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「ピクニック (1955年の映画)」の版間の差分

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|撮影=[[ジェームズ・ウォン・ハウ]]
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|編集=ウィリアム・A・ライオン<br />チャールズ・ネルソン
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2021年8月17日 (火) 23:41時点における版

ピクニック
Picnic
監督 ジョシュア・ローガン
脚本 ウィリアム・インジ
原作 ダニエル・タラダッシュ
製作 フレッド・コールマー
出演者 ウィリアム・ホールデン
キム・ノヴァク
ロザリンド・ラッセル
音楽 ジョージ・ダニング
撮影 ジェームズ・ウォン・ハウ
編集 ウィリアム・A・ライオン
チャールズ・ネルソン
製作会社 コロンビア ピクチャーズ
配給 コロンビア映画
公開 アメリカ合衆国の旗 1955年11月
日本の旗 1956年3月14日
上映時間 115分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
配給収入 6,300,000ドル(北米配収)
1億6236万円[1] 日本の旗
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ピクニック』(Picnic)は、1955年に製作・公開されたアメリカ映画

概要

1953年ブロードウェイで初演され、ロングランを続け、ピュリッツァー賞を受賞したウィリアム・インジ[2]の戯曲『ピクニック』の映画化。舞台演出もしたジョシュア・ローガンが監督、ウィリアム・ホールデンキム・ノヴァクが主演した。

テクニカラーシネマスコープ作品として撮影されている。

ストーリー

9月の第1月曜日――労働祭休日の朝、ハルという若者がカンザスの小さな町で貨車から降りる。無一文だが、ようやく線路沿いにあるポッツ家の庭仕事で朝飯にありつく。上半身裸で仕事をする姿が、庭つづきのオウェンス家から見える。離婚したフロー夫人、姉娘マッジ、妹娘ミリー、同居人のローズマリーの4人暮らしだ。ハルは大学時代の友人アランを頼って町に来たところ、穀物倉庫を手広く経営するアランは歓迎してくれる。

夏の最後の一夜を楽しむために、町中総出でピクニックに出かける習慣がある。マッジはアランと、ローズマリーはハワードと、ハルもアランから自動車を借りてミリーと参加する。禁酒のカンザス州なのに、ハワードがウィスキーを忍ばせて来る。教師のローズマリーはウィスキーのおかげで陽気になり、ダンスを始めるが、ミリーは踊り方を知らない。見かねたハルが踊って見せる。近づいて来たハルとマッジの踊りに周囲の人たちも溜息をもらす。ローズマリーがハルにからみ出した頃、ミリーが悪酔いをして大騒ぎ。すべてがハルの仕業とされる。そんなハルをマッジが慰める。ひねくれ気味のハルにマッジの体が押しかかり、2人の唇が合わされる。マッジを取られた腹いせにアランがハルを自動車泥棒だと訴え、町を追い出される。

ハルは町を出る前にマッジのもとを訪れ、町を出て結婚しようと伝えたのち貨車に飛び乗る。フロー夫人は若い間だけの感情に身を委ねる愚かさを強くいさめるが、マッジは聞き入れず、ハルを追いかけるバスに乗って町を出てゆく。[3]

キャスト

1回目:1970年8月16日(火) NETテレビ日曜洋画劇場
2回目:1988年7月30日(土) テレビ朝日ウィークエンドシアター[4]

スタッフ

  • 監督:ジョシュア・ローガン
  • 製作:フレッド・コールマー
  • 脚色:ダニエル・タラダッシュ
  • 音楽:ジョージ・ダニング
  • 撮影:ジェームズ・ウォン・ハウ
  • 編集:チャールズ・ネルソン、ウィリアム・A・ライオン
  • プロダクションデザイン:ジョー・ミールツィナー
  • 美術:ウィリアム・フラネリー
  • 装置:ロバート・プリーストリー
  • 衣裳:ジャン・ルイ

映画賞受賞・ノミネーション

脚注

  1. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)129頁
  2. ^ ウィリアム・インジ(英語)はアメリカの劇作家(1913-1973)。この作品で一流の劇作家の一人とみなされるようになった。他に『愛しのシバよ帰れ』があり、映画になった舞台作品に『バス停留所 (映画)』『草原の輝き (映画)』などがある。
  3. ^ 原作となった戯曲では、フロー夫人は「女が美しいのは数年だけ、まだ19、来年は20、次は21、すぐに40よ」と積極的にマッジを後押しする。
    Flo Owens: If she loses her chance when she's young, she might as well throw all her prettiness away.
    Madge Owens: I'm only 19.
    Flo Owens: And next summer you'll be 20, and then 21, and then 40.
    Madge Owens: You don't have to be morbid.
  4. ^ 上記の1回目と同じ吹替音源での放映なのかは不明

外部リンク