ステファヌ・シャピュイサ
表示
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
2014年のシャピュイサ | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Stéphane CHAPUISAT | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スイス | |||||
生年月日 | 1969年6月28日(55歳) | |||||
出身地 | ローザンヌ | |||||
身長 | 180cm | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 引退 | |||||
ポジション | FW (CF) | |||||
利き足 | 右 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1986-1987 | ESFCマレー | 32 | (16) | |||
1987-1990 | ローザンヌ・スポルト | 104 | (36) | |||
1991 | バイエル・ユルティンゲン | 10 | (4) | |||
1991-1999 | ボルシア・ドルトムント | 218 | (102) | |||
1999-2002 | グラスホッパー | 61 | (39) | |||
2002-2005 | ヤングボーイズ | 100 | (53) | |||
2005-2006 | ローザンヌ・スポルト | 32 | (16) | |||
代表歴 | ||||||
1989-2004[1] | スイス | 103 | (21) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ステファヌ・シャピュイサ(Stéphane Chapuisat、1969年6月28日 - )は、スイス、ローザンヌ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはFW。シャプイサという表記の方が多い[2][3][4][5][6][7]。
経歴
[編集]ワールドカップ・アメリカ大会、UEFA EURO '96、UEFA EURO 2004に出場した元スイス代表ストライカー。2003年、UEFAジュビリーアウォーズにおいてスイスサッカー協会の推薦を受け、過去50年における自国で最も優れた選手50人に選出された。
ボルシア・ドルトムントでは、多くの得点やアシストでチームに貢献していた。ブンデスリーガでは228試合に出場し、106点を挙げた[8]。1994-95年シーズンにチーム創設以来初のブンデスリーガ優勝を果たした。1997年には決勝でユヴェントスFCを破ってUEFAチャンピオンズリーグ制覇、同年のインターコンチネンタルカップではクロスでミヒャエル・ツォルクのゴールのお膳立てをすると、後半相手DFを退場に追い込み、勝利に貢献した[9]。
出典
[編集]- ^ “Stephane Chapuisat - Century of International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ “なぜスイスはW杯決勝Tで勝てないのか?レジェンドの見解は…/独占インタビュー”. GOAL (2018年6月11日). 2023年8月19日閲覧。
- ^ “ドルトムント史上に残るレジェンドベスト10”. QOLY (2012年3月20日). 2023年8月19日閲覧。
- ^ “ロイスの選ぶドルトムントベストイレブンが渋すぎる…自身やレヴァンドフスキ、オーバを選ばず”. GOAL (2020年4月23日). 2023年8月19日閲覧。
- ^ “ヒッツフェルト流「勝利の作法」で欧州を制したドルトムント◎サッカー世界遺産第29回”. サッカーマガジン (2020年9月5日). 2023年8月19日閲覧。
- ^ “長谷部誠のブンデス・アジア人出場記録更新。「抜かれた」韓国の反応は? 元同僚「あえて言うが、尊敬」”. YAHOO (2020年6月8日). 2023年8月19日閲覧。
- ^ サッカーストライカー 1998年1月号 p.116-118
- ^ “Stéphane Chapuisat” (ドイツ語). キッカー. 2022年2月25日閲覧。
- ^ “Coppa Intercontinentale 1997: BORUSSIA DORTMUND” (イタリア語). ストーリエディカルチョ. 2022年2月25日閲覧。