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「ユタとふしぎな仲間たち」の版間の差分

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『'''ユタと不思議な仲間たち'''』(ゆたとふしぎななかまたち)は[[三浦哲郎]]による小説。1971年に[[新潮少年文庫]](児童図書)の書き下ろし長編童話して出版された
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『'''ユタと不思議な仲間たち'''』(ゆたとふしぎななかまたち)は[[三浦哲郎]]小説を原作するテレビドラマおよびオリジナル・ミュージカル作品


[[1974]][[本放送協会|NHK]]によりテレビドラマ化され、[[1977]][[劇団四季]]によってじめて[[ミュージカル]]として上演された。
1981年に同タイトルで毎新聞社からも出版され、1984年には新潮文庫として刊行された。


1974年、テレビドラマ(NHK)が放送された他、1977年には[[劇団四季]]の脚色・演出によるオリジナル・ミュージカルが日本で初めて上演された。
登場人物やストーリーは原作と異なる点が多い。原作については別記事「'''ユタとふしぎな仲間たち (小説)'''」を参照のこと。

→'''テレビドラマとミュージカルについては本記事内の別節を参照のこと。'''

== あらすじ ==
小学生六年生の勇太(ユタ)は、母親の生まれ故郷である東北の山間にある温泉村の分教場に転校してきたが、村の子供たちに馴染めず退屈で孤独な日々を過ごしていた。ある日、温泉宿の銀林荘で働く寅吉じいさんから[[座敷童子|座敷わらし]]の伝説を教えられ、興味を抱いたユタは、満月の晩、座敷わらしが出るといわれる宿の離れに一人で泊まることに。座敷わらしと出会い、仲間として交友を深めるうちにユタは明るく元気に成長していく。

== 登場人物 ==
'''・ユタ(水島勇太)'''

 小学校六年生の主人公。父親を海難事故で失い、東京から母親の実家がある東北の温泉村にある小さな分教場に転校してきた気弱な少年。村の子供に比べると小柄で、肌の色が白いことから「東京のもやしっこ」と呼ばれている。

'''・ユタの母親(水島妙子)'''

 親類が営む温泉宿「銀林荘」で帳簿つけの仕事をしている。

'''・高野クルミ先生'''

 村の分教場で小学生の低学年と高学年の2クラスをかけもちで教えている。

'''・高野マモル先生'''

 妻のクルミ先生と2人で分教場で教師をしている。中学生クラスを担当。

'''・寅吉じいさん'''

 銀林荘に雇われている老人。温泉を沸かすための薪割りをしている。

'''・おたねさん''' 

 銀林荘の女中頭

'''・小夜子'''  

 ユタと同じ教室で学んでいる小学校五年生の女の子。継母の手伝いでいつも赤ん坊(弟)をおんぶして学校に通っている。

'''・大作'''

 中学三年生。分教場で一番の大男で、鼻の下にうっすら髭が生えている。ユタと教室は別だが、全校生徒のリーダーとしてにらみをきかせている。

'''・一郎'''  

 村長の息子で、ユタの同級生。ユタをあまり快く思っていない。

'''・座敷わらし'''

 出生まもなく親に殺され名前がないことから、自分が捨てられた場所の通り名(=かっこ内)をもじって呼び合っている。全員が男で、年長者のペドロを親分に共同生活を送っている。

·        ペドロ  (=ペン泥沼)元禄8(1696)年生まれ 

·        モンゼ  (=門前)  宝暦5(1756)年生まれ

·        ダンジャ (=檀沢)  天明3(1784)年生まれ

·        ゴンゾ  (=権三)  天保4(1834)年生まれ

·        ヒノデロ (=日の出楼)明治35(1902)年生まれ

·        ジュノメェ(=十の前) 出生年不明

·        トガサ  (=斗ケ沢) 出生年不明

·        ジンジョ (=地蔵)  出生年不明

·        ジュモンジ(=十文字) 出生年不明


== ストーリー ==
東北ののどかな村に、東京からの転校生「勇太(ユタ)」がやって来る。しかし、新しい環境になじめず、「大作」を始めとする村の子供達からいじめられる毎日。そんなユタを見守っていた「寅吉爺さん」はある日、村に伝わる「座敷わらし」の話をする。ユタは意を決して言い伝え通りに、満月の夜に大黒柱のある古い家に一人で泊まることに。そこへ座敷わらしが姿を現す。座敷わらしと友達になり時間を共有することで、生きたくても生きられなかった座敷わらし達の思いに触れ、ユタは少しずつたくましくなっていく。座敷わらし達と体も鍛え、村の子供達に受け入れられていくユタ。しかし、仲間ができたユタにやがて別れの時がやって来る。


== テレビドラマ ==
== テレビドラマ ==
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[[日本放送協会|NHK]]『[[少年ドラマシリーズ]]』の1つとして、[[1974年]][[5月6日]]-[[5月8日|8日]]に放送された。1話25分・全3話。フィルム作品。
[[日本放送協会|NHK]]『[[少年ドラマシリーズ]]』の1つとして、[[1974年]][[5月6日]]-[[5月8日|8日]]に放送された。1話25分・全3話。フィルム作品。全編を1時間に再編集したものが昭和49年度[[芸術祭 (文化庁)|芸術祭]]に出品され、テレビ部門ドラマの部優秀賞を受賞している。この再編集版は出品時と受賞時に再放送された。なお現存する映像はこの再編集版のみ。[[2001年]][[11月18日]]には[[NHKアーカイブス]]で再放送された

全編を1時間に再編集したものが昭和49年度[[芸術祭 (文化庁)|芸術祭]]に出品され、テレビ部門ドラマの部優秀賞を受賞している。この再編集版は出品時と受賞時に再放送された。なお現存する映像はこの再編集版のみ。

[[2001年]][[11月18日]]には[[NHKアーカイブス]]で再放送された。


舞台は番組中に固有名詞は登場しないものの、岩手県北部の[[金田一温泉]]。この山村にも開発の波が押し寄せ、座敷わらしが去っていく。「東京と青森を結ぶ大きな道路を造ってる」のセリフがあり、[[八戸自動車道]]の工事が始まった時期でもある。
舞台は番組中に固有名詞は登場しないものの、岩手県北部の[[金田一温泉]]。この山村にも開発の波が押し寄せ、座敷わらしが去っていく。「東京と青森を結ぶ大きな道路を造ってる」のセリフがあり、[[八戸自動車道]]の工事が始まった時期でもある。

2021年9月23日 (木) 15:19時点における版

ユタと不思議な仲間たち』(ゆたとふしぎななかまたち)は三浦哲郎による小説。1971年に新潮少年文庫(児童図書)の書き下ろし長編童話として出版された。

1981年に同タイトルで毎日新聞社からも出版され、1984年には新潮文庫として刊行された。

1974年、テレビドラマ(NHK)が放送された他、1977年には劇団四季の脚色・演出によるオリジナル・ミュージカルが日本で初めて上演された。

テレビドラマとミュージカルについては本記事内の別節を参照のこと。

あらすじ

小学生六年生の勇太(ユタ)は、母親の生まれ故郷である東北の山間にある温泉村の分教場に転校してきたが、村の子供たちに馴染めず退屈で孤独な日々を過ごしていた。ある日、温泉宿の銀林荘で働く寅吉じいさんから座敷わらしの伝説を教えられ、興味を抱いたユタは、満月の晩、座敷わらしが出るといわれる宿の離れに一人で泊まることに。座敷わらしと出会い、仲間として交友を深めるうちにユタは明るく元気に成長していく。

登場人物

・ユタ(水島勇太)

 小学校六年生の主人公。父親を海難事故で失い、東京から母親の実家がある東北の温泉村にある小さな分教場に転校してきた気弱な少年。村の子供に比べると小柄で、肌の色が白いことから「東京のもやしっこ」と呼ばれている。

・ユタの母親(水島妙子)

 親類が営む温泉宿「銀林荘」で帳簿つけの仕事をしている。

・高野クルミ先生

 村の分教場で小学生の低学年と高学年の2クラスをかけもちで教えている。

・高野マモル先生

 妻のクルミ先生と2人で分教場で教師をしている。中学生クラスを担当。

・寅吉じいさん

 銀林荘に雇われている老人。温泉を沸かすための薪割りをしている。

・おたねさん 

 銀林荘の女中頭

・小夜子  

 ユタと同じ教室で学んでいる小学校五年生の女の子。継母の手伝いでいつも赤ん坊(弟)をおんぶして学校に通っている。

・大作

 中学三年生。分教場で一番の大男で、鼻の下にうっすら髭が生えている。ユタと教室は別だが、全校生徒のリーダーとしてにらみをきかせている。

・一郎  

 村長の息子で、ユタの同級生。ユタをあまり快く思っていない。

・座敷わらし

 出生まもなく親に殺され名前がないことから、自分が捨てられた場所の通り名(=かっこ内)をもじって呼び合っている。全員が男で、年長者のペドロを親分に共同生活を送っている。

·        ペドロ  (=ペン泥沼)元禄8(1696)年生まれ 

·        モンゼ  (=門前)  宝暦5(1756)年生まれ

·        ダンジャ (=檀沢)  天明3(1784)年生まれ

·        ゴンゾ  (=権三)  天保4(1834)年生まれ

·        ヒノデロ (=日の出楼)明治35(1902)年生まれ

·        ジュノメェ(=十の前) 出生年不明

·        トガサ  (=斗ケ沢) 出生年不明

·        ジンジョ (=地蔵)  出生年不明

·        ジュモンジ(=十文字) 出生年不明


テレビドラマ

ユタとふしぎな仲間たち
ジャンル テレビドラマ
原作 三浦哲郎
脚本 早坂暁
出演者 熊谷俊哉
製作
制作 NHK
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1974年5月6日 - 5月8日
放送時間月 - 水曜18:05 - 18:30
放送枠少年ドラマシリーズ
放送分25分
回数3
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NHK少年ドラマシリーズ』の1つとして、1974年5月6日-8日に放送された。1話25分・全3話。フィルム作品。全編を1時間に再編集したものが昭和49年度芸術祭に出品され、テレビ部門ドラマの部優秀賞を受賞している。この再編集版は出品時と受賞時に再放送された。なお現存する映像はこの再編集版のみ。2001年11月18日にはNHKアーカイブスで再放送された。

舞台は番組中に固有名詞は登場しないものの、岩手県北部の金田一温泉。この山村にも開発の波が押し寄せ、座敷わらしが去っていく。「東京と青森を結ぶ大きな道路を造ってる」のセリフがあり、八戸自動車道の工事が始まった時期でもある。

スタッフ

キャスト

映像ソフト

ミュージカル

1977年劇団四季により「こどものためのミュージカル・プレイ」としてミュージカル化。当初のタイトルは『ユタとふしぎな仲間たち』。

1984年に『ユタ-座敷わらしと少年の不思議なミュージカル-』というオリジナルミュージカルとなる。

その後、台本、音楽の再検討、振付け、装置、衣装などの一新、南部弁の再取材、更にレーザーやフライングなどを加えて改良され、1989年に『ユタと不思議な仲間たち』と改題、現在に至る。現在でも再演時に演出などの変更が行われている。

2011年5月29日東日本大震災で都内に避難している被災者35組85名を無料招待[3]。また、7月下旬から8月下旬にかけて、岩手県宮城県福島県で地元の子供たちを無料招待して巡演を行った[4][5]

スタッフ

キャスト

(注意:キャスティングのみで実際に出演されていない俳優も含む)

ミュージカル・ナンバー

  • オーヴァーチュア
  • 座敷わらしはよ
  • 信じてみよう
  • おれたちゃペドロ一家
  • 生きているってすばらしい
  • 友だちはいいもんだ(ゴダイゴの同名楽曲とは異曲)
  • 授業のうた
  • 予言は当たるのかな
  • ソウル・ギダユウ
  • 見果てぬ夢
  • 鐘の音の輪にのって
  • ユタ!輝け!
  • 夢をつづけて

「友だちはいいもんだ」と「生きているってすばらしい」は当時劇団四季に所属していた俳優陣による歌唱で、2曲収録でシングル発売(東芝EMI TP-10367)された。A面曲の「友だちはいいもんだ」は鹿賀丈史市村正親久野綾希子末次美沙緒によるユニット「フォー・シーズンズ」(同名のロックグループとは無関係)が歌唱しており、B面曲の「生きているってすばらしい」は菱谷紘二飯野おさみ(コーラス:フォー・シーズンズ)が歌唱している。

「友だちはいいもんだ」はトランザムの歌で、NHK『みんなのうた』でも使用された(初放送月:1977年12月)。その他、1979年若子内悦郎2008年Baby Boo(アルバム『ありがとう』収録)、2010年小原孝(アルバム『小原孝のピアノ詩集〜愛の讃歌』収録)、2011年クレイジーケンバンド(シングル『いっぱい いっぱい』カップリング)によりカバーされた。子供向けのオムニバス盤などでは、ひばり児童合唱団杉並児童合唱団、「宮内良、小板橋えりこ、ヤング・フレッシュ」などによる歌唱もある。

エンディングに歌われる「夢をつづけて」は1989年森進一によりカバーされた。

上演記録

受賞履歴

外部リンク

脚注

  1. ^ 「綴込特別付録 宇宙船 YEAR BOOK 2002」『宇宙船』Vol.100(2002年5月号)、朝日ソノラマ、2002年5月1日、169頁、雑誌コード:01843-05。 
  2. ^ NHK少年ドラマシリーズ”. 2014年8月10日閲覧。
  3. ^ 【続報】『ユタと不思議な仲間たち』東北応援プロジェクト始動――都内避難者をご招待いたしました(劇団四季、2011年5月29日)
  4. ^ 劇団四季が岩手、宮城、福島の3県でミュージカルを上演 地元の子どもたちを招待(シアターガイド、2011年5月30日)
  5. ^ その時の舞台裏の様子をMBSテレビのドキュメンタリー番組『情熱大陸』のカメラが密着し、放送された。