コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「金子満広」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Zoouenozoo (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
タグ: 差し戻し済み
8行目: 8行目:
|没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1924|11|17|2016|4|18}}
|没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1924|11|17|2016|4|18}}
|死没地 = {{JPN}}・[[東京都]][[新宿区]]
|死没地 = {{JPN}}・[[東京都]][[新宿区]]
|出身校 = 旧制[[鉄道教習所]]専門部
|出身校 = 旧制[[明治大学]]
|前職 = 公共企業体[[日本国有鉄道]]職員
|前職 = 公共企業体[[日本国有鉄道]]職員
|現職 = 党名誉役員
|現職 = 党名誉役員
39行目: 39行目:
*[[1924年]] [[群馬県]]生まれ。
*[[1924年]] [[群馬県]]生まれ。
*[[1942年]] 旧制中学校卒業。
*[[1942年]] 旧制中学校卒業。
*[[1944年]] [[運輸通信省 (日本)|運輸通信省]][[鉄道教習所]]卒業、国有鉄道の[[東日本旅客鉄道高崎支社|東京鉄道局]][[水上運転区|水上機関区]]に配属。
*[[1944年]] 明治大学入学。[[運輸通信省 (日本)|運輸通信省]][[鉄道教習所]]卒業、国有鉄道の[[東日本旅客鉄道高崎支社|東京鉄道局]][[水上運転区|水上機関区]]に配属。
*[[1946年]] [[国鉄労働組合]](国労)結成。金子は同組合員として労働運動に参加。
*[[1946年]] [[国鉄労働組合]](国労)結成。金子は同組合員として労働運動に参加。
*[[1949年]] 国労高崎支部長。同年、国鉄を解雇(本人著作ではレッドパージ)。以後は党務専任<ref name ="kanekotaidan1993">金子満広 著『ともに語り、ともにめざす』1993年、新日本出版社、冒頭著者紹介</ref>
*[[1949年]] 国労高崎支部長。同年、国鉄を解雇(本人著作ではレッドパージ)。以後は党務専任<ref name ="kanekotaidan1993">金子満広 著『ともに語り、ともにめざす』1993年、新日本出版社、冒頭著者紹介</ref>

2021年10月28日 (木) 01:47時点における版

金子満広
かねこ みつひろ
生年月日 (1924-11-17) 1924年11月17日
出生地 日本の旗 日本群馬県
没年月日 (2016-04-18) 2016年4月18日(91歳没)
死没地 日本の旗 日本東京都新宿区
出身校 旧制明治大学
前職 公共企業体日本国有鉄道職員
現職 党名誉役員
所属政党 日本共産党

選挙区旧東京8区→)
比例北関東ブロック
当選回数 6回
在任期間 1972年12月11日 - 1976年12月10日
1979年10月9日 - 1983年11月28日
1986年7月7日 - 1993年6月18日
1996年10月29日 - 2000年6月2日

在任期間 1982年7月31日 - 1990年7月13日
テンプレートを表示

金子 満広(かねこ みつひろ 1924年11月17日 - 2016年4月18日[1])は、日本政治家衆議院議員(通算6期)。日本共産党書記局長、副委員長を歴任した。

経歴

主な役職

  • 日本共産党統一戦線部長
  • 日本共産党大衆運動委員会委員長
  • 日本共産党国際委員会委員長
  • 日ソ友好関係団体役員
  • 日越友好関係団体役員
  • 世界平和協議会副議長

政策

著書

  • 『70年問題と統一戦線』
  • 『70年代と大衆運動』
  • 『反帝国際統一戦線―自主独立の理論と実践』、新日本出版社、1978年
  • 『原水爆禁止運動の原点』、新日本出版社、1984年

脚注

  1. ^ しんぶん赤旗』2016年4月19日付
  2. ^ a b 金子満広 著『ともに語り、ともにめざす』1993年、新日本出版社、冒頭著者紹介
  3. ^ 訃報 金子満広氏死去/元共産党書記局長」『四国新聞』2016年4月19日。2021年3月1日閲覧。
  4. ^ 金子満広氏が死去 元共産党書記局長」『日本経済新聞』2016年4月19日。2021年3月1日閲覧。
  5. ^ 第142回国会 法務委員会請願第2919号

関連項目