「ノート:仲哀天皇」の版間の差分
Koyasanfish (会話 | 投稿記録) 編集の要約なし タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
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了解致しました。では、放棄と取らせていただきます。私が提案したものに対してお時間を割いて頂き、ありがとうございました。 [[利用者:Koyasanfish|Koyasanfish]]([[利用者‐会話:Koyasanfish|会話]]) 2021年10月17日 (日) 03:48 (UTC) |
了解致しました。では、放棄と取らせていただきます。私が提案したものに対してお時間を割いて頂き、ありがとうございました。 [[利用者:Koyasanfish|Koyasanfish]]([[利用者‐会話:Koyasanfish|会話]]) 2021年10月17日 (日) 03:48 (UTC) |
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:まず「日本の歴史 中公文庫」はそこそこ有名な書籍なので、実在しないという話に違和感をおぼえまして適当に選んだ青森県の図書を検索したところ[https://www.plib.pref.aomori.lg.jp/cross/CrossServlet?LIST=1&LIB=250000&PAGE=1&SEARCHID=8]、[https://www.plib.pref.aomori.lg.jp/cross/CrossServlet?LIST=1&LIB=140000&PAGE=1&SEARCHID=8]実在と所蔵が確認できましたし、そして地元の大きめの自治体にある図書館の司書に問い合わせて所有と館内閲覧の許可をもらえましたので本日確認してきました。ついでに国史大辞典9(1988年)や他書籍でも言及を確認したので出典として追加しました。なぜこれらの簡単な調査やたんなる年度違いではないかという疑念や出典の確認もせずに不実在を提唱されるのか首をかしげてしまいます。また公平を期して実在説がないか調べましたが、専門書ではない小冊子のみに「最近の研究では次代の[[応神天皇]]への実在論がだされている」とありましたが仲哀天皇に関しては見つけることができませんでした。なお両者の実在、非実在を分ける根拠は新人物往来社の新視点日本の歴史2に平明な言葉で解説されていますのでこれを期に勉強して見て下さい。検証はさまざまな「知」に遭遇する楽しい作業ですよ。またウィキペディアの記事の充実のためには国会図書館で検索するだけで終わりとするのではなく、納本制度の実情を調べてそれだけで十分でないことを理解し、自分の足で調べて実際に百科事典作りに参加することが大切です。安易な手法で否定するだけ済ますことは質、量ともに最大の百科事典をつくるプロジェクトには害悪でしかなく、プロジェクト実現のために実際に行動して調べるなければ最低限の知見も身につきません。--[[利用者:Sikemoku|Sikemoku]]([[利用者‐会話:Sikemoku|会話]]) 2021年10月18日 (月) 04:58 (UTC) |
2021年10月18日 (月) 04:58時点における版
出典の明記について
出典の明記のタグを何度もはずす人がいますが、出典を明記することは記事の信頼性を高めることにつながり、好ましいことです。また、このタグはあくまで出典の明記を求めるタグであって、記事の信憑性を問題視するものではありませんので、誤解なきようお願いします。--薔薇騎士団 2009年5月29日 (金) 12:19 (UTC)
- マークアップを修正しました--220.104.246.96 2009年5月30日 (土) 13:07 (UTC)
- 西野凡夫氏の著書を出典としておきました。この方は欠史八代等の古代天皇が実在したという立場なのですが、文章中に「通説では・・・仲哀天皇の実在も否定されている」と通説の紹介がされていましたので、一応はこれで問題ないと思います。
- ただ、実在性が薄いとされる根拠なのですが、第1段落に書かれている内容はよく聞く根拠ですが、残念ながら出典はピンポイントでは見つけられませんでした。一方で、第2段落の諡号云々の方は私は聞いたことがありません。よって、テンプレートは残したままが良いと思います。--220.104.246.96 2009年5月30日 (土) 13:07 (UTC)
- 脚注ありがとうございます。脚注が表示されていなかったので、脚注節を追加しました。--薔薇騎士団 2009年5月31日 (日) 03:55 (UTC)
- 残念ながら「西野凡夫」という古代史の専門家を、いままで聞いたことがありません。しかしながら、西野凡夫「新説日本古代史」文芸社 1999年 p. 24 はamazonでも確認できました。ただ24-ページを見ることは出来ませんでしたが。この方の著書はこれ一冊なのでしょうか。このかたの日本古代史に関する学術的論文は他にもあるのでしょうか? 日本の古代史については「とんでも説」が多いですから、発行元が名の知れた出版社か、学術団体かであると信用がおけるのですが。
「第2段落の諡号云々の方は私は聞いたことがありません。」って、失礼ながらあなた様は日本の古代史に関する書物を読んだことがあるのでしょうか? 諡号については津田左右吉以来の説なので…、聞いたことがないというのはどういうことでしょうか。--Ussissi 2009年5月31日 (日) 01:25 (UTC)
- 残念ながら「西野凡夫」という古代史の専門家を、いままで聞いたことがありません。しかしながら、西野凡夫「新説日本古代史」文芸社 1999年 p. 24 はamazonでも確認できました。ただ24-ページを見ることは出来ませんでしたが。この方の著書はこれ一冊なのでしょうか。このかたの日本古代史に関する学術的論文は他にもあるのでしょうか? 日本の古代史については「とんでも説」が多いですから、発行元が名の知れた出版社か、学術団体かであると信用がおけるのですが。
- 差し戻しはノートでの議論の合意後でお願いします。ノートでの議論を否定するような編集は荒らしと見なされますので、ご注意ください。--薔薇騎士団 2009年5月31日 (日) 08:28 (UTC)
- 薔薇騎士団さんが、基礎情報の注釈を消去してあったので、元へ戻しただけで、ノートの議論とどこがどう関係あるのでしょうか。この基礎情報のことを初めから言っているのは私であり、あなた様はここのところを無視していたので議論には現れていませんでしたが。また、架空説の節では不十分だと思いますが、IP 220.104.246.96 さんによって通説だとの出典が示されましたね。あなた様は、この出典を示せと言っていたのではないのですか。さらに、まだ何か話し合うことがあるのでしょうか。実在性に疑問があるとの出典が示されたので、元へ戻しても荒らしにはならないと思いますし、ノートでの議論を否定するような編集ではないと思いますが、如何でしょうか。私が元へ戻した編集をわざわざリーバートした、あなた様の方こそが荒らしと見なされるでしょう。元へ戻してもよろしいでしょうか。--Ussissi 2009年5月31日 (日) 09:12 (UTC)
- 出典が追加されましたので、戻していいと思います。--薔薇騎士団 2009年6月3日 (水) 09:33 (UTC)
- 薔薇騎士団さんが、基礎情報の注釈を消去してあったので、元へ戻しただけで、ノートの議論とどこがどう関係あるのでしょうか。この基礎情報のことを初めから言っているのは私であり、あなた様はここのところを無視していたので議論には現れていませんでしたが。また、架空説の節では不十分だと思いますが、IP 220.104.246.96 さんによって通説だとの出典が示されましたね。あなた様は、この出典を示せと言っていたのではないのですか。さらに、まだ何か話し合うことがあるのでしょうか。実在性に疑問があるとの出典が示されたので、元へ戻しても荒らしにはならないと思いますし、ノートでの議論を否定するような編集ではないと思いますが、如何でしょうか。私が元へ戻した編集をわざわざリーバートした、あなた様の方こそが荒らしと見なされるでしょう。元へ戻してもよろしいでしょうか。--Ussissi 2009年5月31日 (日) 09:12 (UTC)
- 差し戻しはノートでの議論の合意後でお願いします。ノートでの議論を否定するような編集は荒らしと見なされますので、ご注意ください。--薔薇騎士団 2009年5月31日 (日) 08:28 (UTC)
現在、出典がないのにしつこく載せる人がいますがやめてください。 Koyasanfish(会話) 2021年10月15日 (金) 09:46 (UTC)
- 「Wikipedia:スタイルマニュアル」に書いてある通り、導入部は記事全体の要約ですので、本文中に出典が明記されていればそれで問題はありません。これは他の良質な記事等を見ればわかると思います。実在性が低いと考えられていることの出典は仲哀天皇#考証節に多数挙げられていますので、あなたの編集は出典を伴う記述の除去になっています。反対意見があるのであれば出典を伴って記述して下さい。--Xx kyousuke xx(会話) 2021年10月15日 (金) 10:17 (UTC)
WP:LEADの出典の項目に「記事本文が記事主題の内容に関して詳しい説明を行うのとは対照的に、導入部は一般的な内容を大まかにまとめて書かれるのが普通であるため、論争の対象とはならないような主題の導入部における情報に出典の提示を求められることはあまりないでしょう。一方で、論争の対象となるような主題の記事であったり、内容に説明が求められる、もしくは説明が求められそうな記述に対しては本文中に脚注を加えて出典を提示することが求められるでしょう。」とあり、今回の実在性の項目は「論争の対象となるような主題の記事」に当てはまるからです。よって無出典は削除します Koyasanfish(会話) 2021年10月15日 (金) 11:27 (UTC)
- つい先日あなたと全く同じ行動でブロック直前まで行った利用者がいました。どうぞご自愛ください。--Xx kyousuke xx(会話) 2021年10月15日 (金) 12:21 (UTC)
答えになってませんが。それって脅しですか? Koyasanfish(会話) 2021年10月15日 (金) 12:26 (UTC)
- 質問されていないので、答えるも何もありません。これが脅しに見えるほどやましいことがあるのであれば、編集に参加しない方があなたのためでしょう。--Xx kyousuke xx(会話) 2021年10月15日 (金) 12:35 (UTC)
質問ではなく、私の意見について回答して欲しいんですが Koyasanfish(会話) 2021年10月15日 (金) 12:47 (UTC)
西野凡夫について
出典として示されていたこの方の本は主に自費出版を手がける出版社の文芸社から出されていましたので、信頼できる情報源とは認めづらいと判断し、除去しました(自費出版は「自己公表された情報源」に例示があります)。付言しますと、西野凡夫という人物が執筆した学術論文はウェブ検索では発見出来ませんでした。また研究開発支援総合ディレクトリ(ReaD)や各種学会・研究会、研究機関などのウェブサイトにも登場しないことから推測するに、この人物はアカデミックな場で活動している研究者ではないと思われます。--Peachkiller 2009年12月12日 (土) 16:08 (UTC)
出典節への「一次資料」節の追加について
「Wikipedia:出典を明記する」「Wikipedia:スタイルマニュアル」を見ても出典節へわざわざ「一次資料」節を設けることとはなっていませんし、そのことが読者の理解の向上に資するとも考えられません。そもそも西暦200年前後と考えられている時代に関する、その後500年以上経過した西暦720年完成の日本書紀の記述が一次資料にあたるのかどうか判然としません。「年譜」欄の冒頭には「史料は、特記のない限り『日本書紀』に拠る」と記載されているわけですから、読者の誤解を招くことはないでしょうし、またそれは「Wikipedia:出典を明記する」で許容された表記方法であり、慣例として定着しているようです。以上の理由により出典節への「一次資料節」の追加を取り消し、「年譜」欄のタグを除去しました。--Xx kyousuke xx(会話) 2018年11月29日 (木) 09:19 (UTC)
- 「一次出典」節を設けたのは、本来「二次資料」によって記述されるべきであるものの、まとまった研究(二次資料)を探すことが困難であり、時間がかかるであろうということからの折衷的な意図で行ったものです。誤解を招くとかそういうことではなく、史実性に疑問のある人物について「岩波文庫 日本書紀」の原文に直接あたって執筆すると、この記事自体が編集者の判断による「二次資料」になってしまうということです。繰り返しますが、こういった歴史文献は二次資料では決してありえません。それならば、「エッダ」も「ユーカラ」もその神話に関する二次資料になってしまいます(なぜなら編集者による取捨選択が行われているから。)歴史分野における一次資料の乱用は度を超したものがあり、私としては問題提起も兼ねてこのような編集を行いました。--Ryo 625(会話) 2018年11月29日 (木) 14:01 (UTC)
- スタイルマニュアルを無視して独自の基準で「一次資料節」などを作られる方がおっしゃることには説得力に欠けるということをご自覚ください。多様な価値観を持った利用者の集合知により編集を行うわけですから一定の基準が必要であり、そのために方針・ガイドラインがあるのです。--Xx kyousuke xx(会話) 2018年11月29日 (木) 14:30 (UTC)
コメント 横から失礼します。一般論として言えば、「Wikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)#注釈と出典」に「提示した情報を整理するためにさらに細かく分けることもできます」と書かれているとおり、ガイドラインに即して脚注について一次資料と二次資料を分けるという判断はありうると思います。例えば、脚注ではないですが良質な記事の「百済」は、参考文献節を「原典資料」=一次資料(三国史記や日本書紀など)と「二次資料」に区分しています。日本書紀は古代史についての一次資料(史料)にあたるでしょうし、日本書紀の史料としての信頼性については古くから議論のあるところで、その内容は全面的に信用できるものではないです(津田左右吉#古代史研究とその評価、日本書紀#記述の信頼性)。そう考えると、『日本書紀』の記述については、研究者による二次資料が厳密な史料批判を経た上で事実と認めた部分に限って、年譜のような事実として記述するのが適切であると思います(WP:RS「ほとんどの一次資料となる題材は、適切に用いるための訓練が必要です。特に歴史についての主題を扱う場合がそうです。」)。本来「二次資料」によって記述されるべきものであり、将来的には置き換えていくべきという注意喚起の意味で、Ryo 625さん編集のような形にするというのはありうるような気がします。--伊佐坂安物(会話/履歴) 2018年11月29日 (木) 17:26 (UTC)
- コメント もちろん日本書紀の史料としての信頼性に議論があることや、本来史実については二次資料を基に記述すべきであることを前提としています。しかしながら「注意喚起」の意味で出典節を編集することは読者の無用な混乱を招くことになると考えますし、またおそらく永久に取れないであろう二次資料を求めるタグを貼るよりは、本文の編集で読者に伝えた方が理解の向上に資するものと考えます。--Xx kyousuke xx(会話) 2018年11月29日 (木) 22:01 (UTC)
- コメント タグを貼られる前の版を書いたものです。Xx kyousuke xxさんとも会話しましたが、古代天皇の情報は記紀に頼るしかなく、かつ全面的に信用できない伝説上の存在です。しかしながら神武天皇はほぼ完全に伝説、崇神天皇からは実在の可能性があり、応神天皇からは実在の可能性が高く、欽明天皇以降は実在性が確実、と段階的に実在性が上がっている現状もあり線引きも困難です。個人的には欽明天皇より前の天皇の記事には「伝説上の」を冒頭の「第〇〇代天皇」の前に付加するのが現実的かと思われます。が、ここまでくると当記事を超えた問題になります。どこで議論するべきなのでしょう。またRyo 625さんとも会話しましたが、この人はタグによるレッテル貼りとwikipediaルールを振りかざしたマウンティングが目的であり正しくタグの意味を理解しておらず対案や改善策を求めても「そのような義務はない」とつっぱねるような方です。ほかの編集者ともたびたび諍いを起こしています。--Wakadoshiyorill(会話) 2018年11月29日 (木) 22:48 (UTC)
コメント ひとまず冒頭で「記紀における天皇」と記載し、正当な理由で剥がされる見込みのない一次資料タグは全て外し、新たに議論タグを貼りました。全く断り書きが無いと半ば伝説上の人物が確実に実在したかのように書いてしまうことになるので「記紀における」としています。また記紀の記述を伝説と捉えるか、歴史資料として捉えるか、またどの程度信頼できるかの判断は学者でも確定できないものがwikipedia編集者に確定できるはずもないので「記紀における」と書いた時点で読者の判断に委ねる形にしたいと思います。この時点で歴史資料と断定しての一次資料タグは外れることになります。かといってこの扱いをいきなり確定させるのも問題なので議論タグを張ることとします。何ごとも無ければ議論タグは一か月ほどで外します。--Wakadoshiyorill(会話) 2018年11月30日 (金) 12:27 (UTC)
- コメント お二方ともお返事ありがとうございます。「利用者‐会話:Xx kyousuke xx#仲哀天皇記事について」、「利用者‐会話:Ryo 625#仲哀天皇記事の注釈について」も拝見しました。とりあえず、仲哀天皇の実在を前提として記事を書くのはよろしくなさそうだ、という認識は、Xx kyousuke xxさん、Wakadoshiyorillさん、Ryo 625さんのあいだで共通しているようですし、この点、私も同意見です。ちゃんと調べていないですが、おそらく学説的にも実在しないとする見解の方が有力でしょう。すでに指摘されているとおり、「日本書紀のみを出典として実在することを前提としての記述になって」(「[[「利用者‐会話:Xx kyousuke xx#仲哀天皇記事について」)いるように見える点は問題だと私も感じます。そういう観点からすると、「年譜」という節タイトルで、「史料は、特記のない限り『日本書紀』に拠る」という注意書きの書き方だと、仲哀天皇の実在を前提に日本書紀という史料からウィキペディア編集者が歴史的事実を認定して書いているようにも見えるかもしれません。「『日本書紀』の伝えるところによれば、以下のとおりである。」のような書き方の方が良いのではないでしょうか。また、校注付きで読み下しとはいえ、岩波文庫版だと現代語で書かれているわけではないでしょうし史料の誤読の可能性が排除できないため、使うのであれば講談社学術文庫か中央公論社から出てる現代語訳を使ったほうが良いようにも思います。「本文の編集で読者に伝えた方が理解の向上に資する」というのは、言われてみれば仰るとおりだと思いますし、私の方でも二次資料を探して加筆してみます。--伊佐坂安物(会話/履歴) 2018年11月30日 (金) 13:56 (UTC)修正--伊佐坂安物(会話/履歴) 2018年11月30日 (金) 14:00 (UTC)
- コメント 「『日本書紀』の伝えるところによれば、以下のとおりである。」という表現は自分の意図にもしっくりくるものであるため、さっそく反映いたしました。ありがとうございます。自分も現代語訳をあたってみます。ただ何分最古級の古典のため権威ある学者の訳でも誤読の可能性を排除できない側面があります。特に中央公論社版は要注意で、応神天皇が仲哀天皇の子ではなく五百城入彦皇子の子孫だろうという、明らかに学会で共通見解の無いトンデモを定説のように書いていたりします。--Wakadoshiyorill(会話)--Wakadoshiyorill(会話) 2018年11月30日 (金) 14:47 (UTC)
- 「『日本書紀』の伝えるところによれば、以下のとおりである。」と記載することに賛成します。またこの時代の他の天皇記事にも同様の問題がありそうです。--Xx kyousuke xx(会話) 2018年11月30日 (金) 23:57 (UTC)
- コメント 仲哀天皇以前の天皇に同様の記載を行いました。ひとまず、ぱっと見で実在性が高いと誤認されることはなくなったかと思います。--Wakadoshiyorill(会話) 2018年12月3日 (月) 12:59 (UTC)
- コメント 「『日本書紀』の伝えるところによれば、以下のとおりである。」という表現は自分の意図にもしっくりくるものであるため、さっそく反映いたしました。ありがとうございます。自分も現代語訳をあたってみます。ただ何分最古級の古典のため権威ある学者の訳でも誤読の可能性を排除できない側面があります。特に中央公論社版は要注意で、応神天皇が仲哀天皇の子ではなく五百城入彦皇子の子孫だろうという、明らかに学会で共通見解の無いトンデモを定説のように書いていたりします。--Wakadoshiyorill(会話)--Wakadoshiyorill(会話) 2018年11月30日 (金) 14:47 (UTC)
実在性について
この天皇に限り敏感にこだわる人が多い気がするのですがなぜでしょう--Wakadoshiyorill(会話) 2019年5月10日 (金) 16:06 (UTC)
- 質問 「[[4世紀]]後半に在位した[[大王 (ヤマト王権)|大王]]と推定されるが{{Sfn|武光|1997|p=13}}」([1])というふうにWakadoshiyorillさんは記述を変更されていましたが、出典を確認されましたか。また、現在の版でも「日本書紀』の仲哀天皇に関する記述を歴史的事実と認める戦前の研究」を「『日本書紀』を歴史的事実と認める研究」に変更していますが、([2])、これもどのような理由によるものでしょうか?--伊佐坂安物(会話/履歴) 2019年5月11日 (土) 01:40 (UTC)修正--伊佐坂安物(会話/履歴) 2019年5月11日 (土) 01:41 (UTC)
編集の論点について
実在説があり、論争があるものである以上非実在説が通説であるとは言えないと思われます。よってここでは「一般的に」は大言壮語であると思われます。 Koyasanfish(会話) 2021年10月15日 (金) 14:43 (UTC)
- 「通説」の意味をご存じないようです。ご自分で調べてください。--Xx kyousuke xx(会話) 2021年10月15日 (金) 15:28 (UTC)
- 非実在説が通説である出典はありません。それと私が通説の意味を知らないと決めつけるのはやめてください。WP:NPAより根拠なく相手を非難する行為は個人攻撃とみなされることもあります。--Koyasanfish(会話) 2021年10月15日 (金) 15:40 (UTC)
- 通説の意味を知っていたら、そういう的外れなことは言わないはずです。とにかく辞書等で調べることをお勧めします。--Xx kyousuke xx(会話) 2021年10月15日 (金) 23:38 (UTC)
- 非実在説が通説である出典はありません。それと私が通説の意味を知らないと決めつけるのはやめてください。WP:NPAより根拠なく相手を非難する行為は個人攻撃とみなされることもあります。--Koyasanfish(会話) 2021年10月15日 (金) 15:40 (UTC)
的外れと決めつけ、私が通説の意味を知らないと決めつけ、非難する行為は個人攻撃とみなされることがあります。 Koyasanfish(会話) 2021年10月16日 (土) 06:06 (UTC)
- また、非実在説が通説であるという出典はありません。よって削除するべきです。--Koyasanfish(会話) 2021年10月17日 (日) 00:47 (UTC)
- それは『国史大辞典8』吉川弘文堂 2003年 260ページ、『日本の歴史1』中公文庫 1986年 325ページから348ページ、『近江・大津になぜ都は営まれたのか?』大津市歴史博物館 P53およびP59を確認しての発言でしょうか?また以前みたいに、「オフラインのものなので検証できないから」出典として認められないとでも言うつもりですか?そろそろ方針熟読期間の設定が必要なのでしょうか。--Xx kyousuke xx(会話) 2021年10月17日 (日) 01:02 (UTC)
『「オフラインのものなので検証できないから」出典として認められないなどと一言も言っておりませが。』あと、通説であるというところに、『近江・大津になぜ都は営まれたのか?』大津市歴史博物館 P53およびP59は書かれておりませんが。 すべての本が収められてるとされている国会図書館にも「国史大辞典8吉川弘文堂 2003年」という本は所蔵されておりませんの検証できません。https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/search?lang=ja_JP&keyword=%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E5%A4%A7%E8%BE%9E%E5%85%B8&page=1&fromDate_facet=2000&toDate_facet=2003&searchCode=FACET 本当に「国史大辞典8 吉川弘文堂 2003年」を検証できるか怪しいんですが。 また、「日本の歴史1 中公文庫 1986年」もすべての本が収められてるとされている国会図書館に所蔵されておりませんので確認できません。 https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/search?lang=ja_JP&keyword=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B21&page=1&fromDate_facet=1985&toDate_facet=1986&searchCode=FACET 本当に「日本の歴史1 中公文庫 1986年」が検証可能か怪しいんですが。 Koyasanfish(会話) 2021年10月17日 (日) 02:01 (UTC)
というか、通説であるというところに「『国史大辞典8』吉川弘文堂2003年」という出典はありません。 Koyasanfish(会話) 2021年10月17日 (日) 02:09 (UTC)
- つまり確認しないで「出典がない」と言っているということですか。あなたのために繰り返し言いますが、どうぞご自愛ください。このままでは間違いなくあなたにとって不本意な結果になります。--Xx kyousuke xx(会話) 2021年10月17日 (日) 02:24 (UTC)
追記 また、中公文庫のホームページにも1986年に出版された日本の歴史1というものはありませんが。 https://www.chuko.co.jp/search.php?name3=&name4=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%EF%BC%91&x=28&y=11 Koyasanfish(会話) 2021年10月17日 (日) 02:23 (UTC)
「つまり確認しないで「出典がない」と言っているということですか。」何度も言いますが、そもそも入手手段が無いので検証できないんですが。 Koyasanfish(会話) 2021年10月17日 (日) 02:34 (UTC)
- それでは言い方を変えます。「検証できない」から「出典がない」と言っているということですか?それは「Wikipedia:検証可能性」を読んでいない、あるいは読んでも理解できないと言っているようなものですが、それでよろしいですか?--Xx kyousuke xx(会話) 2021年10月17日 (日) 02:53 (UTC)
- 国史大辞典はオンラインでも見れますが、仲哀天皇に対しては、
>仲哀天皇は、日本武尊と神功皇后の説話を皇室系譜上に位置づけるため、後次的に歴代に加えられた存在である可能性が強い。
ってあります。
少なくとも、歴史学会や考古学会では、仲哀天皇は実在は否定されてるみたいですが、少なくとも、学会に所属してるまともな歴史学者は。 仲哀天皇が居た説は、自称歴史学者みたいな、そもそも古代史を学んだのか?っていうような人が多いように思いますよ。--113.36.86.58 2021年10月17日 (日) 02:37 (UTC)
なので、仲哀天皇は非実在が濃厚である。って説明で良いと思います。--113.36.86.58 2021年10月17日 (日) 02:41 (UTC)
「少なくとも、歴史学会や考古学会では、仲哀天皇は実在は否定されてるみたいですが、少なくとも、学会に所属してるまともな歴史学者は。 仲哀天皇が居た説は、自称歴史学者みたいな、そもそも古代史を学んだのか?っていうような人が多いように思いますよ。-」それの根拠となる出典はなんですか?現状ない以上「仲哀天皇は、日本武尊と神功皇后の説話を皇室系譜上に位置づけるため、後次的に歴代に加えられた存在である可能性が強い。」と言うのは国史大辞典の著者が支持しているというだけで、通説であるとまではいかないと思います。また、「非実在が濃厚である」を書くとしても「国史大辞典の著者にとって非実在が濃厚である」と書くべきです。 Koyasanfish(会話) 2021年10月17日 (日) 02:50 (UTC)
- 繰り返しますが、先日ブロック寸前まで行った方と全く同じ論法ですね。まずは「ノート:欠史八代」をご覧ください。学会の事情を知らずに首を突っ込むのはやめた方がいいと思います。それとこれも繰り返しますが、「通説」の意味を理解されていないようです。恥の上塗りをする前にきちんと調べた方がいいと思いますよ。--Xx kyousuke xx(会話) 2021年10月17日 (日) 03:00 (UTC)
通説であると記述したければ何度も言いますが、通説であるというのとの証拠となる出典が必要です。しかし、ノートで貴方が言った出典のうち2つは通説である出典として提示されたものでないものです。また、もう一つは通説である出典として提示されていますが、国会図書館でも入手不可で出版社にも無く、、検証不可能です。 「「通説」の意味を理解されていないようです。恥の上塗りをする前にきちんと調べた方がいいと思いますよ。」これ以上私を私が通説の意味を知らないと決めつけて非難するのは個人攻撃とみなします。(WP:NPAより根拠なく相手を非難する行為は個人攻撃)また、恥となるようなことをしたことはありません。 Koyasanfish(会話) 2021年10月17日 (日) 03:08 (UTC)
- いろいろと間違えているようですが、それを一つ一つ指摘して教えてあげる義務もありませんので、自分で学習してください。--Xx kyousuke xx(会話) 2021年10月17日 (日) 03:15 (UTC)
- Koyasanfishさんは、ムー大陸やアトランティス文明とか異星人のUFOとかも、信じてるんですか?某オカルト雑誌とかでは、普通にあるみたいに書いてますよね?
でも、たぶん世界中の大多数の人は信じてないですよね?でも、あなたは、それを信じてる人にどうやって、おそらく非実在である事を説明するんですか?もしかして、実在するよ。とか、言うんですか? 何でもかんでも実在する可能性はあるよって人ですか?--113.36.86.58 2021年10月17日 (日) 03:15 (UTC)
「Koyasanfishさんは、ムー大陸やアトランティス文明とか異星人のUFOとかも、信じてるんですか?某オカルト雑誌とかでは、普通にあるみたいに書いてますよね?」私が言いたいのは通説である証拠である出典を出してほしいということです。通説であるという証拠がないのに通説であると書くのは独自研究のおそれがあります。 Koyasanfish(会話) 2021年10月17日 (日) 03:17 (UTC)
「いろいろと間違えているようですが、それを一つ一つ指摘して教えてあげる義務もありませんので、自分で学習してください。」議論を放棄ということでよろしいですか? Koyasanfish(会話) 2021年10月17日 (日) 03:17 (UTC)
- 議論をするしない以前に、最低限の知見を共有できない方と議論するのは不可能ということです。放棄ととっていただいても結構です。そこまで手間暇かける義務も義理もありません。--Xx kyousuke xx(会話) 2021年10月17日 (日) 03:46 (UTC)
了解致しました。では、放棄と取らせていただきます。私が提案したものに対してお時間を割いて頂き、ありがとうございました。 Koyasanfish(会話) 2021年10月17日 (日) 03:48 (UTC)
- まず「日本の歴史 中公文庫」はそこそこ有名な書籍なので、実在しないという話に違和感をおぼえまして適当に選んだ青森県の図書を検索したところ[3]、[4]実在と所蔵が確認できましたし、そして地元の大きめの自治体にある図書館の司書に問い合わせて所有と館内閲覧の許可をもらえましたので本日確認してきました。ついでに国史大辞典9(1988年)や他書籍でも言及を確認したので出典として追加しました。なぜこれらの簡単な調査やたんなる年度違いではないかという疑念や出典の確認もせずに不実在を提唱されるのか首をかしげてしまいます。また公平を期して実在説がないか調べましたが、専門書ではない小冊子のみに「最近の研究では次代の応神天皇への実在論がだされている」とありましたが仲哀天皇に関しては見つけることができませんでした。なお両者の実在、非実在を分ける根拠は新人物往来社の新視点日本の歴史2に平明な言葉で解説されていますのでこれを期に勉強して見て下さい。検証はさまざまな「知」に遭遇する楽しい作業ですよ。またウィキペディアの記事の充実のためには国会図書館で検索するだけで終わりとするのではなく、納本制度の実情を調べてそれだけで十分でないことを理解し、自分の足で調べて実際に百科事典作りに参加することが大切です。安易な手法で否定するだけ済ますことは質、量ともに最大の百科事典をつくるプロジェクトには害悪でしかなく、プロジェクト実現のために実際に行動して調べるなければ最低限の知見も身につきません。--Sikemoku(会話) 2021年10月18日 (月) 04:58 (UTC)