレモニーセント・ジョージ・チャペルまで行進するガーター騎士団員ウェリントン公爵。

爵位

1972年1月4日に死去した父ジェラルド・ウェルズリー英語版から以下の爵位を継承した[3][18]

  • 第8代ウェリントン公爵 (8th Duke of Wellington)
    (1814年5月11日勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第8代ウェリントン侯爵 (8th Marquess of Wellington)
    (1812年10月3日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第8代ドゥロ侯爵 (8th Marquess Douro)
    (1814年5月11日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第12代モーニントン伯爵 (12th Earl of Mornington)
    (1760年10月2日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • 第8代ウェリントン伯爵 (9th Earl of Wellington)
    (1812年2月28日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • ミース州におけるダンガン城の第12代ウェルズリー子爵 (12th Viscount Wellesley, of Dangan Castle in the County of Meath)
    (1760年10月2日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • サマセット州におけるタラヴェラ=ウェリントンの第8代ウェリントン子爵 (8th Viscount Wellington, of Talavera and Wellington in the County of Somerset)
    (1809年9月4日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第13代モーニントン男爵 (13th Baron Mornington)
    (1746年7月9日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • サマセット州におけるウェルズリーの第8代ドゥロ男爵 (8th Baron Douro, of Wellesley in the County of Somerset)
    (1809年9月4日の勅許状による連合王国貴族爵位)

外国爵位

勲章

その他

家族

1944年に陸軍軍人ダグラス・マクコネル英語版少将の娘ダイアナ英語版(1921-2010)と結婚し、彼女との間に以下の5子を儲けている[3]

  • 第1子(長男)第9代ウェリントン公爵アーサー・チャールズ・ヴァレリアン・ウェルズリー(1945 -)
  • 第2子(次男)リチャード・ジェラルド卿(1949-)
  • 第3子(長女)キャロライン・ジェーン嬢(1951-)
  • 第4子(三男)ジョン・ヘンリー卿(1954-)
  • 第5子(四男)ジェイムズ・クリストファー・ダグラス卿(1964-)

脚注

注釈

  1. ^ トニー・ブレア政権による貴族院改革により、1999年11月11日に世襲貴族の議席は92議席を残して削除され、ウェリントン公を含む大半の世襲貴族が議席を失った。以降の貴族院は爵位を世襲できない一代貴族が議員の大半を占めている[14]

出典

  1. ^ Lundy, Darryl. “Colonel Arthur Charles Wellesley, 4th Duke of Wellington” (英語). thepeerage.com. 2014年10月11日閲覧。
  2. ^ Lundy, Darryl. “Lt.-Col. Gerald Wellesley, 7th Duke of Wellington” (英語). thepeerage.com. 2014年10月11日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h Lundy, Darryl. “Brigadier Arthur Valerian Wellesley, 8th Duke of Wellington” (英語). thepeerage.com. 2014年10月11日閲覧。
  4. ^ London Gazette, 2 October 1936”. London-gazette.co.uk (1936年10月2日). 2014年10月11日閲覧。
  5. ^ Supplement to the London Gazette, 12 March 1940”. London-gazette.co.uk (1940年3月12日). 2014年3月13日閲覧。
  6. ^ a b "No. 35396". The London Gazette (英語). 26 December 1941. p. 7334. 2014年10月11日閲覧
  7. ^ London Gazette, 8 February 1946”. London-gazette.co.uk (1946年2月8日). 2014年10月11日閲覧。
  8. ^ London Gazette, 2 August 1946”. London-gazette.co.uk (1946年7月30日). 2014年10月11日閲覧。
  9. ^ Viewing Page 4253 of Issue 39306”. London-gazette.co.uk (1951年8月7日). 2014年10月11日閲覧。
  10. ^ London Gazette, 21 January 1955”. London-gazette.co.uk (1955年1月21日). 2014年10月11日閲覧。
  11. ^ London Gazette, 4 November 1960”. London-gazette.co.uk (1960年11月4日). 2014年10月11日閲覧。
  12. ^ London Gazette, 26 January 1968”. London-gazette.co.uk (1968年1月26日). 2014年10月11日閲覧。
  13. ^ UK Parliament. “Mr Arthur Wellesley” (英語). HANSARD 1803–2005. 2014年10月11日閲覧。
  14. ^ 田中(2009) p.229/241
  15. ^ a b "No. 52120". The London Gazette (英語). 24 April 1990. p. 8251. 2014年10月11日閲覧
  16. ^ www.telegraph.co.uk Duke of Wellington dies aged 99
  17. ^ Duke of Wellington's Regiment website, News article, Duke of Wellington Passed away this Morning, (31 December)
  18. ^ Heraldic Media Limited. “Wellington, Duke of (UK, 1814)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年4月19日閲覧。
  19. ^ BOE, 30 de marzo de 2010, sección V.” (PDF). 2014年10月11日閲覧。
  20. ^ "No. 39494". The London Gazette (英語). 18 March 1952. pp. 1543–1544. 2012年5月22日閲覧
  21. ^ London Gazette, 4 February 1958”. London-gazette.co.uk (1958年2月4日). 2014年10月11日閲覧。

参考文献

外部リンク

イギリスの爵位
先代
ジェラルド・ウェルズリー英語版
第8代ウェリントン公爵
1972年2014年
次代
チャールズ・ウェルズリー
スペインの爵位
先代
ジェラルド・ウェルズリー英語版
第9代シウダ・ロドリゴ公爵
1968年2010年
次代
チャールズ・ウェルズリー