「いろは順」の版間の差分
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*[[音名]]にも当てはめられ、イタリア語式の「Do Re Mi Fa Sol La Si」(ド レ ミ ファ ソ ラ シ)、英語式の「C D E F G A B」を日本では「ハニホヘトイロ」とした。このため、Cを主音とする長調「C major」のことを日本では「[[ハ長調]]」という。 |
*[[音名]]にも当てはめられ、イタリア語式の「Do Re Mi Fa Sol La Si」(ド レ ミ ファ ソ ラ シ)、英語式の「C D E F G A B」を日本では「ハニホヘトイロ」とした。このため、Cを主音とする長調「C major」のことを日本では「[[ハ長調]]」という。 |
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*[[日本共産党]]が党大会に外国の党から寄せられたメッセージを『[[前衛 (雑誌)|前衛]]』増刊号の党大会特集号に掲載するときの順番として使用していた時期がある(1970年代から1980年代にかけて)<ref>1980年の[[日本共産党第15回大会]]の記録を収録した『前衛』1980年4月臨時増刊号。この方式ではイタリアからはじまり、スウェーデンで終わっている。</ref>。 |
*[[日本共産党]]が党大会に外国の党から寄せられたメッセージを『[[前衛 (雑誌)|前衛]]』増刊号の党大会特集号に掲載するときの順番として使用していた時期がある(1970年代から1980年代にかけて)<ref>1980年の[[日本共産党第15回大会]]の記録を収録した『前衛』1980年4月臨時増刊号。この方式ではイタリアからはじまり、スウェーデンで終わっている。</ref>。 |
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*[[日本国有鉄道]](国鉄)においては、車両称号規程に基き、鉄道車両のうち客車の車両形式の[[等級 (鉄道車両)|等級]]を表す記号に一等から「イロハ」を用いていた(例・マイテ49、スハ32等)。但し、[[1960年]]に二等級制に変更した際にすでに少数派だった「イ」を廃して「ロ・ハ」のみとなり、[[1969年]](昭和44年)の単一等級制度以降、「特別車両」とされた[[グリーン車]]に「ロ」、[[普通車 (鉄道車両)|普通車]]に「ハ」の記号が用いられている<ref>なお、[[寝台車_(鉄道)|寝台車]]で前者に相当する[[A寝台]]に、後者に相当する[[B寝台]]にそれぞれ「寝台」の意味の記号である「ネ」を合わせた「ロネ」・「ハネ」の記号をもちいる。</ref><ref>なお、[[JR]]分社化に際して、動態保存客車となった[[展望車]]「マイテ49形式2号車」でそのまま「イ」を用い、[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]はそのまま運用した。その後、[[九州旅客鉄道|JR九州]]が自社管内で運行する豪華寝台特急「[[ななつ星in九州]]」に高級性を表す「イ」の記号を称する例が現れ、JR西日本も「[[TWILIGHT EXPRESS 瑞風]]」がそれに追随する形となった。</ref>。 |
*[[日本国有鉄道]](国鉄)においては、車両称号規程に基き、鉄道車両のうち客車の車両形式の[[等級 (鉄道車両)|等級]]を表す記号に一等から「イロハ」を用いていた(例・マイテ49、スハ32等)。但し、[[1960年]]に二等級制に変更した際にすでに少数派だった「イ」を廃して「ロ・ハ」のみとなり、[[1969年]](昭和44年)の単一等級制度以降、「特別車両」とされた[[グリーン車]]に「ロ」、[[普通車 (鉄道車両)|普通車]]に「ハ」の記号が用いられている<ref>なお、[[寝台車_(鉄道)|寝台車]]で前者に相当する[[A寝台]]に、後者に相当する[[B寝台]]にそれぞれ「寝台」の意味の記号である「ネ」を合わせた「ロネ」・「ハネ」の記号をもちいる。</ref><ref>なお、[[JR]]分社化に際して、動態保存客車となった[[展望車]]「マイテ49形式2号車」でそのまま「イ」を用い、[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]はそのまま運用した。その後、[[九州旅客鉄道|JR九州]]が自社管内で運行する豪華寝台特急「[[ななつ星 in 九州]]」に高級性を表す「イ」の記号を称する例が現れ、JR西日本も「[[TWILIGHT EXPRESS 瑞風]]」がそれに追随する形となった。</ref>。 |
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*日本の[[プロ野球]]で、背番号が導入されたとき、[[阪神タイガース]]で「イロハ」順に背番号をつけていた。 |
*日本の[[プロ野球]]で、背番号が導入されたとき、[[阪神タイガース]]で「イロハ」順に背番号をつけていた。 |
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*[[地方競馬]]では主催者によっては「イロハ」順で組をつける事がある。 |
*[[地方競馬]]では主催者によっては「イロハ」順で組をつける事がある。 |
2021年9月3日 (金) 11:03時点における版
いろは順(いろはじゅん)とは、日本語におけるかな文字の並べ方のひとつ。
順番
の順。本来は末尾に「ん」を加えなかった。
平仮名47文字全てをそれぞれ1度ずつ使って作られたいろは歌に基づいた順番である。かつては日本語における順番法として公用文にも広く使われたが、現在ではほぼ五十音順に取って代わられている(公用文については「公用文作成の要領」において五十音順を使用するよう定められている)。
いろは順の使用例
- 江戸時代の町火消は、享保5年(1720年)に隅田川の西側の町屋を区分けして47組の「いろは組」が創られたことに始まり、後に1組増えて「いろは四十八組」となる。各組は「い組」「ろ組」「は組」といろは順を使った組名乗りをしていたが、「へ」は「屁」に通じて語呂が悪く、「ら」は「魔羅」を連想させて忌み言葉のようで、「ひ」に至っては「火」に通じるので論外であり、「ん」はそもそもいろは順に含まれない字のため、これらはそれぞれ「百」「千」「万」「本」の字に置き換えられた。
- 五十音はいろは歌と同じくらい古くからあるが、使用するのは学者に限られていた(『古事記伝』の索引や『古言梯』などは五十音順)。このため、幕末まで一般向けの類書、今でいう百科事典は、いろは順で項目が並べられていた。『色葉字類抄』『節用集』など。明治に入っても『和漢雅俗いろは辞典』(高橋五郎)などが出されている。法令全書も大正までいろは順の索引を使用している。『言海』(大槻文彦)は五十音順だが、見返しにいろは順索引がついている。
- 江戸期、庶民が世の中に対する様々な不満をいろは順に書き連ねた「いろは短歌」が広まる(短歌形式で書かれた)。一例として、寛政9年(1797年)に仙台藩で起こった「寛政の大一揆」の際にも広まり、いろは短歌が書かれた文が東北歴史博物館に所蔵されている。
- 日本の法令では、号の下位単位としてイロハを使用している。
- 箇条書きにおいて、条ごとに振る記号として用いられることがある。
- 和文モールス符号は、原則としてアルファベット順に並べた欧文モールス符号を順に「イ・ロ・ハ……」に割り当てたものである(ただし、「I」のみ濁点に対応させており、この規則から外れている)。「Z」に対応する「フ」より後の文字はすべて日本独自の符号を割り当てている。
- 国際会議においては、昭和18年(1943年)の大東亜会議における参加国の配列がいろは順だった。五十音順やアルファベット順に比べて、日本の順番が前に来ることが採用理由といわれる(深田祐介『黎明の世紀』文春文庫)。
- 日本年金機構(旧・社会保険庁)で用いられている「事業所記号」は、114カ所の事業所では五十音順を、198カ所の事業所ではイロハ順を使っている。1942年に「労働者年金保険法」が制定された頃の名残であり、日本年金機構の広報室長は「新人職員が書類を探すのに手間取るが、受給者には迷惑はかからない」としている[1][2]。
- 音名にも当てはめられ、イタリア語式の「Do Re Mi Fa Sol La Si」(ド レ ミ ファ ソ ラ シ)、英語式の「C D E F G A B」を日本では「ハニホヘトイロ」とした。このため、Cを主音とする長調「C major」のことを日本では「ハ長調」という。
- 日本共産党が党大会に外国の党から寄せられたメッセージを『前衛』増刊号の党大会特集号に掲載するときの順番として使用していた時期がある(1970年代から1980年代にかけて)[3]。
- 日本国有鉄道(国鉄)においては、車両称号規程に基き、鉄道車両のうち客車の車両形式の等級を表す記号に一等から「イロハ」を用いていた(例・マイテ49、スハ32等)。但し、1960年に二等級制に変更した際にすでに少数派だった「イ」を廃して「ロ・ハ」のみとなり、1969年(昭和44年)の単一等級制度以降、「特別車両」とされたグリーン車に「ロ」、普通車に「ハ」の記号が用いられている[4][5]。
- 日本のプロ野球で、背番号が導入されたとき、阪神タイガースで「イロハ」順に背番号をつけていた。
- 地方競馬では主催者によっては「イロハ」順で組をつける事がある。
- 姫路城内の多くの門と櫓は「イロハ」順で名付けられる。
- 太平洋戦争中に発行された日本銀行券のシリーズ区分として「イロハ」順が用いられていた。
地名・地番にいろは順を用いた例
- 旭市:旭市イ - ニ
- 匝瑳市八日市場地区:匝瑳市八日市場イ - ホ
- 八街市:八街市八街い - へ
- 香取市佐原地区:香取市佐原イ - ホ、篠原イ・ロ、昭和町い - に
- 山武市蓮沼地区:山武市蓮沼イ - ホ
- 香取郡東庄町:東庄町笹川い・ろ
石川県内では、白山市の旧松任市の区域および野々市市を除く各市町で小字の地番にいろは順を入れている場合が多く見られる。
また、七尾市などの能登半島北部ではいろは順と「部」を組み合わせた地番も存在する。
- 七尾市役所:七尾市袖ケ江町イ部25番地
古くは東京にもあり、夏目漱石『三四郎』には「西片町十番地への三号」が出てくる(実際の夏目漱石の住所は西片町十番地ろの七号)[6]。
注
- ^ ファイルを「いろは順」で整理する日本年金機構 「あいうえお順」にできない理由とは buzzfeed 2016年12月28日閲覧
- ^ 事業所記号の数字変換(全国健康保険協会静岡支部)
- ^ 1980年の日本共産党第15回大会の記録を収録した『前衛』1980年4月臨時増刊号。この方式ではイタリアからはじまり、スウェーデンで終わっている。
- ^ なお、寝台車で前者に相当するA寝台に、後者に相当するB寝台にそれぞれ「寝台」の意味の記号である「ネ」を合わせた「ロネ」・「ハネ」の記号をもちいる。
- ^ なお、JR分社化に際して、動態保存客車となった展望車「マイテ49形式2号車」でそのまま「イ」を用い、JR西日本はそのまま運用した。その後、JR九州が自社管内で運行する豪華寝台特急「ななつ星 in 九州」に高級性を表す「イ」の記号を称する例が現れ、JR西日本も「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」がそれに追随する形となった。
- ^ ただし、地番が錯綜したために便宜上振られた住所であり、正式なものではない(今尾恵介「住所と地名の大研究」(新潮選書)、2004年、ISBN 4-10-603535-9、pp.54-55)。
関連項目
- 五十音順といろは順が同じであるのは「た」(16番目)と「な」(21番目)の2つ。