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2021年8月29日 (日) 00:06時点における版
天皇道悟 | |
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天宝7年-元和2年4月30日 748年-807年6月9日 | |
生地 | 婺州東陽 |
宗派 | 禅宗 |
師 | 石頭希遷 |
弟子 | 龍潭崇信、慧眞、文賁 |
天皇道悟(てんのうどうご、天宝7年(748年)-元和2年4月30日(807年6月9日))は、唐代の禅僧である。石頭宗2世。
天宝7年に婺州(現在の浙江省金華市)東陽で誕生する。俗姓は張氏。明州の某寺にて剃髪し、大暦7年(772年)に具足戒を受けた。余杭の径山法欽に参禅した後、大暦年中に大梅山に移り建中初年に鐘陵の馬祖道一の許で2年間修業する。その後石頭希遷に就いて大悟した。荊州当陽柴紫ならびに同州城東の天皇寺の住持を勤め、元和2年4月30日(807年6月9日)に示寂した。法嗣に龍潭崇信、慧眞ならびに文賁がいた。
参考文献
- 禅学大辞典編纂所 編 『新版 禅学大辞典』p.918 1985年
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