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1885年、[[オルレアン家]]のシャルトル公[[ロベール・ドルレアン (シャルトル公)|ロベール]]の娘[[マリー・ドルレアン (1865-1909)|マリー・ドルレアン]]と結婚した。この結婚はマリーの伯父の[[フィリップ (パリ伯)|パリ伯爵]]が仕組んだ政略結婚だったと言われるが、夫婦仲は非常に良かったようである。夫妻は5人の子女をもうけた。 |
1885年、[[オルレアン家]]のシャルトル公[[ロベール・ドルレアン (シャルトル公)|ロベール]]の娘[[マリー・ドルレアン (1865-1909)|マリー・ドルレアン]]と結婚した。この結婚はマリーの伯父の[[フィリップ (パリ伯)|パリ伯爵]]が仕組んだ政略結婚だったと言われるが、夫婦仲は非常に良かったようである。夫妻は5人の子女をもうけた。 |
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ヴァルデマーは長く[[デンマーク海軍]]に所属していたが、軍隊生活はあまり肌に合わなかったようである。ヴァルデマーはまた空位であった[[ |
ヴァルデマーは長く[[デンマーク海軍]]に所属していたが、軍隊生活はあまり肌に合わなかったようである。ヴァルデマーはまた空位であった[[ブルガリア公国]]と、[[スウェーデン]]との[[同君連合]]を解消した[[ノルウェー|ノルウェー王国]]の君主の候補に推されたが、いずれも実現しなかった。 |
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== 子女 == |
== 子女 == |
2021年9月17日 (金) 22:26時点における版
ヴァルデマー Prins Valdemar | |
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デンマーク王子 | |
ヴァルデマー王子(左)とタイ王ラーマ5世 | |
続柄 | クリスチャン9世第三王子 |
身位 | Prins(王子) |
敬称 | 英語の場合His Royal Highness(殿下) |
出生 |
1858年10月27日 デンマーク、コペンハーゲン県、ゲントフテ |
死去 |
1939年1月14日 デンマーク、コペンハーゲン |
配偶者 | マリー・ドルレアン |
子女 |
オーエ アクセル エーリク ヴィゴ マルグレーテ |
父親 | クリスチャン9世 |
母親 | ルイーゼ・フォン・ヘッセン=カッセル |
ヴァルデマー・ア・ダンマーク(丁: Valdemar af Danmark, 1858年10月27日 - 1939年1月14日)は、デンマークの王族、海軍軍人。
生涯
デンマーク王クリスチャン9世とその王妃ルイーゼ・フォン・ヘッセン=カッセルの末息子。兄にデンマーク王フレゼリク8世、ギリシャ王ゲオルギオス1世(ヴィルヘルム)、姉にイギリス王妃アレクサンドラ、ロシア皇后マリヤ・フョードロヴナ(ダウマー)、カンバーランド公爵夫人テューラがいる。
1883年から、次兄ギリシャ王ゲオルギオス1世の次男ゲオルギオス(ヴァルデマーからすれば甥)を養育している。二人の関係は親密なもので、ゲオルギオスは婚約者に『この時私は父に見捨てられたと感じ、以後は叔父のために大人になったのだ。』と語ったほどである。
1885年、オルレアン家のシャルトル公ロベールの娘マリー・ドルレアンと結婚した。この結婚はマリーの伯父のパリ伯爵が仕組んだ政略結婚だったと言われるが、夫婦仲は非常に良かったようである。夫妻は5人の子女をもうけた。
ヴァルデマーは長くデンマーク海軍に所属していたが、軍隊生活はあまり肌に合わなかったようである。ヴァルデマーはまた空位であったブルガリア公国と、スウェーデンとの同君連合を解消したノルウェー王国の君主の候補に推されたが、いずれも実現しなかった。