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「漢字文化圏」の版間の差分

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'''漢字文化圏'''('''かんじぶんかけん''')とは、[[漢字]]を受容した[[歴史]]があり、それに伴い自国語に古典[[中国語]]系の[[語彙]]を大量に[[借用]]した[[東アジア]]地域を指す。日本の[[歴史学者]][[西嶋定生]]が提唱した東アジア世界論([[冊封|冊封体制論]])」をきっかけとして定着した[[文化圏]]概念である。
'''漢字文化圏'''('''かんじぶんかけん''')とは「[[文化圏]]概念の一つであり、
#[[中国]]
#中国[[皇帝]]からの[[冊封]]をうけた周辺諸[[民族]]のうち、[[漢文]]を媒体として、中国王朝の国家制度や政治思想をはじめとする[[文化]]、価値観を自ら移入し、発展させ、これを中国王朝とゆるやかに共有しながら政治的には自立を確保した地域<br>
上記の双方をあわせた地域を指す。現在の地域区分で言うと「[[東アジア]]」と重なる部分が大きく、現存国家の中では、中国、[[ベトナム]]、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]、[[大韓民国|韓国]]、[[日本]]などがここに含まれる。日本の[[歴史学者]][[西嶋定生]]が提唱した「東アジア世界論([[冊封|冊封体制論]])」をきっかけとして定着し、[[歴史学]]における「文化圏」概念形成のモデルの一つとなった。


==漢字文化圏の内包と外延==
== 概要 ==
===南北朝から宋代まで===
漢字文化圏は、歴史的には[[中国]][[皇帝]]からの冊封をうけた周辺諸[[民族]]のうち、自ら中華王朝にならった国家制度を移入して採用した地域を外延とするが、現在の国家の中では、漢字を生み出した中国と、その周辺にある[[ベトナム]]・[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]・[[大韓民国|韓国]]・[[日本]]などがここに含まれる。現在、[[朝鮮語]]・韓国語と[[ベトナム語]]の語彙の7割以上、[[日本語]]の語彙の5割以上が、古代[[漢語]]とそこから派生した漢字語である。
[[歴史学]]上の概念としての漢字文化圏の外延を考える場合、西嶋「冊封体制論」が想定する[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]]から[[唐]]代にかけての地域秩序が第一の参照例となる。西嶋は「東アジア世界」を定義する指標として、冊封のほか、[[漢字]]、[[儒教]]、[[中国の仏教|仏教]]、[[律令制]]の四者を挙げており、これに該当する主な朝貢国には [[新羅]]、[[渤海 (国)|渤海]]、日本([[倭国]])がある。このほか律令制の導入が確認できない[[高句麗]]、[[百済]]も加えてさしつかえないだろう。なお[[北宋]]以降は[[高麗]]が新羅に取って代わり、また新しく[[大越]]が加わる。


このほか、[[南詔]]及び[[大理国|大理]]については、その政治制度と文化の漢化度を[[漢籍]]資料だけから測ることは難しいが、南詔が唐の、大理が北宋の冊封を受けており、中国[[密教]]が流行していたこと、また移住した漢人が政治に関与していることは、日本や新羅、百済など典型的な「東アジア世界」の朝貢国と並行的である<ref>この文の記述にあたっては林謙一郎「南詔・大理国の統治体制と支配」『東南アジア-歴史と文化-』28号、1999年、28-54ページを参考にした。</ref>。また[[遼]]、[[金 (王朝)|金]]、[[西夏]]は、軍事的に[[北宋]]、[[南宋]]を圧迫し、漢文を排除して独自の文字を制定、使用した<ref>しかしこれらの文字の制字原理にはいずれも漢字からの影響が見られ、「擬似漢字」と見なすことも不可能ではない。</ref>点で狭義の定義からは外れるが、一方いずれの国も皇帝を称し[[廟号]]を贈り、独自の[[元号]]を建てるなど、何らかの形で中国王朝にならった国制を取り入れている。これらをいずれも「グレーゾーン」に含めることは可能であろう。
[[江戸時代]]の日本には[[征夷大将軍|将軍]]が代わるたびに李氏朝鮮から[[朝鮮通信使]]が派遣された[[江戸]]の[[儒学]]者たちは漢字による[[筆談]]で朝鮮の儒学者と儒学論争を交わすことを楽しみにしていたという。


===明代以降===
[[1840年]]の[[アヘン戦争]]で[[清]]が敗北し、中国の求心力が弱まると、冊封体制下に置かれた諸[[民族]]は、漢字そのものに従属の象徴としての疑問を抱き始め、[[第二次世界大戦]]後は独立の象徴として漢字を廃止する[[政策]]を取り始めた。
「冊封体制」が復活した[[明]]代以降になると、漢字文化圏に入る要件を満たす国家(ないし地域)は現在まで続く安定性をほぼ確立しており、[[李氏朝鮮]]、[[琉球王国|琉球]]、大越(後の越南)、そして日本がこれにあたる。なおこの時期には、日本が「冊封体制」から離れているほか、律令制が形骸化し、かわって[[科挙]]官僚制が発達するなど、西嶋の挙げた四つの要件はすでに必要十分ではなくなっていた。特徴的な文化要素として第一に挙げるべきは[[書記言語]]である。漢文の移入は漢字による自言語の文字化を促したため、日本の[[かな]]、朝鮮の[[口訣]]、[[吏読]]<ref>いわゆる[[ハングル]]は漢字から派生した文字ではないが、その[[音節文字]]的特徴に漢字からの影響があることは明らかである。なお[[言語学者]][[西田龍雄]]は[[契丹文字]]からヒントを得た可能性を指摘している。</ref>、ベトナムの[[チュノム]]など、漢字から派生した独自の文字や用法が発達し、それぞれの国家の固有性を保障する書記言語が確立した<ref>ただしこれらの書記言語が漢文に優越する公用文としての地位を確立するのは近代以降のことである。</ref>。[[宗教]]面では土着化した仏教、[[道教]]などが、地域的な濃淡と混淆(シンクレティズム)を見せながら民衆に普及し、政治思想としての儒教とあわせて、圏内でゆるやかに共通する思惟の枠組みが定着するに至った。食事における[[箸]]の使用、喫[[茶]]の習慣、建築における[[瓦]]の使用など、生活文化の中にも漢字文化圏を起源とし、これを中心に分布する特徴が見られる。


==用語選定の要因==
たとえば現在のベトナム及び朝鮮・韓国における漢字そのものの使用頻度は決して高くない。ベトナムでは、フランス植民地支配下で普及した[[ラテン文字|ローマ字]]表記の[[ベトナム語#文字|クックグー]](国語) が一般に使用されており、高齢者や一部の専門家以外で漢字を理解する人は少ない。また韓国では漢字900程度義務教育で教えられているが、一般には[[李氏朝鮮]] (朝鮮王朝) の第4代国王[[世宗]]が考案したとされる[[ハングル]]が使用され、新聞等でも漢字はほとんど使われることはない。
「文化圏」概念の設定と命名に際しては、地名による場合と、文化の主要な規定要因となる宗教名または書記言語名を冠する場合とがある。漢字文化圏の場合、「東アジア文化/文明圏」「儒教文化圏」などの用語も並行的に使われているが、「東アジア」という地域名称には具体的な意味内包がなく抽象的すぎること<ref>「東アジア」自体、政治的ニュアンスを帯びた「[[東亜]]」の代替として戦後に新しくつくりだされた用語であり、むしろ余分な意味内包をもたない中立的用語であることが求められたのである。</ref>、中国、日本、[[朝鮮]]において「儒教」の受容のされ方にそれぞれ違いがあることから、「[[漢字]]」が全体を平等にカバーする中立的かつ具体的な文化要素として適切と判断され、もっとも普及したものと考えられる<ref>なお言語学者[[亀井孝]]は自分が「漢字文化圏」という用語を初めて使ったと述べているが、現在のところ資料的な裏付けは確認できない。</ref>。


==近現代における漢字の存廃について==
一方、その他の漢字使用国でも、[[康熙字典#字体・書体|康熙字典体]]を簡略化するのかしないのか、するとしたらどのようにするのかは各国の事情に基づいてのみ行われ、漢字が東アジア国際文であると視点はつい最近まで存在しかった。
''(詳細は関連項目及び各言語の記事をも参照)''


漢字文化圏内に現存する各国の書記言語はいずれも漢文から発達したため、[[語彙]]には漢字由来のものが多く含まれ、[[音声言語]]にも流入している。現在、[[朝鮮語]]・韓国語と[[ベトナム語]]では辞書に搭載されている語彙の7割以上、また[[日本語]]の語彙の5割以上が[[漢語|漢字語]]、つまり古典漢文に由来するか、そこから派生した語彙であるとされている。
しかし、韓国・[[台湾]]・[[中華人民共和国]]が[[経済成長]]を遂げ、東アジアにおける[[先進国]]が日本だけとは言えなくなった現代、[[ヨーロッパ共同体]]にヒントを得た[[東アジア共同体]]の提唱にも刺激を受けて、東アジアの国際文字としての漢字の機能が見直され、漢字を廃止した国の中でも[[漢字復活]]を唱える意見が見られるようになっ

また前近代の各国における公用の書記言語はいずれも漢文であったため、圏内の知識人同士では漢文による意志疎通が可能であった。[[江戸時代]]の日本には[[征夷大将軍|将軍]]が代わるたびに李氏朝鮮から[[朝鮮通信使]]が派遣されたが、[[江戸]]の儒学者たちは漢字による[[筆談]]で朝鮮の儒学者と儒学論争を交わすことを楽しみにしていたという。

[[ラテン文字]]の存在が知られて以降、漢字の学習の困難さや、「[[音声]]」を「音声」として表記するに不便な漢字の性質に対する不満から、[[漢字廃止論]]が唱えられるようになった。特に周辺地域では、中国からの文化的自立がナショナル・アイデンティティ確立の課題として浮上したため、漢字そのものが中国文化への従属の象徴と見なされ、漢字を廃止、または制限する政策が取られるようになった。たとえば現在のベトナム及び朝鮮・韓国における漢字そのものの使用頻度は決して高くない。ベトナムでは、フランス植民地支配下で普及した[[ラテン文字|ローマ字]]表記の[[クオック・グー|クックグー]](国語) が一般に使用されており、高齢者や一部の専門家以外で漢字を理解する人は少ない。また韓国では[[教育用基礎漢字]]1800字が[[中等教育]]で教えられているが、一般には李氏朝鮮 (朝鮮王朝) の第4代国王[[世宗]]の時代に制定されハングルが使用され、新聞等でも漢字はほとんど使われることはない。

一方、その他の漢字使用国でも、[[康熙字典#字体・書体|康熙字典体]]を簡略化するのかしないのか、するとしたらどのようにするのかは各国の事情に基づいてのみ行われ、日本漢字、[[簡体字]]、[[繁体字]]間に[[体]]りが生じた。

しかし、韓国・[[台湾]]・[[中華人民共和国]]が[[経済成長]]を遂げ、東アジアにおける[[先進国]]が日本だけとは言えなくなった現代、[[ヨーロッパ共同体]]にヒントを得た[[東アジア共同体]]の提唱にも刺激を受けて、東アジアの国際文字としての漢字の機能が見直され、漢字を廃止した国の中でも[[漢字復活]]を唱える意見が見られるようになっている

==脚注==

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<references/>

==参考文献==
*西嶋定生『中国古代国家と東アジア世界』東京大学出版会、1983年。 ISBN 4130210440
*西田龍雄『漢字文明圏の思考地図』PHP研究所、1984年。ISBN 4569212042


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
*[[東アジア史]]
*[[冊封]]
*[[冊封]]
*[[漢文]]
*[[日本における漢字]]
*[[日本における漢字]]
*[[韓国における漢字]]
*[[韓国における漢字]]
*[[越南における漢字]]
*[[漢字廃止論]]
*[[漢字廃止論]]
*[[国語国字問題]]
*[[CJK]]
*[[CJK]]
*[[CJKV]]
*[[CJKV]]

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[[en:Sinosphere]]

2006年11月5日 (日) 12:51時点における版

漢字文化圏かんじぶんかけん)とは「文化圏」概念の一つであり、

  1. 中国
  2. 中国皇帝からの冊封をうけた周辺諸民族のうち、漢文を媒体として、中国王朝の国家制度や政治思想をはじめとする文化、価値観を自ら移入し、発展させ、これを中国王朝とゆるやかに共有しながら政治的には自立を確保した地域

上記の双方をあわせた地域を指す。現在の地域区分で言うと「東アジア」と重なる部分が大きく、現存国家の中では、中国、ベトナム北朝鮮韓国日本などがここに含まれる。日本の歴史学者西嶋定生が提唱した「東アジア世界論(冊封体制論)」をきっかけとして定着し、歴史学における「文化圏」概念形成のモデルの一つとなった。

漢字文化圏の内包と外延

南北朝から宋代まで

歴史学上の概念としての漢字文化圏の外延を考える場合、西嶋「冊封体制論」が想定する南北朝時代から代にかけての地域秩序が第一の参照例となる。西嶋は「東アジア世界」を定義する指標として、冊封のほか、漢字儒教仏教律令制の四者を挙げており、これに該当する主な朝貢国には 新羅渤海、日本(倭国)がある。このほか律令制の導入が確認できない高句麗百済も加えてさしつかえないだろう。なお北宋以降は高麗が新羅に取って代わり、また新しく大越が加わる。

このほか、南詔及び大理については、その政治制度と文化の漢化度を漢籍資料だけから測ることは難しいが、南詔が唐の、大理が北宋の冊封を受けており、中国密教が流行していたこと、また移住した漢人が政治に関与していることは、日本や新羅、百済など典型的な「東アジア世界」の朝貢国と並行的である[1]。また西夏は、軍事的に北宋南宋を圧迫し、漢文を排除して独自の文字を制定、使用した[2]点で狭義の定義からは外れるが、一方いずれの国も皇帝を称し廟号を贈り、独自の元号を建てるなど、何らかの形で中国王朝にならった国制を取り入れている。これらをいずれも「グレーゾーン」に含めることは可能であろう。

明代以降

「冊封体制」が復活した代以降になると、漢字文化圏に入る要件を満たす国家(ないし地域)は現在まで続く安定性をほぼ確立しており、李氏朝鮮琉球、大越(後の越南)、そして日本がこれにあたる。なおこの時期には、日本が「冊封体制」から離れているほか、律令制が形骸化し、かわって科挙官僚制が発達するなど、西嶋の挙げた四つの要件はすでに必要十分ではなくなっていた。特徴的な文化要素として第一に挙げるべきは書記言語である。漢文の移入は漢字による自言語の文字化を促したため、日本のかな、朝鮮の口訣吏読[3]、ベトナムのチュノムなど、漢字から派生した独自の文字や用法が発達し、それぞれの国家の固有性を保障する書記言語が確立した[4]宗教面では土着化した仏教、道教などが、地域的な濃淡と混淆(シンクレティズム)を見せながら民衆に普及し、政治思想としての儒教とあわせて、圏内でゆるやかに共通する思惟の枠組みが定着するに至った。食事におけるの使用、喫の習慣、建築におけるの使用など、生活文化の中にも漢字文化圏を起源とし、これを中心に分布する特徴が見られる。

用語選定の要因

「文化圏」概念の設定と命名に際しては、地名による場合と、文化の主要な規定要因となる宗教名または書記言語名を冠する場合とがある。漢字文化圏の場合、「東アジア文化/文明圏」「儒教文化圏」などの用語も並行的に使われているが、「東アジア」という地域名称には具体的な意味内包がなく抽象的すぎること[5]、中国、日本、朝鮮において「儒教」の受容のされ方にそれぞれ違いがあることから、「漢字」が全体を平等にカバーする中立的かつ具体的な文化要素として適切と判断され、もっとも普及したものと考えられる[6]

近現代における漢字の存廃について

(詳細は関連項目及び各言語の記事をも参照)

漢字文化圏内に現存する各国の書記言語はいずれも漢文から発達したため、語彙には漢字由来のものが多く含まれ、音声言語にも流入している。現在、朝鮮語・韓国語とベトナム語では辞書に搭載されている語彙の7割以上、また日本語の語彙の5割以上が漢字語、つまり古典漢文に由来するか、そこから派生した語彙であるとされている。

また前近代の各国における公用の書記言語はいずれも漢文であったため、圏内の知識人同士では漢文による意志疎通が可能であった。江戸時代の日本には将軍が代わるたびに李氏朝鮮から朝鮮通信使が派遣されたが、江戸の儒学者たちは漢字による筆談で朝鮮の儒学者と儒学論争を交わすことを楽しみにしていたという。

ラテン文字の存在が知られて以降、漢字の学習の困難さや、「音声」を「音声」として表記するに不便な漢字の性質に対する不満から、漢字廃止論が唱えられるようになった。特に周辺地域では、中国からの文化的自立がナショナル・アイデンティティ確立の課題として浮上したため、漢字そのものが中国文化への従属の象徴と見なされ、漢字を廃止、または制限する政策が取られるようになった。たとえば現在のベトナム及び朝鮮・韓国における漢字そのものの使用頻度は決して高くない。ベトナムでは、フランス植民地支配下で普及したローマ字表記のクォックグー(国語) が一般に使用されており、高齢者や一部の専門家以外で漢字を理解する人は少ない。また韓国では教育用基礎漢字1800字が中等教育で教えられているが、一般には李氏朝鮮 (朝鮮王朝) の第4代国王世宗の時代に制定されたハングルが使用され、新聞等でも漢字はほとんど使われることはない。

一方、その他の漢字使用国でも、康熙字典体を簡略化するのかしないのか、するとしたらどのようにするのかは各国の事情に基づいてのみ行われ、日本漢字、簡体字繁体字の間に字体の異なりが生じた。

しかし、韓国・台湾中華人民共和国経済成長を遂げ、東アジアにおける先進国が日本だけとは言えなくなった現代、ヨーロッパ共同体にヒントを得た東アジア共同体の提唱にも刺激を受けて、東アジアの国際文字としての漢字の機能が見直され、漢字を廃止した国の中でも漢字復活を唱える意見が見られるようになっている。

脚注

  1. ^ この文の記述にあたっては林謙一郎「南詔・大理国の統治体制と支配」『東南アジア-歴史と文化-』28号、1999年、28-54ページを参考にした。
  2. ^ しかしこれらの文字の制字原理にはいずれも漢字からの影響が見られ、「擬似漢字」と見なすことも不可能ではない。
  3. ^ いわゆるハングルは漢字から派生した文字ではないが、その音節文字的特徴に漢字からの影響があることは明らかである。なお言語学者西田龍雄契丹文字からヒントを得た可能性を指摘している。
  4. ^ ただしこれらの書記言語が漢文に優越する公用文としての地位を確立するのは近代以降のことである。
  5. ^ 「東アジア」自体、政治的ニュアンスを帯びた「東亜」の代替として戦後に新しくつくりだされた用語であり、むしろ余分な意味内包をもたない中立的用語であることが求められたのである。
  6. ^ なお言語学者亀井孝は自分が「漢字文化圏」という用語を初めて使ったと述べているが、現在のところ資料的な裏付けは確認できない。

参考文献

  • 西嶋定生『中国古代国家と東アジア世界』東京大学出版会、1983年。 ISBN 4130210440
  • 西田龍雄『漢字文明圏の思考地図』PHP研究所、1984年。ISBN 4569212042

関連項目