「ティリンス」の版間の差分
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有名なティリンス宮殿のメガロン([[:en:Megaron]]。大広間)は大きな客間と主室を有している。主室は、右壁に玉座があり、中央には屋根を支える4つの[[ミノア文明|ミノス]]様式の木の柱と、その柱に囲まれた炉床がある。メガロンの3つの壁のうち2つは、後のアルカイック時代([[:en:Archaic period in Greece]]。[[紀元前750年]]〜[[紀元前480年]])に作られた[[ヘーラー]]神殿に取り込まれた。 |
有名なティリンス宮殿のメガロン([[:en:Megaron]]。大広間)は大きな客間と主室を有している。主室は、右壁に玉座があり、中央には屋根を支える4つの[[ミノア文明|ミノス]]様式の木の柱と、その柱に囲まれた炉床がある。メガロンの3つの壁のうち2つは、後のアルカイック時代([[:en:Archaic period in Greece]]。[[紀元前750年]]〜[[紀元前480年]])に作られた[[ヘーラー]]神殿に取り込まれた。 |
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ティリンスはミケーネ文明の終わり([[紀元前1150年]]頃)になって衰退し、[[2世紀]]に[[パウサニアス]]が訪れた時には既に寂れ果てていた<ref>パウサニアス『ギリシア案内記』II.25.8。</ref>。[[1884年]]から[[1885年]]にかけて、[[ハインリヒ・シュリーマン]]がティリンスを発掘し、現在もドイツ・アテネ考古学研究所(German Archaeological Institute at Athens)および[[ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク|ハイデルベルク大学]]による発掘が続けられている。 |
ティリンスはミケーネ文明の終わり([[紀元前1150年]]頃)になって衰退し、[[2世紀]]に[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]が訪れた時には既に寂れ果てていた<ref>パウサニアス『ギリシア案内記』II.25.8。</ref>。[[1884年]]から[[1885年]]にかけて、[[ハインリヒ・シュリーマン]]がティリンスを発掘し、現在もドイツ・アテネ考古学研究所(German Archaeological Institute at Athens)および[[ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク|ハイデルベルク大学]]による発掘が続けられている。 |
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ティリンスは[[1999年]]に[[世界遺産]]の1つに登録された。 |
ティリンスは[[1999年]]に[[世界遺産]]の1つに登録された。 |
2021年11月15日 (月) 10:36時点における版
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ティリンス丘砦の概観 | |||
英名 | Archaeological Sites of Mycenae and Tiryns | ||
仏名 | Sites archéologiques de Mycènes et de Tirynthe | ||
登録区分 | 文化遺産 | ||
登録基準 | (1), (2), (3), (4), (6) | ||
登録年 | 1999年 | ||
公式サイト | 世界遺産センター | ||
使用方法・表示 |
ティリンス(ティーリンス)(古代ギリシア語:Τίρυνς、現代ギリシャ語:Τίρυνθα、Tiryns)は、ギリシャのペロポネソス半島アルゴリス県にあるミケーネ文明の遺跡。ナフプリオの北に位置する。現代ギリシャ語から、ティリンタとも呼ばれる。
- 地図(Coordinates): 北緯37度35分58秒 東経22度47分59秒 / 北緯37.59944度 東経22.79972度
ティリンスは青銅器時代の始まりから7,000年の間、丘砦だった。絶頂期は紀元前1400年から紀元前1200年の間だった。最も注目に値するのは、宮殿、サイクロプ式(en:Cyclopean masonry。巨石積み)の地下道、それにホメロスに「強力に囲まれたるティリンス」」と添え名させた壁である。古代、ティリンスはヘラクレスにまつわる神話と結びついていて、いくつかの言い伝えでは、ティリンスがヘラクレスの生地であるとされている[1]。
有名なティリンス宮殿のメガロン(en:Megaron。大広間)は大きな客間と主室を有している。主室は、右壁に玉座があり、中央には屋根を支える4つのミノス様式の木の柱と、その柱に囲まれた炉床がある。メガロンの3つの壁のうち2つは、後のアルカイック時代(en:Archaic period in Greece。紀元前750年〜紀元前480年)に作られたヘーラー神殿に取り込まれた。
ティリンスはミケーネ文明の終わり(紀元前1150年頃)になって衰退し、2世紀にパウサニアスが訪れた時には既に寂れ果てていた[2]。1884年から1885年にかけて、ハインリヒ・シュリーマンがティリンスを発掘し、現在もドイツ・アテネ考古学研究所(German Archaeological Institute at Athens)およびハイデルベルク大学による発掘が続けられている。
脚注
- ^ Greek Mythology Link
- ^ パウサニアス『ギリシア案内記』II.25.8。