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*禅学大辞典編纂所 編 『新版 禅学大辞典』p.923 1985年
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2021年8月29日 (日) 00:05時点における版

無文道璨
生年不詳-至元8年
生年不詳-1271年4月22日
生地 吉州泰和(江西省吉安市泰和県)
宗派 臨済宗大慧派
笑翁妙堪
弟子 支提澄鑑、定山 一、王崖 振
著作 無文印
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無文道璨(むもんどうさん、生年不詳-至元8年(1271年))は、代からに活動した禅僧である。大慧下4世。

生年不詳。吉州泰和(現在の江西省吉安市泰和県)で誕生する。俗姓不伝。笑翁妙堪に嗣法した。

宝祐2年(1254年)6月、饒州薦福寺の住持となった後、南康軍廬山(江西省九江市廬山市)の開先華蔵禅寺の席を薫するが、再び薦福寺へ戻った。

至元8年(1271年)示寂。法嗣は支提澄鑑ら三名を数える。詩文集として無文印があるほか、語録として無文和尚語録が編まれている。

参考文献

  • 禅学大辞典編纂所 編 『新版 禅学大辞典』p.923 1985年
先代
笑翁妙堪
臨済宗破庵派
1248-1271
次代
支提澄鑑
定山 一
王崖 振