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2007-08シーズンのスウェーデンリーグでの活躍で、代表監督の[[ラーシュ・ラーゲルベック]]に説得され[[UEFA EURO 2008|EURO2008]]の同国代表に選出、代表復帰を果たした<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/internationals/7399871.stm |title=Larsson returns for Sweden again|work=BBC Sport|date=14 May 2008|accessdate=14 May 2008 }}</ref>。大会終了後には、「代表チームが必要としてくれるのであれば、引退はしない。」と、今後も代表でプレーしていく意向を示した。2009年、[[2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選|南アW杯予選]][[サッカーアルバニア代表|アルバニア]]と引き分け、予選敗退をもって改めて代表から引退した<ref>{{cite web|url=http://m.goal.com/s/en/news/852336/|title=Sweden held goalless in Tirana |date=6 September 2008 |work=Goal|accessdate=13 May 2017}}</ref>。 |
2007-08シーズンのスウェーデンリーグでの活躍で、代表監督の[[ラーシュ・ラーゲルベック]]に説得され[[UEFA EURO 2008|EURO2008]]の同国代表に選出、代表復帰を果たした<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/internationals/7399871.stm |title=Larsson returns for Sweden again|work=BBC Sport|date=14 May 2008|accessdate=14 May 2008 }}</ref>。大会終了後には、「代表チームが必要としてくれるのであれば、引退はしない。」と、今後も代表でプレーしていく意向を示した。2009年、[[2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選|南アW杯予選]][[サッカーアルバニア代表|アルバニア]]と引き分け、予選敗退をもって改めて代表から引退した<ref>{{cite web|url=http://m.goal.com/s/en/news/852336/|title=Sweden held goalless in Tirana |date=6 September 2008 |work=Goal|accessdate=13 May 2017}}</ref>。 |
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2009年11月1日、リーグ最終節の[[IFエルフスボリ]]戦をもって現役を引退。試合終了後の引退セレモニーではマンチェスター・ユナイテッドの[[アレックス・ファーガソン]]監督や元同僚の[[カルレス・プジョル]]、[[ |
2009年11月1日、リーグ最終節の[[IFエルフスボリ]]戦をもって現役を引退。試合終了後の引退セレモニーではマンチェスター・ユナイテッドの[[アレックス・ファーガソン]]監督や元同僚の[[カルレス・プジョル]]、[[チャビ・エルナンデス|チャビ・エルナンデス・エルナンデス]]、そしてスウェーデン代表でチームメイトだった[[ズラタン・イブラヒモビッチ]]から贈られたビデオレターがスクリーンに映し出され、それを観たラーションの目には涙が浮かんでいた。 |
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現役引退後は指導者に転身し、2014年11月10日、長男の[[ヨーダン・ラーション]]が所属していた古巣ヘルシンボリの監督に就任した<ref>{{cite web |url=http://jp.uefa.com/memberassociations/association=swe/news/newsid=2180890.html |title=ヘルシンボリ新監督にラーション氏 |publisher=UEFA.com |date=2014-11-10 |accessdate =2014-11-11}}</ref>。 |
現役引退後は指導者に転身し、2014年11月10日、長男の[[ヨーダン・ラーション]]が所属していた古巣ヘルシンボリの監督に就任した<ref>{{cite web |url=http://jp.uefa.com/memberassociations/association=swe/news/newsid=2180890.html |title=ヘルシンボリ新監督にラーション氏 |publisher=UEFA.com |date=2014-11-10 |accessdate =2014-11-11}}</ref>。 |
2021年12月16日 (木) 20:53時点における版
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ヘンリク・ラーション(2014年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ヘンリク・エドワード・ラーション Henrik Edward Larsson | |||||
愛称 | バイキングの英雄、ヘンケ、先生 | |||||
ラテン文字 | Henrik LARSSON | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
スウェーデン カーボベルデ | |||||
生年月日 | 1971年9月20日(53歳) | |||||
出身地 | ヘルシンボリ | |||||
身長 | 178cm | |||||
体重 | 72kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1977-1988 | ヘーガボリBK | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1988-1992 | ヘーガボリBK | 64 | (23) | |||
1992-1993 | ヘルシンボリIF | 56 | (50) | |||
1993-1997 | フェイエノールト | 101 | (26) | |||
1997-2004 | セルティック | 221 | (174) | |||
2004-2006 | FCバルセロナ | 40 | (13) | |||
2006-2009 | ヘルシンボリIF | 84 | (38) | |||
2007 | → マンチェスター・ユナイテッド (loan) | 7 | (1) | |||
2012 | ロオIF | 1 | (0) | |||
2013 | ヘーガボリBK | 2 | (0) | |||
通算 | 576 | (325) | ||||
代表歴2 | ||||||
1993-2009 | スウェーデン [1] | 106 | (37) | |||
監督歴 | ||||||
2010-2012 | ランズクルーナBoIS | |||||
2013 | ヘーガボリBK (アシスタントコーチ) | |||||
2014 | ファルケンベリFF | |||||
2015-2016 | ヘルシンボリIF | |||||
2018-2019 | エンゲルホルムFF (アシスタントコーチ) | |||||
2019 | ヘルシンボリIF | |||||
2020- | FCバルセロナ (アシスタントコーチ) | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2014年11月11日現在。 2. 2014年11月11日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ヘンリク・ラーション(Henrik Edward Larsson、1971年9月20日 - )は、スウェーデン・ヘルシンボリ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者である。現役時代のポジションはフォワード。スウェーデン国内では「ヘンケ」の愛称で親しまれている。
経歴
父はカーボベルデ出身で、母はスウェーデン人である。22歳の時、1994年のアメリカW杯にスウェーデン代表として出場し、同国の3位入賞に貢献。ブロンドのドレッドヘアーという独特な風貌も相まって、一躍世界にその名を知られるようになる。
1997年にスコットランドのセルティックに移籍した。加入シーズンにはレンジャーズのリーグ10連覇阻止と、クラブの10年振りのリーグ制覇に貢献した。2000-01シーズンには35得点(カップ戦も合わせると計50得点)を記録し、欧州のトップスコアラーに与えられるESMゴールデンシューを受賞した。セルティック在籍7シーズンで4度のリーグ制覇の中心となり、セルティックでの出場315試合で242得点を記録した活躍によって、セルティックファンからは「諸王の王」(王の中の王、The King of Kings )の愛称で呼ばれた。
一時スウェーデン代表への招集を拒否していたが、息子の「なぜ代表で試合しないの?」という言葉を受け、代表へ復帰。2002年の日韓W杯では再び攻撃の中心として活躍し、ベスト16入り。自身も3得点を挙げた。2002年W杯終了後、代表引退を表明し離脱するも国民から代表復帰の要望があり、EURO2004を前に代表復帰。ブルガリア戦では2ゴールを決め、ベスト8に大きく貢献。2006年のドイツW杯でも中心選手として活躍し、グループリーグのイングランド戦で試合終了間際に同点弾を決めるなどして、チームは決勝トーナメントへ進出した。決勝トーナメント1回戦の開催国のドイツとの試合ではPKを外し、チームも敗退。7月17日、代表引退を決意した。
ゴールを決めた後、両手を広げて舌を出すゴールパフォーマンスも有名である。
2005年に歴代の名選手を抑え、スウェーデン歴代最優秀選手に選出された。
2005-06シーズンにFCバルセロナでリーグ優勝を経験。2005-06年のUEFAチャンピオンズリーグ決勝(対アーセナル戦)では1点をリードされていたが、後半途中から投入され、ポストプレーを生かした2アシストでバルセロナを優勝に導いた。
2005年12月28日に、2005-06シーズンいっぱいでバルセロナを退団し、母国スウェーデンへ戻ることを発表した。2006年7月から古巣ヘルシンボリIFに復帰。ハビエル・サビオラ、サミュエル・エトオ、リオネル・メッシの3名のフォワードを欠くバルセロナが再獲得を目指すとの報道がなされたが、2006年12月にマンチェスター・ユナイテッドが3ヶ月間の期限付きで獲得することが発表された[2]。これはスウェーデン国内リーグの開催期間が4月~10月と短い点を突いた「裏ワザ」的な獲得であり、前線の駒不足に悩んでいたマンチェスター・ユナイテッドの補強となった。デビュー戦となったFAカップ、3rdラウンドのアストン・ヴィラ戦でゴールを決めた[3] 。1月31日のワトフォード戦でプレミアリーグでの唯一のゴールを決めた[4]。チームやファーガソン監督からは直接残るように要請を受けたが[5]、退団後はヘルシンボリでプレーした。
2007-08シーズンのスウェーデンリーグでの活躍で、代表監督のラーシュ・ラーゲルベックに説得されEURO2008の同国代表に選出、代表復帰を果たした[6]。大会終了後には、「代表チームが必要としてくれるのであれば、引退はしない。」と、今後も代表でプレーしていく意向を示した。2009年、南アW杯予選アルバニアと引き分け、予選敗退をもって改めて代表から引退した[7]。
2009年11月1日、リーグ最終節のIFエルフスボリ戦をもって現役を引退。試合終了後の引退セレモニーではマンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソン監督や元同僚のカルレス・プジョル、チャビ・エルナンデス・エルナンデス、そしてスウェーデン代表でチームメイトだったズラタン・イブラヒモビッチから贈られたビデオレターがスクリーンに映し出され、それを観たラーションの目には涙が浮かんでいた。
現役引退後は指導者に転身し、2014年11月10日、長男のヨーダン・ラーションが所属していた古巣ヘルシンボリの監督に就任した[8]。
逸話
2000-01シーズンにESMヨーロッパゴールデンシューを獲得した際のインタビューでリーグのレベルの低さを指摘されたことについて、「スコットランドリーグは世界一ではないかもしれないが、世界最低のリーグからはかけ離れていると思う。どこでプレーしていようとも、ストライカーの仕事は変わらない、ゴールを決めることじゃないか」と答えた[要出典]。
2004-05シーズンFCバルセロナに入団した際、最初の背番号は17番だったが、同オフ中にハビエル・サビオラがASモナコにレンタル移籍したため背番号7番に変更になった。そのためジャパンツアーでは17番をつけて試合に出場していた[要出典]。
引退後のインタビューで「唯一後悔していることといえば、マンチェスター・ユナイテッドに残らなかったことだ。監督、チームメイト、サポーターから信頼されていたし、もう少し残ってチームの手助けをすればよかった」と漏らしており、ファーガソンのことを「3か月しか一緒に仕事をしなかったが、私の人生にとって偉大な人だ。監督としても私の中ではベストだ」とも語っている[要出典]。
個人成績
クラブでの成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
スウェーデン | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1989 | ヘイヤボリ | 21 | 1 | ||||||||
1990 | 21 | 7 | |||||||||
1991 | 22 | 15 | |||||||||
1992 | ヘルシンボリ | 27 | 32 | ||||||||
1993 | 25 | 16 | |||||||||
オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | KNVBカップ | 期間通算 | |||||||
1993-94 | フェイエノールト | 15 | 1 | ||||||||
1994-95 | 23 | 8 | |||||||||
1995-96 | 32 | 10 | |||||||||
1996-97 | 31 | 7 | |||||||||
スコットランド | リーグ戦 | S・リーグ杯 | スコティッシュ杯 | 期間通算 | |||||||
1997-98 | セルティック | 7 | 35 | 16 | |||||||
1998-99 | 35 | 29 | |||||||||
1999-00 | 9 | 8 | |||||||||
2000-01 | 37 | 35 | |||||||||
2001-02 | 33 | 29 | |||||||||
2002-03 | 35 | 28 | |||||||||
2003-04 | 37 | 30 | |||||||||
スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2004-05 | FCバルセロナ | 7 | 12 | 3 | |||||||
2005-06 | 28 | 10 | |||||||||
スウェーデン | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2006-07 | ヘルシンボリ | 15 | 8 | ||||||||
イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
2006-07 | マンチェスター・U | 17 | 7 | 1 | |||||||
スウェーデン | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2007 | ヘルシンボリ | 17 | 22 | 9 | |||||||
2008 | 27 | 16 | |||||||||
2009 | 11 | 6 | |||||||||
通算 | スウェーデン | 176 | 102 | ||||||||
オランダ | 101 | 26 | |||||||||
スコットランド | 221 | 175 | |||||||||
スペイン | 40 | 13 | |||||||||
イングランド | 7 | 1 | |||||||||
総通算 | 551 | 319 |
代表での成績
- 出典[1]
スウェーデン代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1993 | 2 | 1 |
1994 | 14 | 5 |
1995 | 6 | 0 |
1996 | 6 | 1 |
1997 | 2 | 0 |
1998 | 7 | 1 |
1999 | 9 | 2 |
2000 | 8 | 2 |
2001 | 10 | 9 |
2002 | 8 | 3 |
2003 | 1 | 0 |
2004 | 9 | 8 |
2005 | 5 | 2 |
2006 | 6 | 2 |
2007 | 0 | 0 |
2008 | 9 | 1 |
2009 | 4 | 0 |
通算 | 106 | 37 |
監督成績
- 2019年8月23日現在
クラブ | 就任 | 退任 | 記録 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 | |||
ランズクルーナBoIS | 2009年12月14日 | 2012年11月8日 | 94 | 38 | 19 | 37 | 40.43 |
ファルケンベリFF | 2013年12月4日 | 2014年11月10日 | 31 | 9 | 6 | 16 | 29.03 |
ヘルシンボリIF | 2015年1月1日 | 2016年11月23日 | 68 | 22 | 12 | 34 | 32.35 |
ヘルシンボリIF | 2019年6月16日 | 2019年8月23日 | |||||
合計 | 193 | 69 | 37 | 87 | 35.75 |
個人タイトル
- スコティッシュ・プレミアリーグ得点王 5回:1998-99, 2000-01, 2001-02, 2002-03, 2003-04
- ゴールデンブーツ 1回:2000-01
- スコットランドPFA年間最優秀選手賞 2回:1999, 2001
- スコットランド・サッカー記者協会年間最優秀選手賞 2回:1999, 2001
- スウェーデン年間最優秀選手賞 2回:1998, 2004
- さいたまシティカップ 1回:2005
- スコティッシュ・プレミアリーグ歴代最多得点記録(158得点)
- スコティッシュ・プレミアリーグ1シーズン最多得点記録(35得点)
- スコティッシュ・プレミアリーグ歴代最多ハットトリック記録(12回)
出典
- ^ a b “Henrik Larsson - Century of International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ “Man Utd capture Larsson on loan”. BBC Sport. (1 December 2006) 10 May 2017閲覧。
- ^ Hughes, Ian (13 May 2017). “Man Utd 2–1 Aston Villa”. BBC Sport 10 June 2007閲覧。
- ^ McKenzie, Andrew (31 January 2007). “United find reasons to be cheerful as treble omens bode well”. BBC Sport 7 December 2011閲覧。
- ^ “Larsson snubs Man Utd extension”. BBC Sport. (20 February 2007) 10 May 2017閲覧。
- ^ “Larsson returns for Sweden again”. BBC Sport. (14 May 2008) 14 May 2008閲覧。
- ^ “Sweden held goalless in Tirana”. Goal (6 September 2008). 13 May 2017閲覧。
- ^ “ヘルシンボリ新監督にラーション氏”. UEFA.com (2014年11月10日). 2014年11月11日閲覧。