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「大阪府立平野高等学校」の版間の差分

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* [[Osaka Metro]](地下鉄谷町線)[[長原駅 (大阪府)|長原駅]]より南へ約2.4km(徒歩で約30分)
* [[Osaka Metro]](地下鉄谷町線)[[長原駅 (大阪府)|長原駅]]より南へ約2.4km(徒歩で約30分)
* [[近鉄南大阪線]][[河内天美駅]]より東へ3.5㎞(徒歩で約45分)
* [[近鉄南大阪線]][[河内天美駅]]より東へ3.5㎞(徒歩で約45分)
* [[大阪シティバス]、[[近鉄バス]] [[松原市立恵我小学校|恵我小学校]]前バス停、南西へ約140m(徒歩で約2分)
* [[大阪シティバス]]、[[近鉄バス]] [[松原市立恵我小学校|恵我小学校]]前バス停、南西へ約140m(徒歩で約2分)


== 高校関係者一覧 ==
== 高校関係者一覧 ==

2021年7月29日 (木) 00:04時点における版

大阪府立平野高等学校
大阪府立平野高等学校
2007年〈撮影)
国公私立の別 公立学校
設置者 大阪府の旗 大阪府
設立年月日 1980年4月1日
創立記念日 6月4日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学科内専門コース 環境科学コース
人間福祉コース
標準コース
学期 3学期制
高校コード 27268A
所在地 547-0014
大阪市平野区長吉川辺四丁目2番11号
地図
北緯34度35分20.3秒 東経135度34分12.8秒 / 北緯34.588972度 東経135.570222度 / 34.588972; 135.570222座標: 北緯34度35分20.3秒 東経135度34分12.8秒 / 北緯34.588972度 東経135.570222度 / 34.588972; 135.570222
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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大阪府立平野高等学校(おおさかふりつ ひらの こうとうがっこう、: Osaka Prefectural Hirano High School)は、大阪市平野区にある公立高等学校。通称は「平高」(ひらこう[1])。

概要

東住吉区内の小中学校PTA役員が中心となって高校誘致活動を展開した結果、1980年に開校した[2]

最寄りの鉄道駅でも約2.4km離れており、徒歩で約30分かかる遠さの上、路線バスの運行本数も少ないため、生徒の大半は近隣の東住吉区・平野区・松原市在住で、ほとんど自転車で通学している[3]

教育課程全日制課程普通科で、学科内に専門コースの一つ「人間福祉コース」では、介護職員初任者研修(旧ホームヘルパー2級)資格習得に対応する授業も開講され[1]、同資格を取得する卒業生もいる。

1990年代前半、卒業生の大半が企業に就職する傾向があったが、2000年代大学短期大学専門学校に進学する卒業生も増えている。

2006年度入学の1年生より、1クラス30人学級を導入した。新たに「標準コース」を設け、進路希望に応じた授業選択の幅を広げている。2年次から希望に応じて、「環境科学コース」「人間福祉コース」「標準コース」の3コースに分かれて学習する。

1年生・2年生で習熟度別学習少人数授業を導入。小テストで基礎的な学習を繰り返す工夫もされている[1]

地球と人間にやさしい学校作りを目指しており、文部科学省からグローブ指定と大阪府教育委員会からエコハイスクール指定を受けていた。

教育困難校、ビオトープで再生

1994年当時、平野高校は「教科書を持って来ない」「漢字も読めない、書けない」生徒が多い「教育困難校」で、グラウンドテニスコートは雑草に被われ、中庭の樹木も害虫に犯され枯死寸前。学校全体が荒れ果て「真っ先に廃校になる」と噂まで飛び交っていた[独自研究?][2]

そこで、新設校や困難校を数多く経験した校長(第5代)が「環境教育」「人間教育」を軸とした「環境人間学科」併設を提案。生徒の学習意欲が湧くように、授業を実験や実習、施設訪問などの体験型中心に変更。「分かる授業」実施により「学校に行く魅力を感じる」体制づくりから始めた[独自研究?][2]

ただ、大阪府教育委員会は新設した高校の「存続」「廃校」を選別していた時期で、「環境人間学科」認可の気配も薄かったため、校長が知人経由で文部省に打診。結果、各都府県教委や他高校から資料請求が相次ぎ大きな反響となったため、府教委も容認[独自研究?]1995年4月、学科内の専門コース「環境科学コース」「人間福祉コース」として設置され[2]、大阪府の公立高校で初のコース」で、人工の自然農園(ビオトープ)建設にも着手した。

2001年に完成したビオトープは、約3,000坪の敷地に花壇や農作ゾーンもあり、国内最大級の広さとなっている[2]

沿革

1970年初頭、東住吉区(1974年に平野区を分区)に普通科高校が大阪府立東住吉高等学校1校のみ。その後も生徒数の増加が見込まれたため、区内の小中学校PTA役員が中心となって府教委に対して府立高校増設運動が行われた。その結果、平野区内に2校の府立高校増設が決定した。うち1校は大阪府立長吉高等学校で、もう1校は1979年3月に設立が議決された平野高校である。地元が土地改良委員会との交渉も交えた結果、大和川の南側の遊水地を造成して建設された[2]

平野高校は1980年4月の開校時、本館の西半分のみが完成した状態で、新入生564名の入学式は本館の屋上で挙行された。第3期工事で建設の体育館は、学校側の要望により第2期工事で前倒し竣工し、翌1981年の入学式は体育館で行われた。順次、校舎の増築、プールや駐輪場、北館の新築も行われ、周辺環境整備も含めて1983年4月にはおおむね現在の姿となった。

年表

  • 1979年3月12日 - 「大阪府立第133高等学校」設立を大阪府議会定例府会で議決。
  • 1979年6月4日 - 第1期建築工事請負契約が府議会で承認議決(この日を創立記念日とする)。
  • 1979年7月20日 - 造成工事着工。
  • 1979年12月19日 - 校名を「大阪府立平野高等学校」に決定
  • 1980年3月 - 第1期工事(本館西側半分)竣工。
  • 1980年4月 - 開校(第1期生564名が入学)
  • 1995年4月 - 大阪府立の高校で初の「環境科学コース」「人間福祉コース」設置
  • 2001年 - 校内農園(ビオトープ)竣工
  • 2006年 - 標準コースを設置。1クラス30人学級の運営開始

交通

高校関係者一覧

脚注

  1. ^ a b c 306hirano(1)(学校案内PDF2020年)”. 大阪府立平野高等学校. 2021年2月26日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 『創立30周年記念誌 Keep on Believing』(大阪府立平野高等学校発行、創立30周年記念誌編集委員会編、2010年
  3. ^ 平成21年度 大阪府高等学校交通安全連絡協議会モデル事業報告書”. 大阪府立平野高等学校. 2021年2月26日閲覧。

参考文献

  • 『創立20周年記念誌』(平野高校創立20周年記念誌編集委員会編、1999年
  • 『創立30周年記念誌 Keep on Believing』(大阪府立平野高等学校発行、創立30周年記念誌編集委員会編、2010年

関連項目

外部リンク