「レイ・チャールズ」の版間の差分
タグ: 巻き戻し |
|||
85行目: | 85行目: | ||
*トゥギャザー・アゲイン - ''Together Again'' (1966) |
*トゥギャザー・アゲイン - ''Together Again'' (1966) |
||
*イン・ザ・ヒート・オブ・ザ・ナイト - ''In The Heat of The Night'' (1967) - 『[[夜の大捜査線]]』の主題歌。 |
*イン・ザ・ヒート・オブ・ザ・ナイト - ''In The Heat of The Night'' (1967) - 『[[夜の大捜査線]]』の主題歌。 |
||
*[[イエスタデイ]] - ''Yesterday'' (1967) - [[ビートルズ]]のカバー曲。 |
*[[イエスタデイ (ビートルズの曲)|イエスタデイ]] - ''Yesterday'' (1967) - [[ビートルズ]]のカバー曲。 |
||
*[[エリナー・リグビー|エレノア・リグビー]] - ''Eleanor Rigby'' (1968) - ビートルズのカバー曲。 |
*[[エリナー・リグビー|エレノア・リグビー]] - ''Eleanor Rigby'' (1968) - ビートルズのカバー曲。 |
||
*アメリカ・ザ・ビューティフル - ''America The Beautiful'' (1976) |
*アメリカ・ザ・ビューティフル - ''America The Beautiful'' (1976) |
2021年9月20日 (月) 13:40時点における版
レイ・チャールズ | |
---|---|
グラミー賞授賞式でのパフォーマンス(1980年) | |
基本情報 | |
出生名 | レイ・チャールズ・ロビンソン[1] |
別名 | レイ・ロビンソン |
生誕 | 1930年9月23日 |
出身地 | アメリカ合衆国 ジョージア州オールバニ[2] |
死没 | |
ジャンル | |
職業 | |
担当楽器 | |
活動期間 | 1947年 - 2004年[3] |
レーベル | |
共同作業者 | |
公式サイト | レイ・チャールズ 公式サイト |
レイ・チャールズ・ロビンソン(英語: Ray Charles Robinson、1930年9月23日 - 2004年6月10日)は、アメリカ合衆国・ジョージア州オールバニ出身のシンガーソングライター、ピアニスト。
盲目というハンディを背負いながらも、R&Bやジャズ、ブルース、ゴスペルなどのブラックミュージックを、自らのルーツを再発見するような音楽活動の中で、「ソウルミュージック」の著名歌手の一人となった。カントリー・ミュージックの曲もカバーした。ピアノを弾きながら歌う姿が有名であるが、サックスをプレイすることもあった。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第2位[4]、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第10位[5]、「Q誌の選ぶ歴代の偉大な100人のシンガー」において第24位[6]にランクインした。
生涯
6歳の頃、仲の良かった弟のジョージ・ロビンソンを亡くした。その9か月後、緑内障のために失明した。目が見えないというハンディを背負いながらもピアノを学び、また盲学校に通う。1947年にシアトルに移り、この頃クインシー・ジョーンズと出会う。初期の頃はレイ・ロビンソンの名で活動、音楽もトリオ編成のバンドに参加したが、この頃から薬物使用の悪癖も始まってしまう。後に同名のボクサーがいるため、ミドルネームのレイ・チャールズに改名。彼は1948年には当時15歳だったクインシー・ジョーンズと友人になっている[7]。レイの最初の全国ヒットは1949年で、「コンフェッション・ブルース」が早くもR&Bチャートで2位まで上昇するヒットとなった。自己バンドでツアーを行っているうちに、アトランティック・レコードから声を掛けられ契約する。1959年の「ホワッド・アイ・セイ」がBillboard Pop 100で6位に昇る大ヒットとなった[8]。聖なるゴスペルと俗世間の音楽であるR&Bを融合していたことから、信心深いクリスチャンからは非難された。また頭のかたいジャズ評論家の中にはレイの曲を「ただばか騒ぎしているだけじゃないか」と揶揄する者もいた。
1959年に、アトランティックとの契約切れを期にABCレコードと契約、1961年に代表曲の一つとなる「我が心のジョージア」を発表、ミリオンセラーを記録した。その他にも「旅立てジャック」(Hit The Road Jack、1961)「ワン・ミント・ジュレップ」 (1961)「愛さずにはいられない」(1962)「アンチェイン・マイ・ハート 」(1962)「太陽は燃えている」[9](1964)などのヒットを出し続けた。
チャールズはジョージア州が行う黒人差別に反対し、同州でのコンサートをキャンセルしたため、州はチャールズを追放していたが、1979年4月24日、ジョージア州議会は追放を撤廃、『Georgia On My Mind (わが心のジョージア)』を「正式な州歌」と定めた。1980年には映画『ブルース・ブラザース』(1980年)に楽器店店主の役で出演し、『Shake Your Tailfeather』を演奏している。また1985年にはUSAフォー・アフリカに参加し、ウィ・アー・ザ・ワールドのブリッジ部分でリードボーカルをとった。
2004年に、テイラー・ハックフォード監督の伝記映画『Ray/レイ』が公開され、アカデミー音響賞、主人公のジェイミー・フォックスはアカデミー主演男優賞を受賞した。製作中に、撮影現場で演技指導を行った際に、ジェイミーのあまりの演技力から君は俺の後継者だよと賞賛の言葉を送った。
しかし、2004年6月10日に肝臓癌で死去。73歳だった。完成された映画を観ることは出来なかった。また、彼をリスペクトするアーティストによる「音楽葬」が行われたことも話題となった。2005年2月13日、第47回グラミー賞授賞式では、ノラ・ジョーンズとのデュエット曲「ヒア・ウィ・ゴー・アゲイン」が最優秀レコード賞となったほか、最優秀アルバム、ポップス・ボーカルやゴスペルなど、計8部門で受賞した。
ディスコグラフィ
この節の加筆が望まれています。 |
没後アルバム
- Genius & Friends (Atlantic) 2005年
- Ray Sings, Basie Swings (Concord) 2006年
- Rare Genius: The Undiscovered Masters (Concord) 2010年
シングル
- メス・アラウンド - Mess Around (1953)
- アイヴ・ガット・ア・ウーマン - I've Got A Woman (1954)
- ハレルヤ・アイ・ラヴ・ハー・ソー - Hallelujah, I Love Her So (1956)
- ホワッド・アイ・セイ - What'd I Say (1959)
- ベイビー・ドント・ユー・クライ - Baby Don't You Cry (1960)
- ルビー - Ruby (1960)
- 我が心のジョージア - Georgia On My Mind (1960)
- スティックス・アンド・ストーンズ - Sticks And Stones (1960)
- 旅立てジャック - Hit The Road Jack (1961)
- ワン・ミント・ジュレップ - One Mint Julep (1961)
- 愛さずにはいられない - I Can't Stop Loving You (1962)
- アンチェイン・マイ・ハート - Unchain My Heart (1962)
- ユー・アー・マイ・サンシャイン - You Are My Sunshine (1962)
- ハイド・ノア・ヘアー - Hide Nor Hair (1962)
- ユー・ドント・ノー・ミー - You Don't Know Me (1962)
- ユア・チーティング・ハート - Your Cheating Heart (1962)
- ボーン・トゥ・ルーズ - Born To Lose (1962)
- ケアレス・ラブ - Careless Love (1962)
- 打ちのめされて - Busted (1963)
- 泣かずにいられない - Take These Chains From My Heart (1963)
- ドント・セット・ミー・フリー - Don't Set Me Free (1963)
- ノー・ワン - No One (1963)
- 太陽は燃えている - (1964)
- ピタリ命中 - Smack Dab In The Middle (1964)
- マイ・ハート・クライズ・フォー・ユー - My Heart Cries For You (1964)
- メイキン・ウーピー、パート - Makin' whoopee (1965)
- クライング・タイム - Crying Time (1966)
- レッツ・ゴー・ゲット・ストーンド - Let's Go Get Stoned (1966)
- アイ・ドント・ニード・ノー・ドクター - I Don't Need No Doctor (1966)
- トゥギャザー・アゲイン - Together Again (1966)
- イン・ザ・ヒート・オブ・ザ・ナイト - In The Heat of The Night (1967) - 『夜の大捜査線』の主題歌。
- イエスタデイ - Yesterday (1967) - ビートルズのカバー曲。
- エレノア・リグビー - Eleanor Rigby (1968) - ビートルズのカバー曲。
- アメリカ・ザ・ビューティフル - America The Beautiful (1976)
- ウィ・アー・ザ・ワールド - We Are the World(1985) - USAフォー・アフリカの一員として参加 。
- エリー・マイ・ラブ - Ellie My Love (1989) - 「いとしのエリー」(サザンオールスターズ)のカバー曲。
脚注
出典
- ^ Eagle, Bob L.; LeBlanc, Eric S. (May 2013). Blues: A Regional Experience. p. 361. ISBN 9780313344244
- ^ “About”. raycharles.com. 2020年12月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g Unterberger, Richie. “Ray Charles | Biography & History”. AllMusic. All Media Group. 2020年12月26日閲覧。
- ^ “100 Greatest Singers: Ray Charles”. Rolling Stone (2010年12月3日). 2020年12月26日閲覧。
- ^ “100 Greatest Artists: Ray Charles”. Rolling Stone (2010年12月3日). 2020年12月26日閲覧。
- ^ “Q - 100 Greatest Singers”. Rocklist.net...Q Magazine Lists.. (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。
- ^ クインシー・ジョーンズ バイオグラフィー2021年1月12日閲覧
- ^ “The Hot 100 Chart”. Billboard (1959年8月17日). 2020年12月26日閲覧。
- ^ エンゲルベルト・フンパーディンクがカバーしている
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- Ray Charles (RayCharles) - Facebook
- Ray Charles / レイ・チャールズ - Warner Music Japan
- Ray Charles - YouTubeチャンネル
- RayCharlesVEVO - YouTubeチャンネル
- Ray Charles - Discogs
- Ray Charles - ブリタニカ百科事典
- Ray Charles - Find a Grave
- Ray Charles - IMDb
- Ray Charlesの作品 - MusicBrainz
- "Ray Charles". ロックの殿堂.