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「呂氏春秋」の版間の差分

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『'''呂氏春秋'''』(りょししゅんじゅう、{{zh2 | hp=Lüshi chūnqiū| w=Lü-shih ch'un-ch'iu| first=t}})は、[[中国]]の[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]末期、[[秦]]の[[呂不韋]]が[[食客]]を集めて共同編纂させた書物。『'''呂覧'''』(りょらん)ともいう。秦の[[始皇帝|始皇]]8年([[紀元前239年]])に完成した。
『'''呂氏春秋'''』(りょししゅんじゅう、{{Lang-zh | hp=Lüshi chūnqiū| w=Lü-shih ch'un-ch'iu| first=t}})は、[[中国]]の[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]末期、[[秦]]の[[呂不韋]]が[[食客]]を集めて共同編纂させた書物。『'''呂覧'''』(りょらん)ともいう。秦の[[始皇帝|始皇]]8年([[紀元前239年]])に完成した。


== 内容 ==
== 内容 ==

2021年9月28日 (火) 09:18時点における版

呂氏春秋』(りょししゅんじゅう、拼音: Lüshi chūnqiū; ウェード式: Lü-shih ch'un-ch'iu)は、中国戦国時代末期、呂不韋食客を集めて共同編纂させた書物。『呂覧』(りょらん)ともいう。秦の始皇8年(紀元前239年)に完成した。

内容

十二紀・八覧・六論から構成され、26巻160篇。その思想は儒家道家を中心としながらも名家法家墨家農家陰陽家など諸学派の説が幅広く採用され、雑家の代表的書物とされる。

天文暦学音楽理論、農学理論など自然科学的な論説が多く見られ、自然科学史においても重要な書物とされる。

書名の由来は、1年12カ月を天人相関説(時令説)をもとに春夏秋冬に分けた十二紀から『呂氏春秋』、八覧から『呂覧』とする。

なお、呂氏春秋完成後に秦の相国である呂不韋が一般公開し、一字でも添削ができれば千金を与えると公言した、これが「一字千金」の由来とされている。

受容

前近代の注釈書としては、後漢の高誘中国語版注、清代の畢沅校注(『呂氏春秋新校正』)がある。日本では、江戸時代の荻生徂徠『読呂氏春秋』[1]戸崎淡園『読呂氏春秋補』[2]蒲坂青荘『畢校呂氏春秋補正』[2]片山兼山門下(山子学派)の『呂氏一適』『呂子考』[1]、幕末の森鉄之助の注[1]、などがある。

ヘルマン・ヘッセは『ガラス玉遊戯』で大楽篇の音楽論を引用している[2]

現代語訳

日本語

日本語以外

  • John Knoblock and Jeffrey Riegel, The Annals of Lue Buwei, Stanford University Press, 2001.
  • 翟江月, 『呂氏春秋(共3冊)(漢英対照)』(大中華文庫), 広西師範大学出版社, 2005. 原文と現代中国語訳および英訳を見開きで載せている。

関連項目

  • 裸民 - に関連した故事が本書に載る。

外部リンク

脚注

  1. ^ a b c 土屋紀義・佐々木研太『江戸時代の呂氏春秋学:山子学派と森鐵之助・新出注釈二種』中国書店、2017年。ISBN 978-4903316581 
  2. ^ a b c 清水洋子 著「『呂氏春秋』」、湯浅邦弘 編『教養としての中国古典』ミネルヴァ書房、2018年。ISBN 9784623082759