「日産・レパード」の版間の差分
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2021年6月29日 (火) 00:02時点における版
レパード (LEOPARD) は、1980年から2000年まで製造・販売された日産自動車の高級パーソナルカーである。本項では1980年 - 1986年まで生産されていた兄弟車のレパードTR-X、1992年 - 1996年まで生産されていたレパード J.フェリーについても述べる。
日産・レパード | |
---|---|
2代目 F31系 | |
概要 | |
別名 |
レパードTR-X(初代) 日産・レパードJ.フェリー(3代目) |
製造国 | 日本 |
販売期間 | 1980年-2000年 |
ボディ | |
ボディタイプ |
4ドアセダン 2/4ドアハードトップ 2ドアクーペ |
系譜 | |
後継 | セドリック・グロリアに統合 |
概要
レパードが取扱販売される以前の日産店(広告上の"ブルーバード販売会社")では、主力車種であるブルーバードの上級グレードとして、610型ブルーバードUの後期型から直列6気筒エンジンを搭載した「2000GT(愛称・サメブル)」シリーズが設定され、810型ブルーバードにも、直列6気筒エンジンを搭載した上級グレードの「2000 G6」シリーズが設定されていた。
1979年11月に発売された910型ブルーバードには、直列6気筒エンジンを搭載した上級グレードが設定されず、本来のブルーバードの車種クラスに準じた4気筒エンジン搭載車に統一された事で、日産店での取扱車種のラインナップ上、ブルーバードの上級グレードの後継車種としての位置付けと、スカイライン、ローレルに続く上級車ラインアップの一角を担うべく、1980年10月に日産の新規車種としてレパードが発売された。また、レパードの発売に際し、直前に登場した430型セドリック・グロリアからは2ドアハードトップモデルが廃止されている。
また、1999年のモデル消滅までの19年間、商品企画の変転が大きく、初代は910型ブルーバードベースの上級2ドア/4ドアハードトップ、2代目はR31型スカイラインをベースにし、トヨタ・ソアラを強く意識した高級2ドアクーペ、3・4代目はセドリック・グロリアベースの高級4ドアセダンという変遷であった。
そして、レパードそのものの一貫したコンセプトを持ち続ける事が出来ずに確固たるブランド力を構築出来なかったが、その後の同社のインフィニティ・Q、M、G(それぞれ日本国内のシーマ、フーガ、スカイライン)をはじめとした高級パーソナルカーにその経験は生かされている。
歴史
初代 F30型系(1980年 - 1986年)
日産・レパード(初代) 日産・レパードTR-X F30型系 | |
---|---|
レパードTR-X ターボZGX 4ドア 後期型(1982年9月 - 1986年2月) 前部 | |
レパードTR-X ターボSGX 2ドア 後期型(1982年9月 - 1986年2月) 前部 | |
後部 | |
概要 | |
販売期間 | 1980年10月 - 1986年2月 |
設計統括 | 桜井眞一郎 |
デザイン | 内野輝夫 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ |
2ドアハードトップ 4ドアハードトップ |
駆動方式 | 後輪駆動 |
パワートレイン | |
エンジン |
VG30ET型 2,960cc V型6気筒 SOHCターボ L28E型 直列6気筒 SOHC 2,753cc L20E型 1,998cc 直列6気筒 SOHC L20ET型 1,998cc 直列6気筒 SOHCターボ Z18型 1,770cc 直列4気筒 SOHC |
変速機 |
4速 / 3速AT 5速MT |
前 |
前:マクファーソンストラット 後:セミトレーリングアーム |
後 |
前:マクファーソンストラット 後:セミトレーリングアーム |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,625mm |
全長 | 4,630mm |
全幅 | 1,690mm |
全高 | 1,355mm |
車両重量 | 1,300kg |
その他 | |
データモデル |
4ドアハードトップ 280X・SF-L 5速MT(前期型) |
ベース車 | 日産・マキシマ |
当時、東京都杉並区荻窪にあった旧・プリンス自動車工業の開発拠点において車両開発された。910型ブルーバードをベースに、ホイールベースを延長したロングノーズの直列6気筒L24Eを搭載した北米向け車種の「G910型 マキシマ」をベースとしている。当初北米輸出向けに開発されたが完成した時期にアメリカ車の販売が落ち込み輸出を自主規制し、国内専用車として販売することとなった。
610型ブルーバードUの「2000GT」シリーズや810型ブルーバードの「2000 G6」シリーズに設定されていた直列6気筒エンジン搭載の上級グレードの後継車種である事から、ブルーバードをメインに取り扱う日産店の取扱車種として発売された。CM出演は加山雄三[注釈 1]。キャッチコピーは前期が「パワーエリート」「自由に何を賭けるか」、後期が「最先端は、愉快だ」「鋭く挑む、華麗なる豹」。
ボディタイプは4ドア(ピラード)ハードトップと2ドアハードトップだった。これは当時の運輸省が車種を増やすことを事実上禁止しており、ブルーバードGTの後継として運輸省を納得させるため4ドアも設定された。なお、日産・チェリー店取扱車種の姉妹車としてレパードTR-X(トライエックス)も設定された。レパードのフォグランプ内蔵異型ヘッドランプに対し、TR-Xは規格型の角型4灯ヘッドランプを装着する。日産店向けの標準車に対してグレード構成が簡略化されており、4ドアハードトップ200F/180Fと2ドアハードトップ180CFのトランスミッションは4速或いは5速マニュアルのみの設定で、標準車に設定された280X-CFと2ドアハードトップ200X-SF標準車はTR-Xには設けられず、TR-Xの3ナンバーモデルは2ドア、4ドア共に280X-SF-Lの3速オートマチックのみ設定であった。これは日産店向けのレパードが新世代ハイオーナーカーの位置付けであるのに対して、日産チェリー店向けのTR-Xが新高級スペシャリティカーとして位置付けされたものであった。キャッチコピーは前期が「TR-X アメリカ」、後期が「頂点は感動」。
初代(F30型)は、さまざまな「世界初」や「業界初」(燃費計やフェンダーミラーワイパー)を採用して登場した。スタイリングは、リアウインドウに使われたベンドグラスやCピラーとリアフェンダーを面一としない手法(キャビン後端の幅を狭め、Cピラーの後ろを絞り、ボディー全長にわたるショルダーラインを際立たせる)を特徴とし、国産他車に先駆けるものであった。車体幅が5ナンバーサイズのため、前後の絞りは小さく細長い。
スタイリングの先進性に比して、発売当時のエンジンは日産・L型エンジンで6気筒・2.0Lと2.8LのL20EとL28Eと日産・Z型エンジンの4気筒・1.8LのZ18という「技術の日産」のキャッチコピーとはかけ離れた旧態依然のラインナップであった。後発で同クラス車のソアラは当初より最大出力170psの2.8L DOHCエンジンを搭載したグレードがあり、最終的に190psまで上げられた[注釈 2]。それに対して、SOHCのL20EとL28Eの最大出力は130psと145ps、Z18の方は最大出力が105psであり、パフォーマンス面で劣っており、結果ブランドイメージを大きく損ねてしまった。その後1984年に、前年に発売されたフェアレディZ300ZXと共通のVG30ET型エンジン(グロス230ps)搭載車が登場し、ソアラに勝るとも劣らないパフォーマンスを得たが、ブランドイメージを上げるには至らなかった。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は7万887台[1]
- 1980年10月 - 初代F30型登場。エンジンは4気筒1.8L(Z18型)・6気筒2.0L(L20E型)・6気筒2.8L(L28E型)の3種類。
- 1981年7月 - 2000ターボ車(L20ET型)を追加。グレードはGX/SGX/ZGX。
- 1982年9月 - マイナーチェンジ。ラジエーターグリル/テールライトを変更し、AT車はオーバードライブ付の4速に変更。L20ET型を搭載する最上級グレード「ターボZGXスーパーエディション」が追加された。既存モデルは車種の見直しとグレード名変更が行われ、F→GX.CF→SGX.SF→ZGXに変更すると同時に3ナンバー車の2,800cc(L28E型)エンジン搭載車は廃止された。
- 1984年6月 - 2年ぶりに3ナンバー車の復活となった230psを発揮する3.0L・V6ターボ(VG30ET型)「300ターボグランドエディション」追加。60偏平率タイヤ&メッシュタイプのアルミホイールを装着。
2代目 F31型系(1986年 - 1992年)
日産・レパード(2代目) F31型系 | |
---|---|
前期型(1986年2月 - 1988年8月) XJ-II | |
後期型(1988年8月 - 1992年8月) | |
概要 | |
販売期間 | 1986年2月 - 1992年8月 |
設計統括 | 伊藤修令(発売時は山羽和夫) |
デザイン | 園勲夫 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 2ドアクーペ |
駆動方式 | 後輪駆動 |
パワートレイン | |
エンジン |
(前期型) VG30DE型 2,960cc V型6気筒 DOHC VG20ET型 1,998cc V型6気筒 SOHCターボ VG20E型 1,998cc V型6気筒 SOHC (後期型) VG30DET型 2,960cc V型6気筒 DOHCターボ VG30DE型 VG20DET型 1,998cc V型6気筒 DOHCターボ VG20E型 1,998cc V型6気筒 SOHC |
変速機 |
(前期型)4速AT / 5速MT (後期型)4速AT |
前 |
前:マクファーソンストラット 後:セミトレーリングアーム |
後 |
前:マクファーソンストラット 後:セミトレーリングアーム |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,615mm |
全長 | 4,680mm |
全幅 | 1,690mm |
全高 | 1,370mm |
車両重量 | 1,460kg |
その他 | |
データモデル |
アルティマ 4速AT (前期型) |
販売終了前月までの新車登録台数の累計 | 3万8543台[2] |
ブルーバードにV型6気筒エンジン搭載車の「マキシマ」が登場したことや、競合車種のトヨタ・ソアラを強く意識した結果、チェリー店向けの姉妹車・レパードTR-Xが廃止され、F31型は日産店とチェリー店が共にレパードに車名を統一して2ドアクーペのみのラインナップとなった。また、同時期のスカイライン(R31型)と基本設計を共用し、開発コストを抑えた。
キャッチコピーは前期型が「private coupe」「私は今、限りなく自由だ、限りなく豊かだ」。後期型は「若いと言うだけでは、手に負えない、クルマがある」「BIG 2DOOR」。グランドセレクションが「表現力」。
開発主管は、ローレル(C32型)とスカイライン(R31・R32型)の開発主管を務めた旧・プリンス自動車出身の伊藤修令が担当した。また、当時の組織変更(主管は複数車種を掛け持ちせず1車種1主管制へ変更)の影響で発表の2ヶ月ほど前に山羽和夫に変更。そのため、記者発表や雑誌には開発主管の山羽が開発担当責任者として対応している。その後、マイナーチェンジに向けての開発も山羽のもとで進められた。
エンジンは3リッター4カムのVG30DEを頂点に全てV6ユニットを搭載。前期型がVG30DE型(V6-3.0L DOHC、185ps)、VG20ET型(V6-2.0L SOHC ジェットターボ 空冷インタークーラー付き、155ps)、VG20E型(V6-2.0L SOHC、115ps)の3機種。マイナーチェンジ後の後期型はVG30DE型は200psとなったほか、VG20ET型に替わりVG20DET型(V6-2.0L DOHCセラミックターボ 水冷インタークーラー付き、210ps)、また3.0Lエンジン搭載車にもターボモデルが加わり、シーマ(FPY31型系)に搭載されたVG30DET型(V6-3.0L DOHCセラミックターボ、255ps)が新たに搭載された。前期型VG20E型搭載車のみMT車が設定された。サスペンション形状はフロントがストラット、リヤがセミトレーリングアームであった。アルティマには、超音波で路面状況を把握し減衰力を変化させるスーパーソニックサスペンションを搭載している。
なお、後期型に搭載されたVG30DET(V6-3.0L DOHCセラミックターボ、255ps)は、初搭載の車種がFPY31型シーマであったため、世間一般にはシーマ用のエンジンと解説されるが、元々は当時、マイナーチェンジに合わせて開発を進めていた開発主管の山羽をはじめとするレパード開発チームがライバルのソアラ(230ps)に対抗する為に開発していたハイパワーエンジンである。FPY31型シーマは当初、3Lノンターボで開発が進められていたが、発売後に想定されるライバル車種をトヨタ・クラウンだけではなく当時人気絶頂のトヨタ・ソアラも視野に入れる事となり、開発途中でターボエンジンの搭載が決定された。この時点で、FPY31型シーマの開発が終盤に向けて進行していたものの、シーマ用に新たなエンジンを開発するだけの余裕がなかったことから、レパードの開発チームが準備していたVG30DETを新型車種のFPY31型シーマに譲った形となった。なお、F31型レパードの販売開始は1986年だが、レパードへのVG30DET搭載は1988年8月のマイナーチェンジからなのに対して、シーマは1988年1月から販売された時点でVG30DETを搭載したモデルも一緒に販売された。このため、発表順からVG30DETはシーマ用ユニットと当時から言われる要因となった。エンジンの存在はシーマのブランドイメージを大きく高め大ヒットに結びついたが、一方のレパードは発表順では2番手となり、ブランドイメージを高める効果は限定的なものとなった。
エクステリアは先代のイタリア的近未来スタイルに対し、ソアラ(初代)やBMWをイメージしたクラシカルなデザインへと変わり、細部の仕上げにも相応の注意が払われている。特にリアピラーからホイルハウスにかけて数字の6を描くようなバランスの取れたデザイン“エアフロー・フォルム”が特徴。コンセプトは“アダルトインテリジェンス”。派手さは無いが知的で大人のためのプライベートクーペを表現。外板の塗装も高品質仕上げ[注釈 3]が施されていた。
インテリアは、世間では“絶壁”と評されてきたがデザインコンセプトは航空機のコックピット感覚をもとに高級車としての風格を考慮し、エレクトロニクスメーター類、オーディオなどを融合しデザインされた。助手側も運転席と対等に包み込むようなデザインでグローブボックスを充実し、物をダッシュ上に乗せるのではなく収納するというパッセンジャーに対する配慮も考慮したインパネデザインであった。また高いダッシュボードはフロントガラスへの映り込みを抑えるソフトな材質を用いられている。
グレード名の由来としてVG30DE搭載車のアルティマは「究極」ULTIMATE(英語)からとった造語。最上級グレード。 2リッターのVG20ET搭載車のXS-II、XSの意味は、「X」は未知にチャレンジするという意味、「S」はスポーツ、「II」は上級車の意味を指す。 2リッターNAのVG20E搭載車のXJ-II、XJの意味は、「X」は上記に準じており「J」はジュエリー(宝石)のもつ高級感を指している。
既に知名度を確立していたソアラの陰に隠れてしまったことなどから販売当初は苦戦を強いられたが、日本テレビ系の刑事ドラマ『あぶない刑事』シリーズに劇中車として登場し[注釈 4]、さらにハイパワーエンジンを搭載した後輪駆動車であることもあり、登場から30年以上が経過した現在でも、中古車市場で高値で取引されるなど、根強い人気を誇っており、同型を専門に扱うショップも存在する[3]。
- 1986年
- 2月 - F31型にモデルチェンジ。ラインナップはアルティマ(VG30DE)、XS-II・XS(VG20ET)、XJ-II・XJ(VG20E)。
- 7月 - 新塗色ホワイトツートーンおよびリアスポイラー装着車を設定。
- 1987年
- 6月 - アルティマグランドセレクション・XS-IIグランドセレクション追加。ハイテクウールシート、AVシステム(アルティマグランドセレクションに標準装備、XS-IIグランドセレクションにオプション)を装備。
- 10月 - 東京モーターショーにて「アルティマX」を参考出品。これはアルティマをベースとしたオープンカーで、専門誌では状況次第で市販化されるとの憶測があったが発売に至らなかった。
- 1988年8月 - マイナーチェンジ。VG30DET型の追加、VG30DE型の出力向上、シングルカムターボのVG20ET型に替わりツインカムターボのVG20DET型に変更。VG20E以外のエンジンはプレミアムガソリン指定。ラインアップは、アルティマ V30 ツインカム ターボ(VG30DET)、アルティマ V30 ツインカム(VG30DE)、XS V20 ツインカム ターボ(VG20DET)、XJ V20E(VG20E)。メッキ部品を減らし、丸みのあるデザインとなった。アルミホイールのデザインも一見すると前期と同一だが、リム部をはじめとして全体的にやや彫りの深いデザインに変更されている。同時期の日産車に共通のダッシュボードも、大幅に形状が変更された。前期型の装備だった全面ブルー液晶の「グラフィカル・デジタルメーター」は廃止され、文字盤がホワイトのアナログメーターとなった。AVシステム、サンルーフ、本革シートがアルティマ V30 ツインカム ターボに標準装備、その他のグレードにオプション設定された。中折れ機構を持つ「パートナーコンフォタブルシート」は、全グレードに拡大採用された。また、アルティマ専用装備であった「スーパーソニックサスペンション」は、アルティマ V30 ツインカム ターボ、アルティマ V30 ツインカムだけでなく、XS V20 ツインカム ターボにまで拡大採用されATシフトロックを追加。
- 1989年 - アメリカ合衆国では、F31型をベースにしたインフィニティ・M30が発売され、これにはコンバーチブルの設定もあった。また、F31型をベースに、系列会社のオーテックジャパンがイタリアのカロッツェリアであるザガートと合作した「オーテック・ザガート・ステルビオ」も開発され、少数台数が発売された。同年9月に一部改良しATシフトロックをPレンジ保持機構付きに、ASCD安定性を向上、オーディオの音質調整の変更がされた。
- 1992年
-
後期型(1988年8月 - 1992年8月) XS V20ツインカムターボ
リア -
前期型(1986年2月 - 1988年8月) アルティマ
バッジ -
インフィニティM30クーペ
-
インフィニティM30コンバーチブル(前部)
-
インフィニティM30コンバーチブル(後部)
-
前期型(1986年2月 - 1988年8月) アルティマ
「あぶない刑事」仕様車 -
前期型(1986年2月 - 1988年8月) アルティマ
「あぶない刑事」仕様車 リア -
前期型(1986年2月 - 1988年8月) アルティマ
「あぶない刑事」仕様車 運転席
3代目 JY32型系(1992年 - 1996年)
日産・レパードJ.フェリー(3代目) JY32型系 | |
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レパードJ.フェリー 前部 | |
レパードJ.フェリー 後部 | |
インフィニティJ30(北米仕様) 前部 | |
概要 | |
販売期間 | 日本:1992年6月 - 1996年3月 |
デザイン | トム・センプル(NDI=現NDA所属) |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 4ドアセダン |
駆動方式 | 後輪駆動 |
パワートレイン | |
エンジン |
VH41DE型 4,130cc V型8気筒 DOHC VG30DE型 2,960cc V型6気筒 DOHC |
変速機 | 4速AT |
前 |
前:マクファーソンストラット 後:マルチリンク |
後 |
前:マクファーソンストラット 後:マルチリンク |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,760mm |
全長 | 4,880mm |
全幅 | 1,770mm |
全高 | 1,390mm |
車両重量 |
1,650kg(タイプX) 1,540kg(タイプL・タイプF) 1,530kg(タイプF-e) |
その他 | |
タイヤサイズ | 215/60R15 94H |
注釈 | ボディ・タイヤサイズは全グレード同一 |
ベースとなったスカイラインがR32型へ世代交代する中でレパードの開発は中止となったが、日産店のラインアップに穴が開くことに対する販社の抵抗も大きく、「インフィニティ・J30」の国内投入で継続されることが決まった(当初、J30は日本導入の予定は無かった)。この結果、4ドアセダンのみの設定となり、車名もレパード J.フェリー(LEOPARD J.FERIE)へと改称され、車の性格が変わったことをアピールした。キャッチコピーは「美しい妻と、一緒です」。
インフィニティブランドで初のEセグメントセダンであり、日本国内に於いては、後述のV8エンジンも搭載されていた事から、クラウンのみならずセルシオをもライバルとしていた車格であった。
フェラーリやマセラティにも収められているイタリア、ポルトローナ・フラウ製(表皮のみ)の本革シートをオプションで用意する。このシートの価格は約80万円もしており[注釈 5]、普通の本革シート(オーストリアのシュミットフェルトバッハ製。初代マツダ・センティアも採用していた)も約50万円など、セドリック/グロリアと比べても、よりパーソナルな高級車としての印象が強く、またこれまでのモデルと較べてもスポーツ性が大幅に抑えられ、完全なラグジュアリー志向となっている一方、英国車ジャガーを意識したという足回りのセッティングやエンジンの味付けはむしろスポーティで走りはセドリック/グロリアのグランツーリスモと同様の活発なものであった。特にV8エンジン搭載車は車重が1,650kgと日産のV8エンジン搭載車の中で一番軽量(同エンジンを搭載するFY32型シーマより90kgも軽い)な為、見た目からは想像できない強力な動力性能である。
エンジンは、シーマ用のV型8気筒 DOHC 4.1L VH41DE型(270ps・37.8kgm)と先代F31型にも設定されたV6 3.0L VG30DE型(200ps・26.5kgm)の2種類で、それぞれに電子制御の4速フルオートマチックミッションが組み合わされる。セドリック/グロリアとは異なりインフィニティQ45 と同様のカギ型ゲートとロックボタンを併用したシフトレバーを備える。ABSとビスカスLSDがタイプF-e以外の全車に標準装備である。VH41DEモデルのみSuper HICASが装備される。VG30DEモデルは容量可変マフラーを備える。シーマ・セドリック/グロリアとは異なり、ターボ仕様は設定されておらず、北米向けインフィニティ・J30にはV6のみであった。J30のエンジンはJ.フェリーとは型式は同じVG30DEであるがエンジンのインマニ形状などが異なるフェアレディZ系の仕様であり最大出力も210psと少し高いものとなっている。
グレード構成は発売当初はV8エンジン搭載のタイプX(469万円)とV6エンジン搭載のタイプL(386万円)・タイプF(358万円)の3種。タイプFはタイプLからキーレスエントリーやクルーズコントロールを省いたものでエンジンや足回りなどの走行性能はタイプLと全く同じである。1993年6月にタイプX・Sパッケージ(474万円)とタイプL・Sパッケージ(391万円)・タイプF-e(332万円)が追加された。Sパッケージにはインフィニティ・J30と同じ形状でエンブレムのみ日産CIマークに変更された台形格子グリルとフロントスポイラー・フォグランプが装着されている。なお、この台形格子グリルは取り付け部の形状が異なるため標準仕様の横桟グリル装着車には無加工では取り付けできない。タイプF-eはタイプFからさらにABSやビスカスLSDが省略されている。
同時期のY32型セドリック/グロリアのVG30DE型搭載車に関しては、国内ユーザーの声を反映した5速ATが組み合わされているが、J.フェリーではインフィニティ・J30からの大きな変更は見送られ、4速ATのみとされた。
エクステリアデザインは北米専売車種のアルティマを含む同時期のブルーバードセダン(U13型・SSS/EEXシリーズ)同様、カリフォルニアデザインセンター(NDI)の意見を大幅に取り入れた、リアエンドの下がった、いわゆる「尻下がり」「垂れ尻」の特徴あるプロポーションとなった。
インテリアデザインは主に曲線と曲面で構成されエクステリアと共通のイメージとなっている。センターコンソールと運転席ドアスイッチ周辺は全車本木目パネルで仕上げられている。ボディーカラーによっては追加料金無しでベージュ内装からブラック内装へ変更できた。グレードやオプションにより助手席中折れシートが設定される。パーキングブレーキは踏み込んだ際にカリカリと音がしないサイレントタイプでリリースは電磁スイッチ式である。なおJ30は機械式リリースとなる。各操作系、スイッチ類は上質さを演出するために操作感がチューニングされている。セドリック/グロリアのような間接照明はないがセンターコンソール周辺を微灯で照らすなど夜間の演出も考えられている。当時としては珍しく照明つきのバニティミラーが前席の両側のサンバイザーに装備されている。
日本車としては初めて、助手席エアバッグを全車に標準装備した(レスオプションも選択可)車でもある。またR134a冷媒を使用する「オゾンセーフエアコン」も当初から採用された。
専用グリル・専用オーナメントなどを備える「オーテックリミテッド」もごくわずかに販売された。
雑誌NAVIや、一部好事家での評価は高かったが、北米仕様の尻下がりのデザインがあまり受け入れられず、日本国内では月平均の販売台数はおよそ100台前後と低迷が続き、総販売台数も約7,300台に終わった。 一方で企画の段階から北米での販売を意識したこともあり、米国市場は月平均3,000台以上と安定した売り上げを保持していた。
- 1991年10月 - 第29回東京モーターショーにレパードJ.フェリー出展。
- 1992年6月 - レパードJ.フェリー発売。
- 1993年6月 - 「タイプX Sパッケージ」「タイプL Sパッケージ」「タイプF-e」追加。
- 1996年2月[6] - 生産終了。在庫対応分のみの販売となる。生産台数は7411台[7]
- 1996年3月 - 4代目と入れ替わる形で販売終了。
4代目 JY33型系(1996年 - 2000年)
日産・レパード(4代目) JY33型系 | |
---|---|
前部 | |
後部 | |
計器類 | |
概要 | |
販売期間 | 1996年3月 - 2000年12月 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 4ドアハードトップ |
駆動方式 |
後輪駆動 四輪駆動(RB25DETのみ) |
パワートレイン | |
エンジン |
(前期型) VQ30DET型 2,987cc V型6気筒 DOHCターボ VQ30DE型 2,987cc V型6気筒 DOHC VG30E型 2,960cc V型6気筒 SOHC (後期型) VQ30DET型 2,987cc V型6気筒 DOHCターボ VQ30DD型 2,987cc V型6気筒 DOHC(NEO-Di) VQ25DE型 2,495cc V型6気筒 DOHC VG20E型 1,998cc V型6気筒 SOHC RB25DET型 2,495cc 直列6気筒 DOHCターボ(四輪駆動専用) |
変速機 | 4速AT |
前 |
前:マクファーソンストラット 後:マルチリンク |
後 |
前:マクファーソンストラット 後:マルチリンク |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,800mm |
全長 | 4,895mm |
全幅 | 1,765mm |
全高 | 1,425mm |
車両重量 | 1,600kg |
系譜 | |
後継 | Y34セドグロに統合 |
車名をレパードに再改称。開発時期がバブル経済の絶頂期と重なり、贅沢な設計のなされたJY32型からは一転、メーカーの経営不振といった逆風の中で開発されたJY33型レパードは、Y33型セドリック/グロリアの主要コンポーネントの大部分が流用され、事実上これらの兄弟車種となった。ローレル販売会社におけるセドリック、スカイライン販売会社におけるグロリアに対して、先代から引き続いての取り扱いとなるブルーバード販売会社と、当時このクラスの車種の取り扱いがなかったサニー販売会社でも取り扱われたため、Y33型系は実質的に日産の全販売会社での取り扱いとなった。キャッチコピーは「新しい、高級のドアを開けませんか」「高級車の中で、一番自由でありたい」。
ボディは4ドアハードトップのみ。ドアアウターパネルおよびインストゥルパネルの形状はY33型系セドリック/グロリアと共通。エンジンは前期型がVQ30DET(V6-3.0L DOHCターボ、270ps)、VQ30DE(V6-3.0L DOHC、220ps)、VG30E(V6-3.0L SOHC、160ps)の3機種。マイナーチェンジ後の後期型でVQ30DEとVG30Eは廃止され、代わりに直噴式のVQ30DD(V6-3.0L DOHC、230ps)と、VQ25DE(V6-2.5L DOHC、190ps)、F31型にも設定されていたVG20E(V6-2.0L SOHC、125ps)、4WD車専用としてRB25DET(直6-2.5L DOHCターボ、235ps)が追加された。
グレード構成もグランツーリスモやブロアムといった区別こそ存在しないが、内容的にはセドリック/グロリアとほぼ同じような構成となり、登場当初は後席関係の装備を充実させたトップグレードのXV-Gを筆頭に、以下XV、XR、XJと続いた。
足回りはセドリック/グロリアのグランツーリスモと同じ仕様とされ、XV-GとXVには電動SUPER HICAS仕様も用意された。電動SUPER HICAS仕様の型式はJHBY33となり、"B"が追加される。
日産自動車初の直噴エンジンVQ30DDを搭載したモデルである。総販売台数は、前期型が約10,000台、後期型が約2,000台であった。
- 1996年3月 - JY33型にモデルチェンジ。ラインナップはXV-G/XV(VQ30DET)、XR(VQ30DE)、XJ(VG30E)。
- 1996年7月 - VG30EのXJをベースにした特別仕様車XJ-Sが登場。
- 1996年8月 - サイドエアバッグがオプション設定に追加される。
- 1997年1月 - XJをベースにVG20Eエンジンを搭載したXJ-Limitedが登場。
- 1997年10月 - セドリック/グロリアに合わせてマイナーチェンジ。
- ラインアップはXV-G/XV(VQ30DET)、XR(VQ30DD)、XJ(VQ25DE/VG20E)、XJ-four(RB25DET)。
- 新開発の直噴式エンジンVQ30DD型のXRを追加。(発売は同年12月から)RB25DET型を搭載した4WD車のXJ-fourを追加。XV/XR/XJにステアリング・アルミホイールのデザイン変更したスポーツバージョンのグランスポーツを追加。VQ25DE型の追加、VQ30DE、VG30E型の廃止。
- マルチAVシステムの画面が6インチ4:3ブラウン管から7インチワイド液晶となる(両方ともタッチパネル式)。
- 運転席キーオフ後作動パワーウインドウ、照明付バニティミラーなどの装備が追加される。
- 1999年6月[8] - セドリック/グロリアのフルモデルチェンジとオーダーストップに伴い生産終了。在庫対応分のみの販売となる。
- 2000年12月[9] - Y34型セドグロに統合する形で販売終了。 20年の歴史に幕を閉じた。販売期間中の新車登録台数の累計は1万3726台[10]。
車名の由来
「leopard」とは、英語で「豹」(ひょう)の意味。
尚、初代に設定されていた「TR-X(トライエックス)」とはTechnologyの「T」、Romanの「R」、そして「未知(の走り)」を意味する「X」をつなぎ合わせたもの[11][注釈 6]で、3代目のサブネーム「J.FERRIE(ジェイフェリー)」とは、フランス語で「祝日」を意味する「Jours fériés(ジュール・フェリエ)」を英語風に発音した造語で、欧米人の人名のような響きを持たせることを意図して命名された。
販売チャネル
- 初代レパード - 日産店(ブルーバード販売会社)
- 初代レパードTR-X - チェリー店(パルサー販売会社)
- 2代目レパード - 日産店(ブルーバード販売会社)、チェリー店(パルサー販売会社)
- 3代目レパードJ.フェリー - 日産店(ブルーバード販売会社)
- 4代目レパード - 日産店(ブルーバード販売会社)、サニー店(サニー販売会社),一部地域でプリンス店(スカイライン販売会社)
出典
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第67号3ページより。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第48号13ページより。
- ^ “「あぶない刑事」日産レパードが800万円 専門店の謎”. 朝日新聞 (2020年9月28日). 2020年9月28日閲覧。
- ^ “レパード(日産)1986年2月~1992年5月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月19日). 2020年1月19日閲覧。
- ^ “レパード(1986年2月~1992年8月)”. トヨタ自動車株式会社 (2020年1月20日). 2020年1月20日閲覧。
- ^ “レパードJ.フェリー(日産)のカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月19日). 2020年1月19日閲覧。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第17号15ページより。
- ^ “レパード(1996年3月~1999年6月)”. トヨタ自動車株式会社 (2020年1月20日). 2020年1月20日閲覧。
- ^ “レパード(日産)のカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月20日). 2020年1月20日閲覧。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第83号15ページより。
- ^ 発表当時のCM
注釈
- ^ 後のF31型初期まで出演。
- ^ これは発売当時の日本の乗用車エンジンでトップクラスの性能を持っていた。
- ^ 外板の表面に微細なヘアライン状のスクラッチ加工が施されたレーザーミラー鋼板が用いられており(この鋼板を用いることで、塗装後のボディの表面が美しく、滑らかに仕上がるというメリットがあった)、また、ホワイト等のソリッドカラーを除き、4層コート(多層ベーク)塗装が用いられていた。
- ^ 主に使用されたのは、前期型V6・3L仕様のアルティマの「ゴールド・ツートン」(スペック表の画像参照)及び、テレビの続編『もっとあぶない刑事』から使用された後期型のV6・3L仕様のアルティマツインカムターボの「ダークブルー・ツートン」である。詳細はあぶない刑事の劇用車の頁を参照。
- ^ 因みに国産車でこのメーカーのシートを採用しているのは前にも後にも同車が唯一である。
- ^ のちに、Y33型シーマでグレード名としても使用された(字体はそのままだが、発音は「ティーアールエックス」)。
関連項目
外部リンク
- 日産・レパード(日産自動車 1997年10月 - 1999年6月)
- レパード カタログ (Carview)
- レパード 初代・F30型系(GAZOO名車館)
- レパードTR-X 初代・F30型系(GAZOO名車館)
- レパード 2代目・F31型系(GAZOO名車館)
- レパードJ.フェリー 3代目・JY32型系(GAZOO名車館)
- レパード 4代目・JY33型系(GAZOO名車館)