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[[2007年]][[7月2日]]、[[リーグ・アン|フランス]]の[[ル・マンUC]]と3年契約を結び、2007-08シーズンは同郷の[[ロマリッチ]]らとともにプレーした。[[2008年]]5月にはフランスの[[ASモナコ]]、[[パリ・サンジェルマンFC]]、[[オリンピック・マルセイユ]]、イングランドの[[アーセナルFC]]がジェルヴィーニョの動向を追っていると報道された。この報道によるとアーセナルは長い間ジェルヴィーニョを評価し続け、ベルギーでプレーしていた2006-07シーズンにもオファーが出されたとされた。ル・マンUCでは2シーズンで59試合に出場し9得点を記録した。また、[[サッカー日本代表|日本代表]]の[[松井大輔]]とも同僚であった。 |
[[2007年]][[7月2日]]、[[リーグ・アン|フランス]]の[[ル・マンUC]]と3年契約を結び、2007-08シーズンは同郷の[[ロマリッチ]]らとともにプレーした。[[2008年]]5月にはフランスの[[ASモナコ]]、[[パリ・サンジェルマンFC]]、[[オリンピック・マルセイユ]]、イングランドの[[アーセナルFC]]がジェルヴィーニョの動向を追っていると報道された。この報道によるとアーセナルは長い間ジェルヴィーニョを評価し続け、ベルギーでプレーしていた2006-07シーズンにもオファーが出されたとされた。ル・マンUCでは2シーズンで59試合に出場し9得点を記録した。また、[[サッカー日本代表|日本代表]]の[[松井大輔]]とも同僚であった。 |
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[[2009年]][[7月21日]]、移籍金600万ユーロで[[ |
[[2009年]][[7月21日]]、移籍金600万ユーロで[[リールOSC|リール]]と契約した<ref>{{Cite web|title=ジェルビーニョがリールに移籍|url=https://fr.uefa.com/insideuefa/news/newsid=853865.html|website=UEFA.com|date=2009-07-21|accessdate=2019-11-01}}</ref>。2010-11シーズンはリーグ5位タイとなる15得点と10アシストを挙げてリールの2冠に貢献し<ref name="ヴェンゲル">[http://www.goal.com/jp/news/2847/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB/2011/07/11/2569813/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A7%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%A5%91%E7%B4%84%E3%82%92%E8%AA%8D%E3%82%81%E3%82%8B ヴェンゲル、ジェルビーニョとの契約を認める] Goal.com 2011年7月11日</ref>、ベストイレブンに選ばれた。 |
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[[2011年]][[7月11日]]、移籍金推定1060万ポンドでアーセナルに移籍<ref name="ヴェンゲル"/>。しかし、2シーズンで45試合に出て9得点と結果は芳しくなかった。 |
[[2011年]][[7月11日]]、移籍金推定1060万ポンドでアーセナルに移籍<ref name="ヴェンゲル"/>。しかし、2シーズンで45試合に出て9得点と結果は芳しくなかった。 |
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2021年11月4日 (木) 22:16時点における版
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コートジボワール代表でのジェルヴィーニョ (2014年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ジェルヴェ・ロンベ・ヤオ・クアッシ Gervais Lombe Yao Kouassi | |||||
ラテン文字 | GERVINHO | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | コートジボワール | |||||
生年月日 | 1987年5月27日(37歳) | |||||
出身地 | アニャマ | |||||
身長 | 179cm[1] | |||||
体重 | 80kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | トラブゾンスポル | |||||
ポジション | FW | |||||
背番号 | 27 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1998-2002 | ASECミモザ | |||||
2002-2004 | トゥモディ | |||||
2004-2005 | ベフェレン | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2005-2007 | ベフェレン | 61 | (14) | |||
2007-2009 | ル・マン | 59 | (8) | |||
2009-2011 | リール | 67 | (28) | |||
2011-2013 | アーセナル | 46 | (9) | |||
2013-2016 | ローマ | 71 | (17) | |||
2016-2018 | 河北華夏幸福 | 29 | (4) | |||
2018-2021 | パルマ | 88 | (23) | |||
2021- | トラブゾンスポル | |||||
代表歴2 | ||||||
コートジボワール U-23 | ||||||
2007- | コートジボワール | 80 | (22) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2021年7月18日現在。 2. 2017年4月4日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ジェルヴィーニョ(Gervinho)こと、ジェルヴェ・ロンベ・ヤオ・クアッシ(Gervais Lombe Yao Kouassi、1987年5月27日 - )は、コートジボワール・アニャマ出身のサッカー選手。トラブゾンスポル所属。コートジボワール代表。ポジションはフォワード。
経歴
クラブ
アルナ・コネなどと同じアニャマ出身である。育成の名門であるASECミモザの下部組織に5年間所属し、ブラジル人監督からポルトガル語のジェルヴィーニョというニックネームを授かった[2]。その後、Ivorian Deuxieme Division Zone FourのToumodi FCに移籍し、トゥーレ兄弟(コロとヤヤ)の弟のイブラヒム・トゥーレとチームメイトになった。Toumodi FCで2シーズン過ごした後、ASECミモザと提携しており、コートジボワール人選手を多数受け入れているベルギー・ジュピラーリーグのKSKベフェレンに移籍した。
2007年7月2日、フランスのル・マンUCと3年契約を結び、2007-08シーズンは同郷のロマリッチらとともにプレーした。2008年5月にはフランスのASモナコ、パリ・サンジェルマンFC、オリンピック・マルセイユ、イングランドのアーセナルFCがジェルヴィーニョの動向を追っていると報道された。この報道によるとアーセナルは長い間ジェルヴィーニョを評価し続け、ベルギーでプレーしていた2006-07シーズンにもオファーが出されたとされた。ル・マンUCでは2シーズンで59試合に出場し9得点を記録した。また、日本代表の松井大輔とも同僚であった。
2009年7月21日、移籍金600万ユーロでリールと契約した[3]。2010-11シーズンはリーグ5位タイとなる15得点と10アシストを挙げてリールの2冠に貢献し[4]、ベストイレブンに選ばれた。
2011年7月11日、移籍金推定1060万ポンドでアーセナルに移籍[4]。しかし、2シーズンで45試合に出て9得点と結果は芳しくなかった。
2013年8月、リール時代の恩師、リュディ・ガルシア率いるASローマに移籍が決定[5]。移籍初年度の2013-14シーズンは、リーグ戦33試合9得点を記録した[6]。
2016年1月26日、中国サッカー・スーパーリーグの河北華夏幸福へ移籍することが発表された[7]。
2018年8月17日、パルマ・カルチョ1913にフリーで加入した[8]。9月22日のカリアリ戦では、自陣ペナルティエリア付近でクリアボールを拾うとそこからドリブルで82メートルを駆け抜けてゴールを決めた[9]。2018-19シーズンはリーグ戦30試合で11ゴールを挙げてチームの主力として活躍した[10]。2019年10月11日、契約を2022年まで延長した[10]。
代表
U-23コートジボワール代表ではキャプテンを務め、2007年9月の北京オリンピックアフリカ予選のU-23マリ代表戦(3-1)ではペナルティキックを決めて勝利に貢献した。同年11月、アンゴラ代表とカタール代表との親善試合のために初めてコートジボワールA代表に招集され、アンゴラ代表戦でA代表デビューした。
2008年にはガーナで開催されたアフリカネイションズカップ2008に背番号97で出場し、2試合に途中出場した。同年にはU-23コートジボワール代表として北京オリンピック本大会にも出場し、グループリーグ2戦目のU-23セルビア代表戦(3-2)で1得点2アシストの活躍を見せた[11]。
2009年11月14日、2010 FIFAワールドカップ・アフリカ予選のギニア代表戦でA代表初得点を含む2得点を決めた。2010年1月にはアフリカネイションズカップ2010に出場し、グループリーグのガーナ代表戦で得点した。同年6月には2010 FIFAワールドカップに出場するメンバーに選ばれ、ポルトガルとのグループリーグ初戦に82分間出場した。
2014 FIFAワールドカップでは、コートジボワール代表に招集され、グループステージの日本代表戦で逆転ゴールを挙げるなどの活躍をしたが、グループステージ敗退に終わった。
プレースタイル
左右両サイドのウィングでプレーし、時にはセンターフォワードも務める。スピード溢れるドリブルが持ち味で、同じセリエAでプレーする長友佑都は、「普通に走るのとドリブルのスピードが変わらない」とコメントする[12]。止まった状態から加速できるところが魅力で、どんな状況でも仕掛けることができる[要出典]。イタリア紙「ガゼッタ・デロ・スポルト」によると、2014年ブラジルW杯にて最大時速32.3kmを記録。2013年、サンシーロでは最大時速35kmというスピードを叩きだしたという[13]。現在、人類最速の男である陸上競技選手ウサイン・ボルトは100mを平均すると時速35.578 km。レース中の最高スピードは時速44kmにも及ぶ。
個人成績
クラブでの出場記録
- 2018年7月17日時点
クラブ | シーズン | 国内リーグ | 国内カップ[nb 1] | 欧州カップ[nb 2] | 通算 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
ベフェレン | 2005-06 | 32 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 32 | 6 |
2006-07 | 29 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 29 | 8 | |
通算 | 61 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 61 | 14 | |
ル・マンUC | 2007–08 | 26 | 2 | 4 | 4 | 0 | 0 | 30 | 6 |
2008–09 | 33 | 7 | 4 | 1 | 0 | 0 | 37 | 8 | |
通算 | 59 | 9 | 8 | 5 | 0 | 0 | 67 | 14 | |
リール | 2009–10 | 32 | 13 | 0 | 0 | 8 | 5 | 40 | 18 |
2010–11 | 35 | 15 | 8 | 3 | 10 | 0 | 53 | 18 | |
通算 | 67 | 28 | 8 | 3 | 18 | 5 | 93 | 36 | |
アーセナル | 2011-12 | 28 | 4 | 2 | 0 | 7 | 0 | 37 | 4 |
2012-13 | 18 | 5 | 2 | 0 | 6 | 2 | 26 | 7 | |
通算 | 46 | 9 | 4 | 0 | 13 | 2 | 63 | 11 | |
ローマ | 2013-14 | 33 | 9 | 4 | 3 | 0 | 0 | 37 | 12 |
2014-15 | 24 | 2 | 0 | 0 | 10 | 5 | 34 | 7 | |
2015-16 | 14 | 6 | 0 | 0 | 3 | 1 | 17 | 7 | |
通算 | 71 | 17 | 4 | 3 | 13 | 6 | 88 | 26 | |
河北華夏幸福 | 2016 | 18 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 18 | 3 |
2017 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | |
2018 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 | |
通算 | 29 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 29 | 4 | |
パルマ | 2018-19 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | |
総通算 | 333 | 81 | 24 | 11 | 44 | 13 | 401 | 105 |
代表
コートジボワール代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2007 | 1 | 0 |
2008 | 2 | 0 |
2009 | 5 | 2 |
2010 | 12 | 2 |
2011 | 7 | 3 |
2012 | 11 | 2 |
2013 | 10 | 4 |
2014 | 11 | 5 |
2015 | 12 | 2 |
2016 | 5 | 2 |
通算 | 76 | 22 |
代表でのゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2009年11月14日 | アビジャン | ギニア | 1 - 0 | 3 - 0 | 2010 FIFAワールドカップ・アフリカ予選 |
2. | 2 - 0 | |||||
3. | 2010年 | 1月15日カビンダ | ガーナ | 1 - 0 | 3 - 1 | アフリカネイションズカップ2010 |
4. | 2010年11月17日 | ポズナン | ポーランド | 1 - 1 | 3 - 1 | 親善試合 |
5. | 2011年 | 6月 5日コトヌー | ベナン | 0 - 3 | 2 - 6 | アフリカネイションズカップ2012予選 |
6. | 2 - 5 | |||||
7. | 2011年 | 9月 3日キガリ | ルワンダ | 0 - 5 | 0 - 5 | |
8. | 2012年 | 2月 8日リーブルヴィル | マリ | 0 - 1 | 0 - 1 | アフリカネイションズカップ2012 |
9. | 2012年 | 9月 8日アビジャン | セネガル | 2 - 2 | 4 - 2 | アフリカネイションズカップ2013予選 |
10. | 2013年 | 1月15日アブダビ | エジプト | 1 - 1 | 4 - 2 | 親善試合 |
11. | 3 - 1 | |||||
12. | 2013年 | 1月22日ルステンブルク | トーゴ | 2 - 1 | 2 - 1 | アフリカネイションズカップ2013 |
13. | 2013年 | 1月26日チュニジア | 1 - 0 | 3 - 0 | ||
14. | 2014年 | 6月 4日フリスコ | エルサルバドル | 0 - 1 | 1 - 2 | 親善試合 |
15. | 2014年 | 6月15日レシフェ | 日本 | 2 - 1 | 2 - 1 | 2014 FIFAワールドカップ |
16. | 2014年 | 6月19日ブラジリア | コロンビア | 2 - 1 | 2 - 1 | |
17. | 2014年 | 9月 6日アビジャン | シエラレオネ | 2 - 1 | 2 - 1 | アフリカネイションズカップ2015予選 |
18. | 2014年11月14日 | 1 - 4 | 1 - 5 | |||
19. | 2015年 | 2月 1日マラボ | アルジェリア | 3 - 1 | 3 - 1 | アフリカネイションズカップ2015 |
20. | 2015年 | 2月 4日バタ | コンゴ民主共和国 | 1 - 2 | 1 - 3 | |
21. | 2016年3月25日 | アビジャン | スーダン | 1 - 0 | 1 - 0 | アフリカネイションズカップ2017予選 |
22. | 2016年10月8日 | ブアケ | マリ | 3 - 1 | 3 - 1 | 2018 FIFAワールドカップ・アフリカ3次予選 |
タイトル
クラブ
- LOSCリール・メトロポール
- リーグ・アン : 2010-11
- クープ・ドゥ・フランス : 2010-11
個人
- リーグ・アン ベストイレブン : 2010-11
脚注
- 注釈
- 出典
- ^ “LOSC Lille profile”. LOSCリール・メトロポール公式サイト (2010年6月15日). 2010年6月15日閲覧。
- ^ http://www.fifa.com/mensolympic/news/newsid=851202.htm FIFA.com[リンク切れ]
- ^ “ジェルビーニョがリールに移籍”. UEFA.com (2009年7月21日). 2019年11月1日閲覧。
- ^ a b ヴェンゲル、ジェルビーニョとの契約を認める Goal.com 2011年7月11日
- ^ ジェルビーニョがローマに移籍 UEFA.com 2013年8月5日
- ^ “ローマFWジェルビーニョが2018年までとなる契約延長に合意”. サッカーキング (2014年9月16日). 2019年11月1日閲覧。
- ^ “ローマFWジェルヴィーニョの中国移籍が決定…年俸は6億円超か”. サッカーキング. (2016年1月27日) 2018年4月10日閲覧。
- ^ “GERVINHO È UN GIOCATORE DEL PARMA - Parma Calcio 1913” (イタリア語). Parma Calcio 1913. (2018年8月17日) 2018年11月26日閲覧。
- ^ “「やばすぎる」「笑うしかない」中国帰りジェルビーニョの“爆走ゴール”にマラドーナやウェアとの比較も”. サッカーダイジェストWeb (2018年9月24日). 2019年11月1日閲覧。
- ^ a b “ジェルビーニョがパルマとの契約を2022年まで延長!”. 超ワールドサッカー (2019年10月11日). 2019年11月1日閲覧。
- ^ Gervinho shines as Côte d'Ivoire beats Serbia 4-2 Beijing 2008 Olympic Games、2008年8月10日
- ^ 長友がジェルヴィーニョ警戒「普通の走りとドリブルの速さが同じ」 サッカーキング 2014年6月10日
- ^ ジェルビーニョ、ドリブルスピードは最大時速35Km! ボールを持てば人類最速ボルト以上? フットボールチャンネル 2014年10月13日