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2021年11月29日 (月) 00:11時点における版
Tamura, Koyu 田村 晃祐 | |
---|---|
生誕 |
1931年 茨城県多賀郡日立町 |
研究分野 | 日本仏教史 |
研究機関 | 東洋大学 |
出身校 | 東京大学 |
博士課程 指導学生 | 師茂樹 |
主な業績 | 『最澄教学の研究』 |
主な受賞歴 |
鈴木学術財団特別賞(1996年) 中村元東方学術賞(2003年) |
プロジェクト:人物伝 |
田村 晃祐(たむら こうゆう、1931年2月 - )は、茨城県多賀郡日立町(現、日立市)生まれの日本の仏教学者(文学博士、乙種、東京大学、1989年)、東洋大学名誉教授(専門は日本仏教史))。最澄と徳一研究の第一人者。その他に聖徳太子、親鸞、井上円了の研究も。
経歴
学歴
1931年2月、茨城県多賀郡日立町の真宗大谷派の寺院に生まれる[1]。1949年、茨城県立日立第一高等学校を卒業後、東京大学文学部印度哲学梵文学科に進む。1954年に同大学院人文科学研究科修士課程に進み、1961年に同博士課程満期退学。1989年に『最澄教学の研究 - 最澄,徳一論争を通じて-』で文学博士(乙種、東京大学)[2]。
職歴
1962年にセイロン政府文化局英文仏教百科大辞典編纂所員に、1965年に二松学舎大学専任講師となり、同助教授に昇任。1972年に東洋大学文学部仏教学科(のちインド哲学科)に転籍。1977年に教授に昇任。附属牛久高等学校校長、仏教学専攻主任、大学院委員長、学校法人東洋大学理事、評議員を務める。2000年に定年退職、名誉教授に[3]。
ワンハン大学、早稲田大学で客員教授、茨城大学、東京大学、筑波大学、清泉女子大学、国際仏教学大学院大学、日本大学、聖徳太子奉賛会、東洋学林で非常勤講師。
学会等役職歴
- 財団法人東方研究会 - 理事・評議員
- 財団法人聖徳太子奉賛会 - 評議員・幹事
- 財団法人永青文庫 - 評議員
- 日本印度学仏教学会 - 理事・評議員
- 日本佛教学会 - 理事・評議員
- 仏教思想学会 - 理事・評議員
- 日本宗教学会 - 評議員
- 早稲田大学東洋哲学会 - 理事・評議員
受賞歴
著書
博士論文
単著
- 『最澄のことば』(雄山閣出版、1985年)
- 『日本の仏典 1 最澄』(筑摩書房、1987年)
- 『最澄』(新装版、人物叢書、吉川弘文館、 1988年)
- 『最澄教学の研究』(博士論文、春秋社、1992年)
- 『近代日本の仏教者たち』(NHKライブラリー、日本放送出版協会、2005年)
共著
編書
編著
監修
共訳
論文
出演
- TV
参考文献
脚注
- ^ 「田村晃祐教授略歴・業績目録」(『東洋学論叢』26号、東洋大学文学部、2003年)
- ^ CiNii>博論
- ^ 東洋大学>インド哲学科>沿革
- ^ 「第13回「中村元東方学術賞」授賞理由」
- ^ CiNii>博論
- ^ NHK心の時代>仏教を生きる(1)