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「ルネ・ベルブノワ」の版間の差分

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== 五度目の脱獄 ==
== 五度目の脱獄 ==
最初に流刑地に到着してから十二年が経とうとしていた頃、ベルブノワは追加分の刑期を終え四人の仲間とともに五度目の脱獄に挑む。彼らは小舟でアメリカの領土だった[[パナマ運河地帯]]にむかったが、不幸にも当時フランスの脱獄囚たちの受け入れを拒否していた[[コロンビア]]の陸に到着してしまった。彼らはコロンビアの警察に見つかり、現地の刑務所に連行され再びフランスの流刑地に送り返されることになってしまった。しかし奇跡的にベルブノワは一人だけそこから逃れることに成功し、自由の国アメリカを目指し脱獄を続けた。そしてジャングルの中で様々な[[インディオ]]たちと出会いながら(途中でクナ族の女性と結婚して七ヶ月間パナマで暮らした)、コロンビアからエルサルバドルまで主に徒歩と[[カヌー]]で進んでいった。そこから[[カナダ]]の行きの船に忍び込み、七日間船倉に身を隠して待った。船が[[カリフォルニア州|カリフォルニア]]に停まると、すぐにそこから[[ロサンゼルス]]の[[ハリウッド]]に向かった。ハリウッドの映画会社[[コロンビア映画|コロンビア・ピクチャーズ]]に赴き五日間様々な取材に応じた。
最初に流刑地に到着してから十二年が経とうとしていた頃、ベルブノワは追加分の刑期を終え四人の仲間とともに五度目の脱獄に挑む。彼らは小舟でアメリカの領土だった[[パナマ運河地帯]]にむかったが、不幸にも当時フランスの脱獄囚たちの受け入れを拒否していた[[コロンビア]]の陸に到着してしまった。彼らはコロンビアの警察に見つかり、現地の刑務所に連行され再びフランスの流刑地に送り返されることになってしまった。しかし奇跡的にベルブノワは一人だけそこから逃れることに成功し、自由の国アメリカを目指し脱獄を続けた。そしてジャングルの中で様々な[[インディオ]]たちと出会いながら(途中でクナ族の女性と結婚して七ヶ月間パナマで暮らした)、コロンビアからエルサルバドルまで主に徒歩と[[カヌー]]で進んでいった。そこから[[カナダ]]の行きの船に忍び込み、七日間船倉に身を隠して待った。船が[[カリフォルニア州|カリフォルニア]]に停まると、すぐにそこから[[ロサンゼルス]]の[[ハリウッド]]に向かった。ハリウッドの映画会社[[コロンビア ピクチャーズ|コロンビア・ピクチャーズ]]に赴き五日間様々な取材に応じた。


[[ファイル:Cinquiemeevasion1.jpg|サムネイル|420x420ピクセル|五度目の脱獄経緯①]]
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2021年8月18日 (水) 00:23時点における版

ルネ・ベルブノワ

René Belbenoit
1938年、『Dry Guillotine』出版記者会見にて
生誕 1899年4月4日
フランス・パリ(13区)
死没 1959年2月25日
アメリカ合衆国・カリフォルニア州、ルサーン・バレー
職業 軍人、作家、ジャーナリスト
代表作 『Dry Guillotine』、『Hell on trial』
影響を与えたもの 映画『Condemned』(1929年・米)、『渡洋爆撃隊』(1944年・米)、小説『パピヨン』
身長 162.5 cm (5 ft 4 in)
テレビ番組 『This is your life』
罪名 窃盗罪
配偶者 Lee Gumpert
署名
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ルネ・ベルブノワ(René Belbenoit、1899年4月4日 - 1959年2月25日)は、フランス作家ジャーナリスト、元脱獄囚。『Dry Guillotine』の著者として知られる。

生い立ち

ルネ・ベルブノワはパリで生まれた。幼い頃に彼の母は家を出てロシアに行ってしまい、父は機関車車掌として多忙だったため小学生の時から彼は親戚のおじが経営していたキャバレー("Le Rat Mort")で働くようになった。そこに出入りする客(常連にはミスタンゲットもいた)は大金持ちばかりで、湯水のように金を使い贅沢を尽くす彼らの姿は幼いベルブノワにとって大変衝撃的なことだった。ある日、彼はその客たちから賭け金を競馬場まで届けるよう頼まれたが、それをそのままくすねてしまう。そのことがのちに発覚すると、彼はおじから店を追い出され父からも勘当されてしまった。

第一次世界大戦が始まるとすぐに軍隊に志願し中東の戦地に赴いたが、体が弱かったためすぐに熱病に冒されフランスへ送還された。入院先の病院で彼はある看護婦と恋に落ち、彼女と結婚するため仕事を探し始めたが不況のなか思うように良い仕事を見つけることができないまま月日が経っていった。

二十二歳の時、ディジョンのレストランで犯した窃盗罪で逮捕され裁判でギアナ流刑地での強制労働八年を宣告された。当時の法律では、強制労働八年以上を言い渡された囚人は刑期を終えた後も残りの人生をフランス領のギアナで送らなければならなかった(この刑法は“Le doublage(「折り返し」)”と呼ばれていた)。一年後、ほかの何百人の囚人たちとともに輸送船ラ・マルティニエール( “La Martinière” )に乗せられフランス領ギアナの流刑地に向かった。 船の中は過密状態で囚人たちはまともに身動きが取れず、規則違反を犯した者は一日中棺桶のように狭い独房に閉じ込められた。

ギアナ流刑地での生活

ギアナ流刑地は、朝から晩まで囚人たちが獣のように酷使され死んでいく地獄のような場所だった。与えられる食事はとても少なく、体が弱った囚人たちの多くが大量のコウモリなどによって病気に感染し命を落としていった。囚人たちは常に脱獄を考えながら生きており、脱獄をするための金を稼ぐ手段を探していた。その方法は様々であった。衣服や靴など自分の身の回りの物を売る、囚人同士の間で行われている博打に参加する、コーヒーやタバコを売る...とりわけベルブノワが脱獄中に行ったのはジャングルの中で珍しいモルフォ蝶を捕まえて売ることだった(蝶はフランス語で”パピヨン”という)。実際に多くの囚人たちが脱獄を実行に移すのだが、そのほとんどは悲惨な結果に終わった。流刑地の四方は険しいジャングルと波の荒い海に囲まれており、近隣にはギアナの監獄行政と協力しフランスの脱獄囚たちを捕まえては流刑地に送り返す国が多かったため、それまで脱獄に成功した者はほんの一握りだけだった。ベルブノワも脱獄に執念を燃やしていた者のひとりだった。

ある時はジャガーなどの猛獣が生息し泥沼であふれる険しいジャングルの中を通り、またある時はが漂い嵐が吹き荒れる海を小舟で渡り...彼は脱獄を四度試みたが全て失敗に終わり、その度に流刑地へ送り返され、残酷な刑罰によって幾度も死に際まで追い詰められた。大量の蚊が飛び交う息が詰まるような暑さの小屋で、足枷をはめられ永遠と続くような地獄の日々を過ごした。

フランスに密入国を試みる

1930年、ギアナ植民地総督の計らいにより一年間の期限付きで植民地を離れる許可を与えられ、その期間をパナマで過ごす。

1931年、フランス行きの船に乗り密入国を試みるがル・アーブル水上警察によって逮捕される。強制労働三年を追加される。

1932年、ギアナ流刑地に送り返される。

五度目の脱獄

最初に流刑地に到着してから十二年が経とうとしていた頃、ベルブノワは追加分の刑期を終え四人の仲間とともに五度目の脱獄に挑む。彼らは小舟でアメリカの領土だったパナマ運河地帯にむかったが、不幸にも当時フランスの脱獄囚たちの受け入れを拒否していたコロンビアの陸に到着してしまった。彼らはコロンビアの警察に見つかり、現地の刑務所に連行され再びフランスの流刑地に送り返されることになってしまった。しかし奇跡的にベルブノワは一人だけそこから逃れることに成功し、自由の国アメリカを目指し脱獄を続けた。そしてジャングルの中で様々なインディオたちと出会いながら(途中でクナ族の女性と結婚して七ヶ月間パナマで暮らした)、コロンビアからエルサルバドルまで主に徒歩とカヌーで進んでいった。そこからカナダの行きの船に忍び込み、七日間船倉に身を隠して待った。船がカリフォルニアに停まると、すぐにそこからロサンゼルスハリウッドに向かった。ハリウッドの映画会社コロンビア・ピクチャーズに赴き五日間様々な取材に応じた。

五度目の脱獄経緯①
五度目の脱獄経緯②

自伝『Dry Guillotine』の出版

その後、ベルブノワはニューヨークに呼ばれた。すぐに現地の歯医者が、歯を全て失っていた彼に総入れ歯を提供した。

1938年、ギアナ流刑地で作成した資料と原稿をもとに自伝『Dry Guillotine』を出版した。『Dry Guillotine』は100万部を超えるベストセラーとなり11ヶ国語に翻訳された。彼自身も様々なメディアに取り上げられ一躍時の人となった。

1955年、アメリカのテレビシリーズ番組『This is your life』にゲストとして招かれ出演。

1956年アメリカ市民権を獲得。

1959年2月、カリフォルニアの自宅で死去。

参考文献

  1. René Belbenoit, 『DRY GUILLOTINE fifteen years among the living dead』,NEW YORK ・BLUE RIBON BOOKS,(1938)、p.9~21,P.25~344
  2. René Belbenoit,『Guillotine Sèche』,La Manufacture de livres,(2012)
  3. Philippe Schimitz, René Belbenoit,『Matricule 46635 L’extrodinaire aventure du forçat qui inspira Papillon』, MAISONNEUVE &LAROSE,(2002)、p.9,12,60,61,62,81,84
  4. Francis Lagrange『Francis Lagrange Bagnard,Faussaire génial』,EUGENE EPAILLY(1994)
  5. https://amp.parismatch.com/Actu/Societe/Rene-Belbenoit-Bagne-Cayenne-evasion-ile-du-diable-1614108
  6. http://www.historyisnowmagazine.com/blog/2014/10/19/the-story-of-the-worlds-most-infamous-penal-system-ever#.XZ2IDbpcWEc
  7. https://sites.utexas.edu/ransomcentermagazine/2013/05/14/rene-belbenoit__trashed/
  8. https://www.lamanufacturedelivres.com/nos-auteurs/auteur/19/rene-belbenoit
  9. https://norman.hrc.utexas.edu/fasearch/findingAid.cfm?eadid=00617
  10. Cayenne-Hollywood,『Les Véritables Histoires de Papillon』, France(2008)
  11. https://renemichelbelbenoit.hatenablog.com/entry/2021/07/11/004754